かが屋・加賀翔&放送作家・白武ときおの【エロ自由律俳句|第11回前編】ゲストには現代短歌の第一人者穂村弘が登場

撮影=加賀 翔(かが屋) 文・編集=福田 駿


お笑い芸人・かが屋の加賀翔と放送作家の白武ときおが“エロチシズム”にまつわる自由律俳句を詠み合う企画「エロ自由律俳句」。連載第11回には前回の東直子に引き続き、短歌の世界から穂村弘が参加。多くの読者にとってもそうであるように穂村弘は加賀、白武が現代短歌に触れるきっかけとなった人物。夢が叶った二人がそれぞれのエロ自由律俳句を穂村にぶつける。

エロ自由律俳句の書籍化が決定。タイトルは『鼻を食べる時間』1月12日より全国書店にて販売される。

『鼻を食べる時間』
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加賀 翔
(かが・しょう)1993年生まれ、岡山県出身。賀屋壮也と2015年に「かが屋」を結成。『かが屋の鶴の間』(RCCラジオ)レギュラー出演中。

白武ときお
(しらたけ・ときお)1990年生まれ、京都府出身。放送作家・YouTube作家。『みんなのかが屋』『しもふりチューブ』『ざっくりYouTube』(YouTube)、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)、『かが屋の鶴の間』(RCCラジオ)などを担当。【ツイッター】@TOKIOCOM 【メール】[email protected]

穂村弘
(ほむら・ひろし)1962年生まれ、北海道出身。歌人。歌誌『かばん』所属。1990年第1歌集『シンジケート』を刊行。1990年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した現代短歌を代表する歌人の一人。『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞するなど著書多数。

エロ自由律俳句という新しい川

穂村さん、本日はお越しいただき本当にありがとうございます。

僕と白武さんが仲良くなったのは穂村さんの短歌がきっかけだったので、まさかこんな形でお話しさせていただけるとは……。今日夢がひとつ叶いました。

ありがとうございます。よろしくお願いします。

僕が初めて触れた短歌が穂村さんの現代短歌で。現代短歌の世界は穂村さんの世代の方が作った新しい価値観以前以後で別れるのではと思っています。口語短歌の土台を作った方と言ってもいいくらい。

現代短歌もちょうど口語に変わっていく時代だったんでしょう。そうした価値観の切り替えは、誰かひとりが思いつくものではなくて同時多発的に発生するものだと言いますし。

穂村さんの世代が短歌の世界にゲームチェンジを起こしたと思っているのですが、当時は反発ってあったんですか?

そうですね。形式がはっきりしているジャンルだけに反発も強かった。それまでの文体や美意識でやってきた人たちにとっては、歴史それ自体がアイデンティティになっているから納得してもらうのは難しいですよね。ちょっと違うかもしれないけどお笑いでも「漫才じゃない論争」があったように。

いまさら折れるわけにもいかないというか。

うん、それを認めてしまうと自分の何十年かの意味がなくなってしまう、という不安。

もう1本、新しい川が増えることは許さない。

漫画とか映画の世界で新しいジャンルが増えていくときにはどうだったんだろうとは思いますね。2本3本って川が増えにくいのは、短歌がマイナーなジャンルだからかもしれない。

今回はどうしてお引き受けいただいたんでしょうか……。

お誘いいただいたものはあまり断らないんですが……誰が指名されても戸惑う変わった企画ですよね(笑)。前回のゲストが東さん。自由律俳句の専門の人って来たことあるのかしら。

専門家の方はまだいません。詩歌の世界のゲストもまだ数えるほどで。ホストの僕らも手探りで学びながらやってるんですけど。

俳句自体のルールをどれくらい守った方がいいのかとか、どれくらい川柳の世界まで侵食していいのかみたいなところは手探りですね。全然違っているかもしれない。

難しいですよね。僕もあまり自由律の専門作家さんとは出会わないから。今日来る前に、自由律俳句の定義ってなんだっけなと思ってWikipediaで調べてみたりしたけど、普通は山頭火や放哉ぐらいのところで認識が止まっている気がする。そうすると俳句より短いほうはなんとなく雰囲気がわかるんだけど、5・7・5より長い自由律の名作はあんまり思い浮かばないんですよね。

