大人として子供と向き合う責任
エヴァは思春期の代名詞、“何かが起こる年齢”として象徴的に描かれることの多い「14歳」というものの特別さを克明に印象づけた作品だ。だからこそ、今の時代に子供を描くのならそれなりのエクスキューズがあってしかるべきといえる。子供は子供だと言いきってほしい。でないと、この作品によって子供時代への妄執に駆り立てられた大人(と呼べる年齢の人)たちがいつまでも大人になりきれない。呪いは解かなくてはならない。何度確認してもゾッとするのだけれど、14歳のときにテレビシリーズを観ていた人は今年40歳なのだ。
我々は大人になった。
出産した友達は、とにかく子供が責任を問われたりかわいそうな目に遭ったりする作品が観られなくなったという。
学生時代に10歳前後年上の社会人と付き合っていた友達は、今になって「あれは恋愛じゃなかった」と口々に言う。
子供の頃に買春の被害に遭っていた友達は、もし今目の前にホテルへ向かう子供がいたら、手を引っ張って一緒に逃げたい、代わりに援交オヤジを殴りに行きたいと声を震わせた。
中高の教師をしている友達は、『うっせぇわ』の歌詞の主人公が社会人なのが気になると言った。子供らがあの曲で描かれているような感覚を抱くのは順当で、ただ社会人になってから何年も引きずってしかるべきものとは思わない。だからあの曲を聴いた自分の生徒たちが鵜呑みにしないか心配だと。
そういうふうに、大人たちはそれぞれに年齢を重ねながら自分の子供時代を顧みて、大人として子供と向き合う責任を自覚している。
対してエヴァシリーズで描かれた大人たちはどこか成熟しきれず、子供の部分を抱えたままといった印象を受けるキャラクターが多い。最たるものが碇ゲンドウだろう。
碇ゲンドウは、子供の部分を残したまま年齢を重ね、過去に囚われた、大人になりきれない大人だ。それゆえ自分の子供であるシンジとのコミュニケーションは破綻している。大人になりきれていない大人と子供扱いされない子供との間にフェアな関係性が築かれるべくもない。
前述のロビンを主人公としたNetflixのドラマ『タイタンズ』では、大人になりきれない大人たちが、かつての自分たち同様の境遇に置かれた子供たちとどのように向き合っていくべきか、というのが主たるテーマとなっている。対して『シン・エヴァ』でも同様に、ゲンドウをはじめとした大人たちが自分の中の子供の部分を自覚し、シンジたち子供との向き合い方に進歩が見られる筋書きになっているのか?
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