約49年の逃亡生活の果て、2024年1月に偽名で入院、末期の胃がんとわかり、本名を明かした4日後に亡くなった桐島聡(きりしま・さとし)。彼がいかにして新左翼過激派集団「東アジア反日武装戦線」のメンバーとなり、爆弾犯として指名手配され、その後どんな逃亡生活を送ったのか──。
そんな桐島聡の半生を、事実に基づくフィクションとして描いたのが映画『「桐島です」』だ。ライター・編集者の北沢夏音は、『「桐島です」』で主人公・桐島聡を演じた毎熊克哉の微笑みが印象的に写るポスタービジュアルを見た瞬間、「この映画は傑作になる」と確信したという。

北沢が『「桐島です」』や映画の時代背景を語る『Quick Japan』YouTubeチャンネルにアップされた動画を引用しながら、作品の見どころや“桐島聡”という人物を生み出した1970年代の時代背景を紐解いていく。
桐島はなぜ爆弾を仕掛けたのか?
“桐島聡”と聞いてまず思い浮かぶのは、笑顔の指名手配写真だろう。しかし、その背後にある経歴や事情を知る人は多くないはずだ。
「桐島は1954年、広島県福山市に生まれ、のちに東京の明治学院大学へ進学します。入学後まもなく、1学年上の先輩に誘われて山谷や釜ヶ崎での労働者運動の支援活動に関わるようになるのですが、その先輩が宇賀神寿一さんです。やがて宇賀神さんと、もうひとりの先輩である黒川芳正さんが東アジア反日武装戦線「さそり」を結成する際、新たにメンバーを迎えようという話になり、宇賀神さんが、まじめで誠実な人物として推薦したのが桐島でした」
桐島が事件を起こした当時、北沢はまだ小学生で「犯人たちの気持ちはわからなかったけれど、時代の空気を肌で感じてはいた」という。
桐島について深く触れる前に、彼の行動の動機に深く関わる人物として大道寺将司を紹介しておきたい。大道寺は、1974年に三菱重工爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線「狼」のリーダーだ。
三菱重工爆破事件をはじめとする連続企業爆破事件により1987年に死刑が確定したが刑は執行されず、2017年に獄中で死亡した。映画にも大道寺は登場するが、リアルタイムでは事件を知らない世代の筆者には、闘争に人生を捧げた理由があまりわからなかったのも正直なところだ。その点について北沢はこう語る。
「彼は北海道釧路の出身で、幼いころ近所にアイヌの集落があったそうなんです。子供ながらにも、アイヌの人たちが理不尽な差別を受けていることを身近に見ていたと。そのあと彼が学んでいくなかで、日本の戦後は大日本帝国時代の反省がないまま経済発展に邁進して、アメリカの庇護のもと、またしてもアジアの人たちを搾取しているじゃないかと気づく。そこで、1972年のあさま山荘事件で一度冷めてしまった闘争をやり直そうと、東アジア反日武装戦線が立ち上がったわけです」
日本に存在する差別意識や戦争に対する無反省な態度への憤りが、彼を動かしたということだ。大道寺は1974年に『腹腹時計』という出版物を刊行する。今でいうZINEで、当時は地下出版物と呼ばれた。
本書には彼らの活動の背景にある思想や、闘争への参加を呼びかける文章に加え、爆弾の作り方も記されていた。映画の中でも、桐島たち「さそり」のメンバーが『腹腹時計』を片手に爆弾を自作するシーンがある。「さそり」が大道寺率いる「狼」の影響下にあったことがうかがえるシーンだ。
しかし、なぜ彼らは大手企業、特にゼネコンに狙いを定めて爆弾を仕掛けたのか。
「アジアの人々を安い賃金で働かせているゼネコンこそが、現代の大日本帝国の名残だと考えたんですね。たとえばマレーシアでダムの建設工事をしたときには、環境破壊もしているし、労働環境もひどいものだった。そういう行いを反省しろ、というつもりで大手ゼネコンに爆弾を仕かけていったんです。
映画でも描かれていたように基本的には従業員がいない時間を狙ったのですが、桐島が仕掛けた爆弾で当直の作業員をケガさせてしまい、そのことにショックを受け、それをきっかけに態度が変わってしまったと」

その後、1975年にほとんどのメンバーが一斉に逮捕されたことによって爆弾闘争にピリオドが打たれるが、宇賀神と桐島だけが公安警察から逃れ地下に潜伏することに。宇賀神は先に見つかり逮捕されるが、桐島だけが警察から逃れ続け、ついには一生を終えることになった。しかし、なぜ彼は人生の最後に本名を名乗ったのだろうか。
「『自分はとうとう逃げおおせたぞ』という勝利宣言だと取る人もいますが、僕は少し違うと思って。桐島本人も言ったらしいけど、自分という人間が生きた証は偽名の『内田洋』ではなく『桐島聡』という名前にあって、人生の最後は本名で終えたかったのだと思います」