たしかに。僕たちも勝手に短くしてました。

やっぱ短い方が書きやすいですよね。

全然自由じゃないことしてました。

専門的な人に話を聞いても面白そうですね。

それでは加賀くん→穂村さん→僕の順番でひとり5句ずつ詠んでいきましょう。

加賀翔の5句

【加賀の句①】
くすぐり合って動物の目になる

じゃれている最中、スイッチが入ったある瞬間に目元がシュッと変わる瞬間ってありますよね。

ネコとかウサギの目がギュンってなるみたいなことですよね。それが人間にも起こるということですか?

そうです。使っている脳みその場所が変わっているのでは?と感じられるくらいに。

脳波を確認したくなる。

昔『求愛瞳孔反射』っていうタイトルの詩集を作ったのですが、イメージが似ているかもしれません。目の光が変わる感じ。

もちろん拝読してます。

ありがとうございます、うれしい。これは“獣”ではなく“動物”にしているのが効果的なんでしょうね。獣には“性的なものに取り付かれている”という一般的な概念があるからそうしてしまうと句自体もそれに寄ってしまう。

本当におっしゃる通りで、あくまでも冷静であるという側面は残したくて動物とさせていただきました。

たしかに獣だとワイルドな動物に絞られてしまいますが、もうちょっとおとなしい動物でもいいですもんね。ポイントは目だから。

【加賀の句②】
耳を塞がれて内側が鳴る

キスをするときに相手の頭を掴んで、僕も頭を掴まれているという状態です。

お互いが両耳を塞ぎあっているってことですね。すごい状況だ。

耳を塞がれることで外の音が遮断されて、口の中の音だったりいろんな箇所の音が骨を伝わって聞こえてくる、ということなんですが。

舌がもつれる音とかも、より聞こえるようになる。

内側が鳴るのは骨を通してってことか、なるほど。

僕には最中に耳を塞ぎたくなる性質がというのがあって。

相手のですか?

そうです、相手の耳を塞ぎたいんです。その……こちらに集中してほしいという欲求からなんですが。

目隠しよりマニアックですね(笑)。

マニアックなんだ……僕、もっとみんなに伝わるものだと思ってました(笑)。伝わるというか、みんなやっているものだと。

するときもありますけど、そんなに手前の引き出しには入っていません(笑)。

すぐ引いて出てくるところにはなかったですか?(笑) 僕の中では全然埃かぶっていませんでした。

伝わる伝わらない問題ってありますよね。穂村さんは短歌を作るときに、そういうことはどのくらい考えるのでしょうか。

重要な問題ですよね。伝わるっていうのはものすごく大事なんだけど、同時にとても無視したい部分でもある。

わかる人にだけわかれば良いというのと、より多くの人に楽しんでもらいたいという両方の姿勢がありますよね。

本当にそのせめぎ合いですね。詩はもともと神様に向けた祈りだったから、宛先は神様であってユーザーじゃないんだよって言い訳もできるんだけど。

それは僕が短歌に憧れている部分です。前に歌人の方とお話をさせていただいたときに、「お互いの歌集を読んでも理解できるのは3割くらいだ」とおっしゃっていて。だからこそ魅力的というか。これはわからないものですよっていう暗黙の了解がある中で、それが理解できた瞬間や伝わったときに喜びが生まれるものなのかなと。

これは資本主義のせいなのかもしれなくて、ユーザーが偉いっていう価値観が年々強くなっている。最近だと本の最初に「亡き父へ」とか書かれていることを嫌がる人がいるらしい。「金出して買ったの失礼だろ!」というように。

