【短編小説】石田夏穂『アバター詐欺師たち』全編公開!

2026.4.12

文=石田夏穂 編集=菅原史稀


入社10年、「私」を更新するときが来た。リモート会議はカメラをオフ、社内用コミュニケーションツールのプロフィール画像は変えないことがポリシーの「私」。画面越しの存在にすぎなかった「使えないジジイ」との思わぬ遭遇までは──。“ボディ・メイキング文学”の旗手・石田夏穂が描き出す、現代の働く人々の「理想の姿」が交差するショートストーリー。

1

 この案件のメンツはハズレだ。ある商業ビルの着工にあたり、事前に契約を結ばなければならないが、一か月前までの締結を目標にしていたのに、それが叶いそうにない。

「どうして内山建設の契約が遅れそうなんですか?」

 私は内山建設の担当者に訊ねた。多くの場合、ひとつの現場には複数の会社が出入りするため、会社ごとに担当をつける。

「それが、直前になって契約内容にコメントがついて……」

 入社十年目の私は、その取りまとめ役をやっている。私自身は必ずしも契約業務に通じているわけではない。工事契約というのはけっこうマニアックで、昔は全て社員でやっていたようだが、いまは派遣のプロたちに頼っている。

「どんなコメントですか?」
「その、他の会社との共用部分について……」

 この人は駄目だな、と溜息をつく。ただいま全体リモート会議には四人の派遣と、私の前任者と、私の計六名が参加しているが、この人にばかり時間を食っている。

「須江さん、田辺さんをサポートできますか?」

 私の前任者が「須江さん」に訊ねる。確かに須江さんは要領がよく、一人で三社を担当しているのに、いずれも締結にこぎつけている。

「いや自分はちょっと……」

 須江さんは渋った。田辺さんは一社だけなのに、自分が手伝うのはおかしい、とばかりに。

「いやいや、サポートはいりません。自分の力でできます」

 PCの画面は上に三人、下に三人に分割されている。ずっと契約資料を画面共有していたため、誰もカメラをオンにしてしない。

「でも間に合わなそうなので、ここは手伝ってもらいましょう」

 ふとそんなリモート会議の光景を古いアパートのように感じた。アパートのそれぞれの部屋にはそれぞれの丸いプロフィール画像が入居している。

「いえ、サポートはいりません」

 喋っている人のプロフィール画像の縁が音声に合わせてピコピコと点滅する。小さい子がよく履いている光る靴のようだ。

「でもこのままだと……」

 このピコピコって声量も拾っているのかな? なんとなく発言の勢いに比例しているような気がする。私は一度も会ったことない田辺さんに説得を試みたが、いよいよ「いりません」の一点張りだった。

「大丈夫、一人でできますから」
「いや、貴方いつもそうじゃないですか」

 私は本当はリーダータイプではなく、人に指示するのも苦手だ。それでも前任者の手前もあり、あえて毅然と唱えた。ピコピコ! とひときわ瞬いたその私の発言は、そうして相手を激怒させた。

 昼、社内売店に行った私は、つと立ち止まった。会社の周りには徒歩圏内にコンビニも飲食店もないため、昼時の店内は賑わっている。

 あの人、ひょっとしたら田辺さんでは……? つい二時間前にリモート会議で言い合いになった人だ。やはり出社するとロクなことにならないなと思いながら背を向けた。

 建設業だが、本社ではリモート勤務が標準化している。目下の契約業務メンバーにも誰にも会ったことがない。にもかかわらず田辺さんだとわかったのは、特徴的な赤縁メガネ、鼻の下の髭、そしてスキンヘッドと、プロフィール画像そのままだったからだ。

 それにしても、さっきの会議はやばかった。もともと田辺さんは素人リーダーの私を舐めている節があり、いいから手伝ってもらってください! と私が頭ごなしに言ったのも悪かったが、じゃあアンタがやれよ!(できないクセに!)と売り文句に買い文句になった。プライドが高いのか何なのか、一言で言うと使えないジジイだ。

「すみません、ちょっといいですか? ごめんなさいね……」

 じっとお菓子の棚の前にいた私は、慌てて場所を譲った。ぎょっとしたのは、その相手が田辺さんだったからだ。よけたタイミングでばっちり目が合った。

「どうもどうも、ありがとうございます」

 さっきとまるで雰囲気が違う。瞬時に理解されたのは、田辺さんが自分を認識していないということ。あるいは気づいていないフリをしているのかもしれないが、どうやら素のリアクションだった。田辺さんはそのままコアラのマーチとオロナミンCを手にいそいそとレジへ向かった。