北沢は続ける。
「先輩の宇賀神さんは18年の刑期で、それもじゅうぶん長いけど、桐島はグループでも下っ端だったし、前科もなかったんです。だとしたら、自首してしまったほうが楽だったかもしれない。
銀行口座も持てないから、給料を手渡ししてくれる神奈川県藤沢市の工務店に雇ってもらって、40年以上肉体労働に従事した。健康保険証もなくて医者にかかれないから、最後は歯もほとんど残ってないくらいだった。結局末期の胃がんで亡くなってしまって、どうしてそこまでして逃げ続けたのか……という大きな謎が残ったわけですよね」
桐島がもっと早く音楽にのめり込んでいたら…
信念なのか、意地なのか。彼の逃走生活を支えた心情はわからないままだが、北沢はある面で桐島にシンパシーを抱いたという。
「彼はすごく音楽が好きだったみたいで、藤沢市内のロックバーの常連だったそう。60年代のロック、リズム・アンド・ブルース、ジャズといった音楽が好きで、特にジェームス・ブラウンが好きだったと聞くと、『自分と変わらないじゃん』と思ったりするよね」
映画には、ロックバーに通い、酒を嗜みながら音楽に身を委ねて体を揺らす姿や、女性シンガーが弾き語る河島英五「時代おくれ」に思わず涙をこぼすシーンがある。映画冒頭、桐島はデート相手から「時代おくれ」と言われて振られているので、その記憶を踏まえて見れば、この場面はいっそう沁みる。

実際、内田洋として桐島は周囲の人たちとうまくやっていたようで、作中でもロックバーの面々とボウリングを楽しむ一面なども描かれている。
「彼が桐島聡だとわかったあとも、誰も一様に彼を悪くは言わなかったそうです。人間味のある男だったんだろうなと思います。爆弾犯だなんて夢にも思わなかった、そんなふうには見えず、優しい人だったと多くの人が証言している。ただ、映画にも描かれていたように、人種差別の話になると突然ブチギレることがあったといいます」

さらに興味深い話がある。桐島は先日逝去したロッキング・オン・グループ代表の渋谷陽一氏と同じ明治学院大学に通っていた。桐島は1954年生まれ、渋谷は1951年生まれ。ふたりがキャンパスで出会っていたら、音楽好きとして意気投合していた可能性もある。
「もし大学時代から音楽に熱中していたら、活動に行かなかった可能性は僕もあると思う。それかもう少し時代が下がって、70年代終わりくらいに大学に入っていたらまた違ったかもしれない。僕が大学に行ったのが1983年で、もう一部の大学を除いてキャンパスに闘争の空気はなかった。だから、桐島が闘争に参加したのは、運命のあやとしか言えないと思う」
闘争に関わっていた監督と、父が爆弾犯だった脚本家
桐島が偽名を使いながらもひとりの人間として働き、笑い、涙した一生を描いた『「桐島です」』は、当時の時代背景を知らなくてもじゅうぶんに楽しめる人間ドラマだ。
この映画を作った高橋伴明監督と脚本の梶原阿貴について最後に触れたい。ふたりは『「桐島です」』の前作にあたる『夜明けまでバス停で』でもコンビを組んでいる。これは、2020年に渋谷のバス停でホームレスの女性が殺された事件をもとにした映画だ。
「高橋伴明監督は、よく社会的な問題をテーマに選びますが、政治色の強い映画に仕上げるというより、娯楽映画として作る手腕に長けた人です。ピンク映画出身で、初めて撮った商業映画『TATTOO<刺青>あり』でも実際に起きた銀行強盗事件の犯人を主人公にしている。連合赤軍事件をテーマにした『光の雨』という映画も撮っていて、ご本人も学生運動に関わっていたと。
最終的には映画の道に進まれたけど、どう生きるか、というところで闘争に関わっていた過去をお持ちであることは大きいですよね。若いころはトガった部分が目立っていたけど、今は円熟の境地に達していて、『「桐島です」』も瑞々しい青春映画、ひとつの群像劇としても観ることができる映画になっていると感じました」
一方、脚本を務めた梶原阿貴に関しては、『「桐島です」』の脚本を担当する上でこれ以上の適任はいない人物だ。なぜなら、映画公開直前に『爆弾犯の娘』(ブックマン社)を上梓し、その中で自分の父が1971年の「新宿クリスマスツリー爆破事件」の実行犯のひとりであることを明かしているからである。
『「桐島です」』は、当時を知らない筆者にとっても、学生運動や闘争に身を捧げた人物たちの人生に想いを馳せることができる映画である。内田洋としての生活で、毎朝歯を磨きインスタントコーヒーを淹れ、隣人と銭湯で鉢合わせ、ロックバーに通う姿は、(すでに言い古されていることではあるが)映画『PERFECT DAYS』で役所広司演じるトイレ清掃員の平山の暮らしぶりを彷彿とさせる(死ぬ間際まで枕元に靴を起き、爆弾事件の夢を見て飛び起きる点では大きく異なるが……)。
実際の桐島聡の一生とは異なる点もあるだろうが、その一片に触れられる映画として重要な作品だ。

次の記事では、書籍『爆弾犯の娘』のポイント、北沢が本書を語る動画について紹介したい。
映画『「桐島です」』
監督:高橋伴明
出演:毎熊克哉、奥野瑛太、北香那、高橋惠子
脚本:梶原阿貴、高橋伴明
音楽:内田勘太郎
撮影監督:根岸憲一
配給:渋谷プロダクション
2025年/日本/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語/105分
(C)北の丸プロダクション
https://kirishimadesu.com/
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