よくお父さんと戦おうって気持ちになりますよね。

「亡き父」だと方向としては天界に向けて書いているんだけど、そうやって上に向かって書かれたものは魅力的であるっていう感覚が昔はもうちょっとあったと思うんですよね。

僕はコントをやっているんですが、ユーザーと祈りの間で揺れている時期がありました。

お笑いの神様もきっといるんだろうから、そこに向けてやってもいいはずで。でもそれも独りよがりと区別がつかないこともあるから結局難しい。神様に向けてやっているんですって言っても、「そんなのは言い訳で、客なんてどうでもいいと思ってるんだろう」と言われたら証明ができないからね。

【加賀の句③】
触れても触れても伝えられない触れたさ

行為の途中に、どうして自分にはこれ以上触れたさを伝えられる行動がないんだろうと思うことがあるんです。「『愛してる』以上の言葉がない」みたいなことなんですが。自由律俳句かというとちょっと感情的というか、あまりにも直接的かもしれません。

たとえ五感全部を使っても、身体的に完全に一体感を得るのは難しいことですよね。ドラッグとかやればまた違うのかもしれないけど。

だから塞いでしまうのかもしれないですね。耳からも逃さないように耳を塞ぐ。

加賀さんの句には身体性の強い作品が多いですね。上から視覚、聴覚、触覚ですもんね。次のが味覚……最後が聴覚。あ、これ五感全部だ!これは意図的ですか?

ありがとうございます。今回はそのような意図で並べました。

それはすごい。

【加賀の句④】
舌が乾いて一旦しまう

相手の体に舌をそわすときに、舌が乾いたなと思って一回引っ込める様。それがすごく可愛らしいなと思って。

この彼なのか彼女は、乾いたっていうのを相手にバレたくないんでしょうね。

乾くまでそんなにずっと出しっぱなしなんだ(笑)。 一旦っていうのもすごいですね。補充という含みがある。

なんだか今日は接近戦というか肉弾戦の句が多いですね。

前回東(直子)さんと句会をご一緒して考え方が変わったんですよ。この句会に臨むときには控えめに控えめにという気持ちが強かったんですが、東さんの句を読んだことで自分の中に広がりができて。直接的だけれども、性的になりすぎないという表現の範囲ができました。

僕たちは勝手にビビってたんですけど、東さんがいとも簡単に「こっちにもゾーンがあるよ」って教えてくれましたね。

割と身体的な表現が多いですもんね、彼女も。

とても勉強になりました。

【加賀の句⑤】
花火の音で馬鹿になっていく体

理性を保とうとしている関係の人と花火を見ているんですけど、花火の音が鳴るたびに音圧で容赦なく体が支配されてすべての考えが持っていかれる。ダメダメ、と思っているのに、ドーン!ドーン!の音でだんだん正直になってしまうというか、何も考えられなくなっていく。

【なっていく】で止めるのか、最後に体をつけるのか迷いませんでした?今回僕も自由律俳句を考えるときに体言を最後につけるのか外すのかの悩みがずっとあって。

とてもわかります。たしかにこれもすごく悩みました。

尾崎放哉の【墓のうらに廻る】とか、体言止めじゃないなあと思ったり。

この句でいうと、【花火の音で馬鹿になっていく】だと読者にはまず顔が浮かぶなと思ったんです。それよりも全身を思い描いてもらいたかった。ほんわり空いてる口元もそうですけど、手元とかにもフォーカスを当てたくて。

なるほどね。体言止めはこれ一句だけなんですね。ほかはみんな動詞で終わっているから、迷った上でここには【体】が必要だという判断なわけですね。

たしかに、最後に【体】がついてることによって体中の水までドーンって麻痺してる様が思い浮かびました。

胃の中身とかもビリビリ鳴っているイメージです。

体現止めもそうですが、短歌をどうやって終わらせるかのジャッジは、穂村さんはいつもどうされてるんですか?

