『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』には「20代のうちに経験したいこと」が詰まっている。恋愛映画の金字塔が繰り広げる“答えのない議論”(石野理子)

文=石野理子 編集=菅原史稀


2023年よりソロ活動を開始し、同年8月にバンド・Aooo(アウー)を結成した石野理子。連載「石野理子のシネマ基地」では、かねてより大の映画好きを明かしている彼女が、新旧問わずあらゆる作品について綴る。

第4回のテーマに石野が選んだのは『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)。ユーレイル列車内で出会った男女がウィーンで過ごす一夜を会話劇で映し出す本作は、その後『ビフォア・サンセット』(2004年)、そして『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)と18年にわたる『ビフォア三部作』の第一作目。「恋愛映画の金字塔」と名高く、同時に恋愛映画ファンだけでなく広く支持を集めるこの作品を、石野は「私のための映画だ!」と感じたと綴る。

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』あらすじ
アメリカ人青年ジェシー(演:イーサン・ホーク)と、パリのソルボンヌ大学に通うセリーヌ(演:ジュリー・デルピー)は、列車内で出会った瞬間から心が通い合うのを感じる。ウィーンで途中下車したふたりは、それから14時間、街を歩きながら語り合い……そんな自然な会話の中から、彼らの人生観、価値観、そして心の奥の微妙な揺れ動きが見え隠れする。でも別れの時はもう迫ってきていた。

※本稿には、作品の内容および結末・物語の核心が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください

終わりが受け入れられない気持ち

最終回を見ていないドラマがいくつかあります。理由は「結末が受け入れられるかわからないから」というシンプルなものです。

そういうドラマは、「この関係性をずっと見ていたい」「今の関係や状況が終わりに向かって整理されていく様が見たくない」と私のエゴを強く刺激します。

終わりが受け入れられない気持ちやエゴが、現実の生活まで及ぶと不健全なのは承知です。けれど、ドラマや映画などの架空の世界なら、適度な理想を心に留めて楽しむのはいいのでは?と思うのが私のスタンスです。単純ではないとわかっているからこそ自戒を込めて繰り返しますが、現実では人との関係に線引きをすることは大事だと思っています。

ジェシーとセリーヌの会話劇から見えるもの

さて、今回紹介する作品は、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』です。

この映画には、私の20代のうちに経験してみたいことの理想が詰まっています。そして、恋愛の“れ”の字も知らずにそういうことと無縁で生きてきた私は、この映画から大きな影響を受けました。初めて観たときなんかは、画面に吸い込まれそうになりながら「私のための映画だ!」とうれしくて興奮したのを覚えています。

旅の途中の列車内で出会ったジェシーとセリーヌ。

列車の中で、初対面とは思えないほど会話が弾みます。「これについてどう思う?」とどんどん話題を出すジェシーに答えていくセリーヌ、会話というよりは議論や討論っぽさを感じます。

すぐにジェシーの降りる駅が迫りますが、「君と話していると楽しい」と別れを残念がり、結局、下車せず「一生後悔しそうだ。このまま君と話していたい」「ホテル代はないから夜通し歩く。君となら楽しそう」と必死にセリーヌを説得して、一緒に列車を降りて町を散策します。このセリーヌを説得するときのジェシーがとてもいじらしくてたまりません。

個人的に映画のなかで一番印象的なのが、次の路面電車での「質問タイム」のシーン。

サブタイトルは「恋人までの距離」ですが、すでにカップルかのような距離感で質問をし合い、冗談を言いながら人柄などの理解を深めていきます。この部分で、ジェシーがセリーヌにする「君が我慢できないこと、腹が立つことは何?」という特に好きな質問があります。価値観や人となりがわかる聡明な質問だと感じました。セリーヌはそれに対して「何もかもすべて。戦争に人々が無関心なこと。メディアが人々を支配していること」などと答え、そこからセリーヌがさまざまなことに好奇心と関心が強いことが窺えました。

そのあとに訪れた「名もなき人々の墓」では、セリーヌが自身の死生観について話します。映画の冒頭で彼女が「私は24時間、死を恐れてる」と言ったように、セリーヌは日頃から死に迫られているようでした。

また、遊園地を歩きながらふたりが両親について嘆くシーンでは、ジェシーの悩みが見えてきます。彼は「僕は(親にとって)望まれない子。だからこの世の中に僕の居場所はないんだ」と疎外感と孤独を吐露します。

