度重なる首絞めによってポイントが貯まり、浩史自体は状況に慣れを覚え始める。次第に、アスカからの首絞めを待ち望むほどにもなるのだが、ある日、首を締めながら涙を流すアスカを見て気づく。
「違う、そうじゃない。断薬を頑張っているのはアスカなのに、ポイントを貯めて得するのは俺じゃないか。特典変更だ。10ポイントで高いご飯。30ポイントで遊園地デート。50ポイントで温泉旅行にしよう」
「大丈夫、特典もふたりで楽しめるものにしたし、俺はつらいことの中に楽しいことを発見するのが得意なんだ。俺たちはやっていける」
泣きじゃくるアスカを、必死に支えようとする浩史。昔から首を鍛えていたこと、だからこんなことまったくつらくないのだと、首ブリッジを披露しながら必死にしゃべりかける。それを見てやっと笑顔を見せるアスカ。浩史は、ただただ、ふたりで生きていこうとしているのだ。
相手と並ぶことで寄り添う姿勢
浩史は、目の前の相手が「なぜそのような行動に至ったのか」をあまり考えようとしない。自分に嘘をつき、裏切るアスカに対しても、その行動をきつく咎めることはない。ただ、自分も彼女に対して嘘をつくことで、折り合いをつける。
「まあ、いい。こうやって引き分けをたくさん繰り返して、一緒に暮らしてゆこうね。アスカ」
浩史のこうした考え方は、決して「やられた分はやり返す」ということではないのだと思う。あくまでバランスであって、彼は目の前の相手と並んで歩くための選択をしている。
アスカがうつ病になり、身の回りのこともすべて浩史に頼るようになったときもそうだ。負い目を感じるアスカに対して、浩史は自分も閉所恐怖症という心の病気を抱えていることを告白した。
浩史はアスカと同じ病院に転院し、ふたりは川沿いの道を並んで歩きながら、お揃いになった診察カードを眺める。このシーンを見ていると、浩史が大切にしているのは、アスカと並んで生きていくことなんだなと感じる。
苦しんでいるアスカを、強者として支えようとするのではなく、一緒に並んで苦しむ。その苦しみの中に、少しでも多くの楽しみを見出し、共に生きていく。相手に理解を示すのではなく、相手と並ぶ寄り添い方もあるのだなと思った。