僕は体現止めになりがちなんです。だから短歌の場合は目を横に動かして連作の結句だけを見るようにしています。体言止めが三つ続くとちょっとまずいかなと。

なるほど、バリエーションがあった方がいいんですね。

そうやって確かめるようにしています。

僕の前半5句は以上です。

五感を並べるというのはいいアイデアですね。

こういう並べ方は初めてだったので、ほめていただけてなによりです。

挑戦的でとても良いと思います。

では穂村さんの5句をお願いします。

穂村弘の5句

【穂村の句①】
ウルトラマンが磔になる

実際にこういう回があったんですよね。「ウルトラマン 磔」で画像検索するとたぶん出てくると思うけど。主人公が負ける回、しかも磔にされるシーンは子供心にすごくエロティックに感じて。

【ウルトラマン】と【磔】というのが真逆の言葉同士という感じがしてインパクトがすごいです。

たしかに、なかなか一緒にならない言葉ですね。

初めてこの句を読んだとき、ちょっと穿った見方をしてしまっていました。もともとウルトラマンになりたいと思っていた少年が、大人になってSMのお店で磔になっている様子。

もしかしたら、そういう元・少年もいるかもしれない。

仮面ライダーも最初に磔されて改造されますよね。

石ノ森章太郎はそのパターンが好きなのかも。脳が見えてるハカイダーとかもエロい。

エロいしかっこいいですよね。あんなにつるんとしているフォルムなのにどうしてなんでしょう。

ウルトラマンがつるんとしているのは仏像からの発想らしいですね。

アルカイックスマイルですよね。

ウルトラマンの顔がですか?

そうそう、初代ウルトラマンをデザインした成田亨は彫刻家でもあって、色々なアイデア案の中から一番要素をそぎ落とした仏像を採用したらしい。

カラータイマーももともとなかったっていう話ですよね。盛り上げるために追加されたんじゃないかな。

それでいうとカラータイマーもセクシーだよね。ピンチになっているということが音と光で直感的に伝えられて子供心にハラハラした。

あのドキドキ感ってセクシーさなんですね!

キカイダーとかも笛を吹くと頭が痛くなるんだっけ。弱点がわかりやすいとセクシーに感じるのかな。

目に見える弱点がエロスにつながるのか。

【穂村の句②】
透明人間の乱交パーティーらしい

透明人間同士のセックスってやっぱりやりにくいのかな。でも理論上は我々が暗闇でやるのと同じ気もする。興奮するのかどうなのか、わからないよね。

あ、そうか!透明人間同士も相手が見えないのか。

勝手に透明人間同士は見えてると思ってました。

透明人間同士も見えてないんじゃないかな。

これはすごい発見かもしれないです!

透明なだけですもんね、透明人間が見える特殊能力があるわけじゃないのか。

それが乱交パーティーになるとさらに難しそうだよね。容姿とか性別とか一切わからないっていうのも結構勇気が要る。

『アイズ ワイド シャット』の仮面舞踏会みたいに、情報が結構ない状態での恋愛の方が真実に近づくんでしょうか?

ひとりだけ非透明人間が参加したらすごく恥ずかしいのかもしれないし。

非透明人間ってすごい言葉ですね。ただの“人間”じゃなくて非透明人間。

何か変な言葉だけどね。

相手の姿が見えないってことは、お互いの体を把握した瞬間の興奮みたいなものもすごいんでしょうか。

僕はちょっと興奮できる自信ないな(笑)。

もしかしたら。わざと目をつぶるのかもしれないですね。そんなことしなくていいのに(笑)。

なるほどね。あまりにも想像の話をしていて面白い。

【穂村の句③】
透けているブラジャーが欲しいブラジャーでなく

透けているブラジャーの存在感ってすごいですよね。目が釘付けになる。でも興奮の源泉であるそのブラジャーを外されて手渡されても、なぜか微妙にこれではない感じがする。あくまでもすごいのは透けているブラジャーであって、ブラジャーそのものにはそこまでの吸引力はない。