 田辺さんは意外と小柄な人だった。私は脳裏にピコピコを思い浮かべながら、妙な敗北感を味わった。私はしかと相手の顔を頭に刻みつけていたのに、向こうはそうではなかったから。

「そりゃそうだよ。あなたのアイコン、入社したときのままでしょ」

 オギャーと赤ちゃんが泣き叫ぶ。午後、先の全体リモート会議の反省会じゃないが、前任の青木さんと個別にリモート会議をした。

「言われてみればそうですね」
「それに、うちの会社の人ってシャイな人が多いから、誰もカメラをオンにしないじゃん」

 青木さんは甲斐甲斐しく赤ちゃんをあやしている。ああ、この子が爆誕しなければ私が取りまとめ役にならずに済んだのに……などと悪魔みたいなことを考えてしまう。

「シャイというか、カメラオフのほうが集中できません?」
「何それ?」

 いまも青木さんはカメラオンで、私はオフだ。さすがに赤ちゃんが映り込むからだろう、全体会議のときはオフだったが。

「とりあえずアイコン変えたら? いつまでも同じだとイタいよ」
「……でもいまって同じ会社の人でも滅多に対面で会わないじゃないですか。イタいかどうかもわかりませんよ」

 それに考えようによっては、そのおかげでリアル田辺をやりすごせたのであって、そうでなければオロナミンCでブン殴られていたかもしれない。

「いやいや、滅多に対面で会わないからこそ実物に即さないといけないんじゃない? 私は毎年四月に必ず変えてるよ」

 青木さんのプロフィール画像はアナウンサーのように凛としている。何でもわざわざ写真館で撮っているそうだ。この私より三つ上の才媛は、ザ・リーダータイプだ。私は何か反論したい衝動に駆られたが、咄嗟にできなかった。

2

 確かに、同じアイコンを十年も使い続けているのは「イタい」かもしれない。しかし私は何も青木さんが勘ぐっているように若く見られたいわけではない。そもそも私は入社当時も下位五パーセントに入るようなモサい女だったので、若く見られようが年相応に見られようが、それで得することはない。

 入社当時「会社のプロフィール画像は社員証の写真にしましょう」と教育担当に指示されていた。社員証の写真とは、背景が青一色の運転免許証のようなやつだ。冷静になれば、そんな自分のプロフィール画像がリモート会議のたびに人様のPCに出没していると思うと、自分がコンピューターウイルスにでもなった錯覚が起こる。

 同期のプロフィール画像を見ると、九割が更新されていた。十年の時を経て同期自体が半減していたが、旅行中の自撮り、晴れ舞台での一枚、スポーツイベントでのゴールの瞬間などなど、私はうっすら引け目を覚えながら、それらを「イタい」と感じた。これら一枚一枚が彷彿とさせる自分のベストショットを自分で選ぶ作業ってなんだか居た堪れない。

 むしろ私が注目したのは、残る一割のほうだ。自分も含め、頑なに入社したときのプロフィール画像のままの者たち。私は彼らに一方的なシンパシーを抱くとともに、なぜ自分が同じプロフィール画像のままなのか、わかったような気がした。それは自分はプロフィール画像などに構っていられない多忙な人間であること、そして見た目に頓着しない一本気な人間であることの間接的な表現であり、逆にいまになって刷新したらご乱心と思われそうだ。

 何より、この前田辺さんに売店でスルーされるまでは、いまの自分は十年前とさして変わらないと自分では思っていた。が、言われてみればプロフィール画像の自分は若い。どこがどうとは言えないが、そのどこがどうとは言えなさが加齢なのだろう。

 田辺さんの「サポートはいりません」をどう打破するか、溜息が洩れる。こうしているうちにも仕事は遅れている。

 はたと立ち止まったのは、広大なフリーアドレスの一画に田辺さんがいたからだ。『ウォーリーをさがせ!』じゃないが、フリーアドレスはそれに近い雑然を呈している。私はいよいよ仕事が大詰めとあってその日も出社していた。