時が進むにつれてお互いの背景がわかり始め、物事を複雑に考えてしまうセリーヌと、強がって偏屈な態度を取ってしまうジェシー。ふたりは徐々に素直になり、自分自身と向き合うようになります。

もともと、自分のことを簡単にわかってもらってたまるかと思いそうな性格のふたりですが、相手に対する信頼が積み重なり、相手にも少しずつ心を開いていきます。お互いが「一夜限りの関係になるかもしれないなら、すべてをさらけ出そう」と、自分と相手に素直でいること、それを口に出すことを楽しんでいるようでした。

夜も深まりクラブに入ると、ようやく恋愛事情を話します。

恋人と別れたばかりのジェシーは「恋愛とは、孤独でいられない男と女の逃げ道なんだ。世間で言われてることとは逆だよ」「愛は寛大で献身的だというけど、愛ほど利己的なものはない」と悲観したセリフを吐きます。セリーヌも、半年前に恋人と別れ、頭から完全に追い払ったと言います。

そうして具体的なことから抽象的なことまで、答えのない議論を深夜まで楽しんだふたりは、ついに関係の行方について話します。昼間は、朝が来たら二度と会わないという約束をしていましたが、ジェシーのセリーヌへの思いが一夜にしてふくらんでいるのは明らかでした。心の探り合いが続くなか、「私たちには今夜しかなくてもいいじゃない」と“理性ある大人の誓い”で、改めて期待も約束もしないことを決めます。

しかし、この関係は残り数時間の命。「今夜ほど大切な夜はない」とうれしそうなセリーヌに、もどかしさが抑えられなかったジェシーは「僕たちは結ばれるべきなんだよ」「永遠の別れか、君との結婚を選ぶとしたら結婚を選ぶ」とストレートに思いを伝えます。ふたりは列車を降りたときから恋に落ちていて、それぞれが相手の存在によって自由を感じられていることは明白でした。核心に迫られ、理性ある大人の誓いが意味のあるものなのかセリーヌは混乱していました。

「人間は移ろいやすい、束の間の存在」

私は、人間関係は近づけるところまで近づくと、“それ以上知ることがない”というような停滞感や疲労を感じることがあります。それでも、その人との関係を楽しめるかは、自立した生活や人生のフェーズ、タイミングによると思っています。

さらに、人を知ることで自分を知り、心がほぐれていく感覚を一度味わうと、独自の基準ができて、同じような作用を自然と求めてしまうことがあります。

セリーヌは「その人を知れば知るほど好きになる」とジェシーに伝えていて、私もそうでありたい気持ちはありつつ、実現は難しいと思ってしまいました。

セリーヌと私の違い。それは会話を共感することと捉えているか、情報を交換する手段と捉えているかによって生まれているのだろうと思います。私は、どちらかといえば会話を後者として捉えてしまうのですが、理想はそのふたつが偏りないバランスで交わることではないでしょうか。

ジェシーとセリーヌの会話が尽きないのも、ふたりが日頃からまわりを観察し、その中のひとりとしてどう振る舞うかを考えていたり、互いの好き嫌いの基準や、求めているものが近いと早くに気づいたりしたからかもしれません。

気が合う人と出会い、語り明かすことはこの上なくおもしろくて、興奮しますよね。特に、翌日には別れることが決まっているジェシーとセリーヌの関係において、秘密ほどジャマなものはなかったのだと思います。けれど、それは一夜限りの関係だったから、あり得ることだったのかもしれません。

まさに刺激的で幻想的な夜を過ごしたふたりは、最後の別れ際に半年後に会う約束を交わします。

冒頭のドラマの最終回が見られない話のように、セリーヌは、別れが決まっているなら、ほどほどのところで留まるか、どんなあと腐れも覚悟して一夜を謳歌するかのどちらかで線を引かないといけないとわかっていたのかもしれません。

未熟だとわかっていても、恐れを取っ払い愛に憧れるふたりの人間臭さが魅力的だなと感じました。

自分と相手に言い聞かせるようにつぶやいた「人間は移ろいやすい、束の間の存在」というセリーヌの言葉がよぎりますが、ふたりにはまた巡り合ってほしいと願わざるを得ない映画でした。

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石野理子

(いしの・りこ)2000年10月29日生まれ。広島県出身。2014年、アイドルグループ・アイドルネッサンスのメンバーとして活動スタート。2018年、同グループ解散後、バンド・赤い公園のボーカリストに就任。2021年に解散。2023年よりソロ活動を開始し、8月に、バンド・Aooo(アウー)を結成。また..

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