外した瞬間に普通の物質になる。

絶対に手中に納めることができないというのがセクシーなんでしょうか。

シャツを脱いでモロに見えると興奮度はガクンと下がるよね。水着と下着のギャップもある。透けているからこれは水着ではなくて下着だ、みたいに脳内のフェティシズムが動くのかしら。

ビーチで見る水着みたいなことなのか。その差はなんなんでしょう。

みんないろんな説を立てるけれども、よくわからないよね。

こっちもセクシーさを間引いて見てるんですかね。

自分も裸になっているから、同じ条件だからオッケーってことなんですかね。

【穂村の句④】
スワンボートの顔に袋が

ある日井ノ頭公園に行ったら全部のスワンボートの顔のところだけに袋が被されてて、それがとても異様だった。バイクに服を着せるみたいに全体を覆うならなんとなく意味もわかるけど、顔だけに被せているっていうのがね。訳がわからないだけに倒錯感があって。

たしかに理由がわからないですね。色褪せとか雨の汚れから守るためなんでしょうか。

うーん、だったら体にもかけないとだよね。日焼け跡とかもずれちゃうだろうし。他は覆われていて顔だけ見えてるのは普通なんだけど、その反対だったんだよ。ノーマル状態の逆。

これもスケ感の延長線上で、普段見えているものが見えないところにエロスがあるんでしょうか。

それもあるかもしれない。

それにしても全部にっていうのがすごいですね。犯罪の匂いもしますけど。顔以外が見えているというのはとても怖い。これが人間だったとらと思うと。

人間で顔だけに被せられて下が裸というのは……

売買感というか。

犯罪的シチュエーションだよね。

なんだか推理みたいになってきましたね。

でもね、その後見に行ったらもう外されてた。なんかクレームがついたのかな。

可哀想だと思った人がいたんでしょうか。

【穂村の句⑤】
蟬よ蟬よ求愛が死に裏返る

セミが泣いてるのは求愛行動のためで、あとはもう木から落ちて死にかけてるか、死んでる個体しかいない。

地上に出てからはその二択しかないんですね。

セミの人生には求愛と死の二択しかないの。何も食べないから胃袋もないらしいですし。

裏返るっていう表現がすごいですよね。その瞬間、命が尽きた感じがします。

求愛から一気に直行している。セミは死ぬときに裏返りますし。

7、 8年地中にいて、出てきた途端「誰か!好きです!」って叫ぶしかない。

人間だったら焦るよね。

「やばい!出された!」って思っちゃいます。

中には友達を作るやつもいるんですかね。

恋をしないセミか。

7日目に、「俺らの夏も終わっちゃったな」とか言いながらゴロンと裏返る。

生存の目的から逸れてしまってますね。

セミほど極端じゃないけど、種の目的の第一義が繁殖だとすると人間も結構ズレてるよね。繁殖年齢を終えても生きるし、今だと繁殖しないこともよくありますし。

なんでこんなに長生きなんだろうって思うことがありますね。

江戸時代だと平均年齢が40歳ぐらいとかですよね。

僕が子供の頃、「巨人の星」っていうアニメを観てたら星一徹が「人生は60年というが」って言ってたのを覚えてるんだよね。それだと僕はもう死んでることになるんだけど。そのちょっと後に「男どアホウ!甲子園」っていう野球アニメの主題歌では「どうせ人生七十年だ」って歌っていて。

ちょっとずつ伸びてるんですね(笑)。

この前タクシーの中で観た水のCMではタレントさんが「120歳までこれを飲んで生きる」って言っていた。じゃあ僕は「巨人の星」の頃から、一歳も年を取ってないんだって思ったの。

寿命から逆算するとたしかにそうですよね(笑)。

これはイメージの問題だけどね。

今後何歳まで短歌を作るんだろうって考えたことはありますか?