 脚が導かれるように動き出した。ぜんぜん探していなかったウォーリーを見つけてしまった。ここは曲がりなりにも取りまとめ役として直談判しよう。

「あの新しいリーダーがポンコツでさー」

 あの、すみません、と、ほとんど言いかけた。遠くからだとわからなかったが、田辺さんはリモート会議をしていた。

「ろくに内容も理解しないで、早くやれとしか言わない」

 リーダーって立場は本当に辛い。しかしここで引いてはならない。私は田辺さんの目の前に腰を下ろした。

「この会社もホント人手不足だよねー。あんなペーペーの女がプロマネなんて……」

 いま赤縁メガネごしに目が合った。前回同様、相手は私が私であることに気づいていない。そんなにいまの自分と十年前の自分って違うだろうか……? ポンコツだのペーペーだのより、そちらのほうが悲しくなってくる。

「あの、すみません、初めてお目にかかります」

 リモート会議が終わったタイミングで声を掛けた。

「私、プロマネの西本です。青木さんの後任の」

 ポンコツリーダーです、と名乗ってやりたい衝動をこらえる。

「え、西本さん……?」
「ええ、いつもお世話になってます」

 お前は派遣だから「お疲れ様です」ではなく「いつもお世話になっております」だ。

「……どちらの西本さん?」

 そして、この人物が田辺さんではなかったことが発明した。

「そのニセ田辺さんに訊いた? どれが田辺さんか」
「いえ、訊きそびれました。すぐに恥ずかしくて逃げたので」

 このプロフィール画像を使っておいて、そんなことある……? それは宴会の席の一番端の人が自撮りたようなアングルで、赤縁メガネが画面左の六十パーセントを占め、確かに右の四十パーセントには他のオッサンたちも映っているが、これでは『ゼルダの伝説』の主人公が実はゼルダではなかったかのような不意打ちだ。

「明日の全体会議で強制的にカメラをオンにしよう。前々から気になってた」

 え、と思わず声が出た。他愛ない小話のつもりだったが、青木さんは問題視した。

「そんなミスリーディングなやつに仕事を任せられねえ。それも内山建設の契約」
「でもまあ、田辺さんの顔なんてどうでもいいんじゃないですか?」
「そういう問題じゃないよ。じゃあ貴方ははっきり顔を出さない人を信用できる?」

 そう迫られれば、はっきり顔を出す人よりは信用できないかもしれないが……私はカメラオフ党なので、ほんのり拒否感を覚える。

「リモート会議が悪いとは思わないけど、ずっとカメラオフだと表情の機微が読めないじゃん」

 いまは私も青木さんに合わせてカメラをオンにしている。まさかプロフィール画像で信用度チェックされているとは田辺さんも思っていないだろう。

「でも表情の機微って……恋愛じゃあるまいし」
「表情は大事だよ。相手の気持ちがわかる」

 そうかな……? と鼻白んでしまう。しかしこれがリーダーを張れる者と張れない者の違いなのかもしれない。

「てか、あなたのアイコンはどうした? 新入社員のまま?」

 突如として痛いところを突かれた。

「いや、変えようと思ってるんですけど、写真を探してて……」

 青木さんの「ふうん」は「そんなのいま撮れよ」の丁寧語に違いない。

「てか何で十年も同じやつなの?」
「いや、なんというか、初心を忘れないために……」
「いつまでも初心じゃ困るよ」

 プロフィール画像を毎年四月に変える人には奇行に映るのだろう。私も田辺さんも、実物に即さないプロフィール画像を使っているばかりに逆に正体を暴かれそうになっている。

「じゃあ明日はカメラオンってことで頼むね。あなたから言って」

 青木さんは私の表情の機微は読んでくれなかった。

3

 私はリモート会議中にカメラをオンにするのが苦手だ。自分の喋っている姿ってなんだか居た堪れない。普段の生活、少なくとも対面の会議で自分の顔を生中継で見る機会はほぼないため、PCの画面にロケ番組の「スタジオの皆さん」のように自分の顔が蠢(うごめ)いていると落ち着かない。

 この自分の見苦しさに慣れることも現代人のミッションなのだろうか……などと考えながら、自分の顔写真を探した。問題は、そんなもの一枚もなかったことだ。私は昔から写真が苦手で、と言うのもオカチメンコだからだが、人生で自撮りなるのを一度もしたことがない。いやいや、一枚くらいあるでしょ……と自分でもビックリしたが、本当に直近三年で一枚もない。仮に今日私が死んだら遺影はどうなるのだろう。

