それは愛の物語だった
そしてやってきた『シン・エヴァ』の公開日。私は『Q』から『シン』までの間に、スタッフ陣のインタビューや資料などをそこまで読めていたわけではない。ポスターや予告編を観ながら、さようならなどと言っておきながらまたうっかり完結しないんじゃないか、と半信半疑に思いながら、朝の新宿バルト9に向かった。
だから、最後に表れる「終劇」の2文字が私には突然の別れに感じた。それは『旧劇』(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』)を観た時にも襲いかかってきた感情だった。街中で人から急に殴られたような衝撃。だけど、『シン』は誰がなんと言おうと、キレイに完結させるために走り切った物語だった。
上映後、なぜかしばらく足が痺れて動けなくなっていた。これは、約3時間という映画にしては稀な長さの着席時間によるものでもあると思うけど。
「エヴァ、終わってしまった……? こんなにキレイに? だけど、それってエヴァなの?」呆然はつづき、その日はその後どうやって帰ったか覚えていない。いや嘘、新宿のマルイの隣のスタバ行ったわ。覚えてた。
『シン』は愛の物語だった。普通に愛だった……。真実の愛を知って、それに寄り添って生きているような人にしか作れないような作品だった。まるで、「愛」が答えになっている“あるなしクイズ”で、『旧劇』の反対に『シン』が並んでいるような、そんな代物だった(いや、『旧劇』もデロンデロンの本物の愛なんだけど)。
ふたつの完結編は、お互いがまったく性質の違うものとなったため、なおさらそれぞれの輝きが大きくなって、それぞれの時代観に密接している。『旧劇』による世紀末の愛しい大事件に対して、令和という時代には『シン』によってまっすぐな希望が示された。その対比がおもしろくてたまらない。
ありがとう。そして、さようなら。
まるで、もう少し一緒に遊んでいたい付き合いの長い友人、そんな存在から別れを突きつけられたよう。少し苦い気持ちもあるけど、ちゃんとさようならを言われたのならば返すのが礼儀。だから言うよ。ありがとう。そして、さようなら。
でも、まだ私は唐突な別れの中で、フワフワとした気分のままでいたい気がしている。25年以上かけてシンジたちも大人になり、現実と向き合ったのに、自分の心は依然チャイルドなままである。いつか愛を知り尽くして、また違った心持ちで観られたらいいな。 新作がもう作られないのなら、何年かおきに『シン』を観つづけることにしよう。またきっと、人生の階段をのぼる度に味が変わるだろうから。
いや、それじゃさようならにならないじゃないかってね。確かなのは『エヴァ』は今までもこれからも自分の人生の中に確実にあるコンテンツであるということ。毎度毎度どこかに顔を出すから、結局クセになってるっていう。これからもよろしくね。
そんなこんなでツラツラと私と『エヴァ』との関係について書いてみたけど、ほかの作品はもっと自分のキャラクターを保ったままでも書けるのに、なんかこう不思議とこれはずいぶん素になっちゃって恥ずかしい。それだけ人生の大部分を占める作品ということです。25年かあ。ああもう17歳って言いづらいや。今さらなんだけど(ノ∀`*)!☆
ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。またどこかで!
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