それは考えたことないですね。でも、最近は“もうしないこと”を考えることが増えた。ある時までは、まだ観ていない映画とか読んでない本があっても、いつか観るだろう、いつか読むだろう、って漠然と思っていたんですよ。でもあるとき突然、たぶん死ぬまであの本は読まないだろうなって思うわけです。

読まないと決めてしまう瞬間があるんですか?

そう。いつか読むだろうと思っていた『失われた時を求めて』も僕は一生読まない気がする。いつかという日はもうこない。

先延ばしにする、という判断がなくなってしまう。

若い頃というか或る年齢までは、漠然と全てのことをいつかやるって思えるよね。いつか結婚するかもしれないし、子供も生まれるかもしれない。それが具体的にいつかはわからないんだけど、ラインがどんどん後ろに下がっていくだけで、いつかという日はやってくると思っている。

今いっぱい荷物を背負い込んでるから、1つずつ下ろして、やること、やりたいことに手をつけなければと思います。

本当にやりたいことって、怖くて後回しにしてしまうからね。その代わりに何度もやったことをやってしまったりね。何度も読んだ本を読んでしまったりして、読まなきゃいけない本はそのままだったりする。安心だし楽だから。

蟬よ蟬よと2回繰り返しているのは、鳴き声を繰り返す感じを重ねられたのでしょうか。

そうですね、セミの声って輪唱みたいな感じがないですか? でも繰り返すのが2回なのか3回なのか、或いは1回なのか、迷いました。

【蟬よ求愛が死に裏返る】だと、8音・7音と定型に近づいてしまう。

でも、今のでもほぼ定型になっちゃってるからね。

ああ、本当ですね。

どうしても定型になっちゃうんですよ。自分の中に自由律のリズムがないので、果たしてこれでいいのかどうか最後までわからなかった。

すごい!東さんも全く同じことをおっしゃっていました。

わざと崩すのが苦痛で。めちゃくちゃ体が硬い感じになっちゃったんですよね。

これまでに自由律俳句を作られたことはありましたか?

定形の俳句はあるんですけど自由律はないですね。だから、どうしても一回性のリズムが掴めなくて。なかなか大変でした。

白武ときおの5句

【白武の句①】
手で測る頬の仄かな赤さ

お酒飲んで「赤くなってる」「え、酔ってないよ」っていうやり取りのときに、熱を測るために頬に触れる。そうさせてくれるってことは自分に好意的なんじゃないかっていう、ほのかな期待があるなと。

熱は触覚で測るけど赤さは視覚だから、これは共感覚表現ってことになるのかな。つまり“甘いささやき”みたいなことで、“ささやき”は聴覚だけど、“甘い”は味覚なんだよね。こういう表現が成立するのはみんなに共感覚があるからで。

真っ赤な嘘みたいなことですか?

そう、この句も触感でわかるのは熱のイメージだと思うんだけどそれを“赤さ”と置くことで感覚にねじれが生じてポエティックになっている。

すごい……これ、初めて言語化していただいたかもしれません。

さっきの加賀さんの五感の表現じゃないけど、五感を統合するような共感覚表現があるみたいです。それがどれだけポエティックに伝わるのかは個人差があるみたいだけど。実生活でも音に全部色がついて見える人もいるらしいし。

穂村さんは五感的なアプローチは気になさいますか?

作り始めってやっぱり視覚優位になるんですよね。だんだん聴覚や触覚にも意識が向くようになって、それから共感覚的に連動する歌が作れるようになってくる。

なるほど……!

でも、五感全部入ってる歌っていうのは少なくて、北原白秋の有名な歌に【君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ】っていうのがあるんだけど、五感全部入ってるのは僕が知っているのだとこれくらい。

え、これ五感全部入ってるんですか?