 ちなみにLINEのプロフィール画像は実家の飼い猫だ。困ったな……と実家のLINEグループを見ていたら、あ、いたわ、去年の正月の自分が。自分が一族郎党に取り囲まれている。しかし自分のところだけ拡大すると怪しげにぼやける。これでは余計にミスリーディングだ。

 思ってもみない気持ちになったのは、その直後のことだ。もしかして田辺さんも、こういう状況だったのかな……自分のイイ感じの写真がない。誰がどう言おうとない。田辺さんも苦肉の策であの写真にしたのかもしれない。

 今日の全体リモート会議開始まで、あと二十分だ。私は遂に観念すると、人生初の自撮りに及んだ。写真慣れしておらず、けっこう撮り直した。金持ちや身分の高い人しか写真を撮れなかった時代が少しうらやましい。

 そうしていざ変えようとして、ふと気づいた。この十年前のプロフィール画像の元データはとうに紛失しているため、いちど変えたらもう二度と見られない。社員証も去年アプリ化されて顔写真はない。

 自分でもセンチメンタルだな……と引いたが、私は逡巡した。それこそ写真に撮ったりスクショすれば残せるが、そういう未練ではない。十年前の自分に別れを告げるような気持ちだった。さよなら、ブスだけどピチピチではあった自分。確かに、このプロフィール画像は実物の私よりずっと人前に立っていた。実は私以上に私だった私。さよなら。

 えいや! とそれ以上は考えずに更新した。
 新たなプロフィール画像は、誰? といったオバサンだった。

 そうしてリモート会議は予定通りはじまった。例によってPCの画面が上に三人、下に三人に分割されている。時間になるとその二階六部屋が次々と埋まっていくが、住人たちの配置が毎回違うのは会議に参加した順だからだろう。私はいつもいの一番に入るので二階の角部屋だ。

 その定位置の住人が自分なのに他人のように見えた。二度見するほど渋く、重鎮感に満ちている。いかに自分が前のプロフィール画像に甘えていたかが意識された。自分はあのペーペーなアバターで何かから逃げていた。いつまでも自分の仕事ぶりにOJT感が抜けないような気がしていて、それでいながらそれを「初心」などと言い繕って、内外ともに新人のままだった。

 あ、と驚いたのは、田辺さんのプロフィール画像も更新されていたからだ。どうやら田辺さんもチャチャッと用意したのか、いわゆる容疑者ショットだったが、映っているのは田辺さん一人と実に明瞭である。私は自分でもよくわからなかったが、胸が熱くなった。きっとあのニセ田辺さんから私の接触を聞き及んだのだろう。

「皆さんお集まりですか?」

 こんな小さなことに自分の求心力を予感した。音声に合わせて自分のプロフィール画像がピコピコと明滅する。直後、青木さんから個人間のチャットで〈カメラ!〉と指示が入った。六人は依然としてカメラオフのままだった。もちろん私とて忘れているわけじゃないが、しかし、なんだかいまの光景は、いいと思った。このままでいい。このままがいい。ちゃんと自分のアバターを決めたのだから、それでいいだろう。

「皆さん、カメラをオンにしません? よりスムーズな進行のために」

 私がスルーしつづけたため、青木さんは自ら提案した。なんとなく直感したのは、誰も従わないだろうということ。私も顔を晒すことが必ずしも誠意だとは思わない。

「オフのままでいいんじゃないですか? そのほうがリラックスできる人もいるので」

 初めて皆の前で青木さんに意見した。ピコピコと果敢に瞬く自分のプロフィール画像を見たとき、ああ、私は中堅なのだと気を強くした。

「いやいや、お互いの顔を見たほうが……」
「青木さん、私のアイコン変わったの、気づいてくれました?」

 半分は賭けだったが、思い切って訊ねた。

「あ、いま気づいた。急に老けたね」
「それに気づかないなら、どうせ表情の機微なんて読めないでしょ」

 これはさすがに言い過ぎかもしれない。しかし攻めた発言がよかったのか、他のメンバーが忍び笑いした。アパートがクリスマスツリーのように賑やかになる。

「いやでも顔を見せないと……」
「ちなみに田辺さんも変えてますよ。気づきました?」

 やけに強気な自分にハラハラしながら新たなプロフィール画像を見つめる。急に老けた自分がフレッシュに見えた。

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