確かに「ホモソのチクり屋」かもしれないけれど……
冒頭の話に戻る。「チンポ騎士団」や「女に土下座してまわる男」など、こうした言葉の意味を紐解いていくと、男性がジェンダーやフェミニズムについて考えたり、自らの男性性について内省的に振り返ったりするのは、すべて「女性のため」「モテるため」「他の男を攻撃するため」に行われることだという考え方が見て取れる。さらには「男のくせに」という規範意識も色濃くにじんでいる。
女にいい顔しやがって、そんなことしてなんのメリットがあるの? どうせヤリたいだけだろ? こういうやつがいるから男が生きづらくなるんだよ──と、すべてのフレーズにはそんなニュアンスが潜んでいる。「ホモソのチクり屋」とは男性だけの世界(ホモソーシャル)で流通している手口やロジックを外にバラしているという意味であり、つまりは「よけいなことするんじゃねえ」というメッセージなのだと考えられる。
こういう目線はある種の呪縛になる。ジェンダーを学び、男性性を内省的に振り返ることは、究極的には「自分を知ること」につながっていくというのが私の考えだが、だからなんだと言われると途端に言葉につまる。「これも結局は優等生的な考えなのかな……」と自信がなくなっていく。強いフレーズの持つ引力に抗うことはなかなか難しい。
しかし、男同士で向き合い、男同士で互いの内面を打ち明け合ったことはけっして「男の自傷行為」ではなかったし、そこで生まれた語りは「男の自虐史観」ではないと、強く思う。
男性たちの率直な語りには怒りや悲しみ、加害者性や被害者性、競争意識や逃避癖、女性蔑視や男性嫌悪、プレッシャーや特権性、優しさや残酷さ、純粋さやしたたかさ、成熟や未熟、計算や衝動、上から目線や劣等感、反省や自己弁護、視野の狭さや懐の深さ、暴力性や愛情など……実に様々な要素が混在しており、表面がつるつるにコーティングされた「一般男性」という存在の内実が、実は複雑で混沌としたモザイクになっていたことがおぼろげながら見えたんじゃないかと思う。
『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』より
この本が男性たちの密やかな部分を外部に晒してしまうものであることに違いはなく、「ホモソのチクり屋」だと言われればそうなのかもしれない。でも、いったん言語化してみないことにはその輪郭や内実を掴むことは難しい。 男同士のこういった語りをなんと呼んだらいいかわからないし、ある女性読者からは「見てはいけないものをのぞいているような気持ちになった」という感想もいただいた。世にも珍しい一般男性の自分語りに、ぜひ耳を傾けてもらえたら幸いだ。
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