不倫で一夜を共にした人妻を朝方に返さなきゃいけないという歌で。ロマンチックなんだけどすごく複合的な歌でね。サクサクっていうのは、雪を踏む音なんだけど同時にリンゴをかじる音だったり、雪の白さがリンゴの白さに繋がったりっていう。リンゴの香りがあって味覚があって、もちろん雪は冷たいっていうんで、これは五感が入ってる。

芸人さんでもネタの覚える時に「このセリフは秋がふたつのイメージだから栗と紅葉」みたいに覚える人がいるらしいです。ネタ中は栗ともみじを頭の中に浮かべて秋を経由してセリフを思い出すそうで。

そもそも栗ともみじは忘れないのかな(笑)

たしかにそうですよね(笑)。その人も「どうせ伝わらないから、気にせず書きますね」って文章にしていたんですけど。

そこまでくるともう超能力の話みたいになってくるね。

僕はこの句を見たときに、熱を測っている手は手ひらでっていうよりも手の甲で触ってるイメージが浮かびました。その距離感がなんとも絶妙でセクシーだなと思います。

たしかに、手のひらよりも手の甲の方が繊細な感じですね。

【白武の句②】
月光を頼りに探す波打ち際

最近真っ暗な海に行ったんです。星が綺麗に見たんですけど、月明かりだけしか頼れるものがないくらい真っ暗なところで。靴を脱いで波打ち際を探していたら、自分が海の中をどんどん進んでいって、太宰治じゃないですけどもうここで終わってもいいぐらいの気持ちの移ろいを感じたんですよね。

波打ち際そのものが動的で、固定された位置にあるものじゃないから、そこが情緒的ですよね。こことは言えないものだから、波打ち際というのは。

毎秒変わり続けているものをこれと定めるのは難しそうです。

素足で探しているとすれば触感で、月光は視覚なわけだからこれも広義の共感覚表現かもしれない。

最初に【月光を頼りに探す】って見た時には明るい!と思ったんですけど【頼りに探す】っていうところで、光が絞られていく絵が頭の中に浮かびました。それが想像したことのない感覚というか、月光で始まる句でありながら暗さを表現しているのがすごい好きだなと思いました。

【白武の句③】
ふく積み上げて夜を掃き出す

学生時代からずっと好きだった子といい関係になれた時に、やっと長い夜が終わるなって思ったんです。長い夜を掃き出せたなと思って。そのイメージを句にしました。

「ふく」はなんでひらがななんだろう。

放哉の自由律俳句に【ふとん積みあげて朝を掃き出す】という句があって。「ふとん」がひらがなだったんです。

なるほど本歌取りか。布団はひらがなでもわかるけど、服はあんまりひらがなで見ないからなあ。本歌取りだってわかる人はいいけどね。

僕は「ふく」が幸福の「ふく」ともかけてるのかなと思いました。

気持ちと衣服がダブルミーニングになってるのか。長かった夜にかたがつくみたいな。ところで放哉の【朝を掃き出す】っていうのはどういうことなんだろう。布団を積み上げているんだよね。

放哉は須磨寺の掃除をしてたんだと思います。

放哉もそんなに深い意味ないよって感じなんですかね…。日常的なことで詠んでいるのか。

多分そんな気がします。新しい朝のリセット・解放感を表現しているのではないでしょうか。

【白武の句④】
いつもの湯船半分こぼれる

パートナーと初めて同じ湯船に入る時に水位をいつも通りの設定にしていたからすごくこぼれてしまって、こんなにこぼれるんだって思ったんです。イメージとしては驚きと喜びを表した句ですね。

お湯が半分もこぼれたんだ。

イメージは半分ですね。

ずいぶんこぼれましたね(笑)。それが喜びってわかります。

たしかに僕も大柄な人を想像しました。

ひとりだとギリギリこぼれないって感じなのかな。

僕は立ち上がったところなのかなと思いました。こぼれた後の絵が思い浮かびます。

【白武の句⑤】
ドライヤーで抜け落ちた毛そのままに

これまでのお付き合いしてきた女の子は結構目が悪い子が多くて。

そうなんですね(笑)。

お風呂に入ったあとに裸眼になって。ドライヤーをかけた後洗面所にすごい毛が落ちていて、なんでこれ片付けないんだろうって毎回思ってたんですけど、目が悪いからだっていうことに気づいた時に愛おしさを覚えたんです。裸眼だから汚れてることに気づけない。

なるほどね。怒ってんのかと思った(笑)。

たしかに今このときは可愛いと思ってるけど。

これが10年目だったらまた汚しやがって!ってなるのか。

【抜け落ちた毛をそのままに】って読んで、特別な憧れの人と、たまたま一夜を共にした印象を受けました。「あー、付き合えないなこれ多分」ってなってるのかなという風に思ってしまいました。

たしかに毛をずっと大事に残している、とも読めますね。

エピローグ

前編はこれで以上です。

ふたりともとても上手ですね。自由律俳句というものをとても柔らかく表現できている。書かれている部分だけで書かれていないところまで想像できますね。

まさか穂村さんにそう言っていただけるとは。

何を書いて何を書かないか、よくわかんなくことがあるんだよね。

穂村さんでもそう感じることがあるんですか!?

わからなくなること、ありますよ。どんなセオリーにも例外はたくさんあるから。

説明をしすぎるとかっこ悪くなったり。

そうそう。でもそれでいてかっこいいものもあるし。結局は詠み手と作品のマッチングなのかもしれない。

キャラクターを積み上げていけば、そういうの人の句だよねってなる。

与謝野晶子がやるのはいいけど、他の人がやると目も当てられないこともある。

継続することが大事なんですね。

あとは僕も今回苦労したんだけど、ほぼ定型の句でも定型感が強く感じられる場合と自由律っぽく見える場合がなぜかあってね。例えば【月光を頼りに探す波打ち際】はかなり定型に近いんだけど、自由律っぽく読めますよね。

ありがとうございます。

さっきも言ったけど短歌みたいな定型の韻律に長く触れていると、型を崩そうとしても定型感が出ちゃう。

自然とはめてしまうんですね。

もう癖になっているんでしょうね。

いつもの自分のリズムから意図的に外すっていう作業でしたか?

実はそれすら結構難しい。【ウルトラマンが磔になる】は7・7。【スワンボートの顔に袋が】も7・7だからね、定形になっちゃうんですよね。

僕も11にしなきゃ、13、 9にしなきゃみたいに思うことは多くあります。外さないと、外さないとって。

でも、はまってなければいいっていうのともたぶん違うんだろうね。

うーん、そうですよね。

住宅顕信の【ずぶぬれて犬ころ】っていう自由律俳句があるけど、文法的には破格の、ちょっと不思議な日本語だけど、でも句から向かってくるものがあるよね。【犬がずぶぬれだ】とか【ずぶぬれの犬を見た】とか【ずぶぬれの野良犬】とか、いろんな表現ができるけど【ずぶぬれて犬ころ】がやっぱり一番いい。どこか突き抜けていて、かっこいいですね。

たしかに、ずぶ濡れてみたいな感じみたいなの言ってみたいと思っちゃってます。狙うといやらしさが出てしまうかもしれないですけど。

たしかに狙うとね。でももしかしたらこの句には何かヒントがあるのかもしれない。自由律の本当のところというのはとても興味がありますね。

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【連載】エロ自由律俳句
お笑いコンビ・かが屋の加賀翔と放送作家の白武ときお。お互いに自由律俳句が好きで、詠んだ句をLINEで送り合う仲であるふたりが、「エロ」をテーマにした自由律俳句の連載。

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福田 駿

(ふくだ・しゅん)1994年生まれ。『クイック・ジャパン』編集部、ほか『芸人雑誌』編集も担当。

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