年間100本以上のお笑いライブに足を運び、週20本以上の芸人ラジオを聴く、19歳・タレントの奥森皐月。
今月は「お笑い第七世代」から、奥森皐月が最近気になる芸人をピックアップ。霜降り明星・粗品の炎上騒動、四千頭身・後藤の“元気がない”様子に思うこととは。
目次
売れ方もファン層も多様化したお笑い界
「お笑い第七世代」という言葉が生まれたのち、本格的に台頭してきたのが2019年。第七世代という括りができたおかげか「お笑いブーム再来」などといわれていた。
あれから4年経つが、お笑いブームは落ち着くことなく、むしろ加速しつづけているように感じる。世間的に最も注目度が高いのはやはり『M-1グランプリ』で、年末に放送されたその決勝戦の様子が翌年のお笑い界に大きな影響を与えていることは近年でよくわかった。
霜降り明星が優勝したことで「第七世代」がトレンドとなり、マヂカルラブリーが優勝したことで「地下芸人」がテレビでも頻繁に取り上げられるようになり、錦鯉が優勝すれば「ソニー芸人」「おじさん芸人」がアツいといわれる。
千鳥やかまいたちが次々と冠番組を持って、それでもダウンタウンや明石家さんまがMCの番組がゴールデン帯に放送されていて、お笑いの層はここ数年で何層にも重なって厚くなったように思える。
劇場の人気だけで、バイトをしないでも生活できる“若手芸人”と呼ばれる人たちが増えたようにも思える。テレビに出ていなくてもSNS上で大人気の芸人さんがいて、単独ライブが主戦場の芸人さんもいて、YouTubeだけで生活できてしまうほどの芸人さんもいる。
正直もう「売れている」の基準はテレビに出演している本数だけでは表せない。お笑いが好きな人の在り方でさえ多様化していると、SNSを眺めていても劇場に行っても感じる。
もはや、今活躍している人を「第○世代」と括ることは不可能だ。
お笑いが好きだと言うと「今後売れそうな人を教えて」といわれることが多い。
数年前なら「ママタルトですかねぇ」とか「きしたかのがおもしろいです」とか「ダウ90000は観ておくといいと思います」とか「カニササレアヤコさんのYouTubeが最高です」とか答えられていた。
ただ、これも最近は難しい。みんなもうすでに売れているような気がしてしまうし、だいたい売れるってなんだろうと考え込んでしまう。自由に発言できなくなることだろうか。サイン会に人が来ることだろうか。逆ジョイマン。
「第七世代」ブームから、勢いが止まらない霜降り明星
第七世代の筆頭、霜降り明星。この言葉の生みの親であり、「第七」とタイトルにつく番組には、まず霜降り明星がいた。
お笑いを好んで観ている人からすれば若手実力派の代表格のコンビだったとは思うが、結成6年目にして最年少記録を更新するかたちで『M-1グランプリ』優勝。
粗品さんは翌年の『R-1』グランプリでも優勝。史上初の『M-1』と『R-1』の2冠を果たし、26歳で一時代を作るお笑いコンビになった。
私は、ラジオはよく聴いていたが、ファンといえるほどの熱量では霜降り明星を見ていない。それでも霜降り明星のことは本当にすごいとずっと思っている。
第七世代ブームが落ち着いてきたときに「ブームが去って、時代は安定感のある第六世代だ」などと書かれている記事を見て、少し落胆したのを覚えている。
その間にも着々と『しもふりチューブ』の登録者は伸びつづけ、『霜降り明星のオールナイトニッポン』も1部でつづき、個人でもそれぞれ多方面に活躍し、絶対的な位置を確立していた。
せいやさんの騒動後のラジオが絶賛されていたことも忘れてはいけない。注目度が高まっており、報道に言及するのを待っている人たちが大勢いたのを、お笑いでねじ伏せた。
もちろん好き嫌いは人それぞれだが、間違いなく霜降り明星は凄まじいことを成し遂げてきた。ほかの芸人さんが成し遂げられなかったことを次々と、だ。
粗品のすごさを世界が再認識した『オールナイトニッポン』
最近立てつづけに粗品さんが炎上していた。それに対して特に感情はないのだが、流れ弾のように「霜降り明星はおもしろくない」「消えた」「なんで売れたのかわからない」のような意見を発している人がいた。
それはどうだろうかと思ってしまった。どれだけ反感を抱かれても、『M-1』優勝の最年少優勝記録であり、初の『M-1』『R-1』の2冠で、お笑い第七世代として先陣を切って今のお笑い界の盛り上がりを作ったという事実は変わらない。
そんな中で8月11日放送の『霜降り明星のオールナイトニッポン』が単純な「おもしろさ」「すごさ」だけで話題になったのはうれしかった。
せいやさんのお休みにより、粗品さんと粗品さんがトークするという異例の放送。多くのリスナーが戸惑いながらも、その斬新さと美しさと完成度の高さに唸らされていた。
放送が話題になったことでネットニュースにもなり、改めて「粗品さんはすごい」という空気が流れた。炎上を招くような発言は到底擁護できないけれど、その才能がフラットに評価されてほしいとは思う。
今回の『オールナイトニッポン』は久しぶりに、粗品さんのすごさを世界が再認識せざるを得ない状況に持っていく結果になっていて、素敵だと思う。
2019年に『R-1』優勝後の特典として放送された『霜降り明星・粗品が今一番やりたい企画TV』も、今回のラジオに通ずる魅力が詰め込まれた番組だった。
街ブラロケとして始まるが途中で冒頭に戻ってしまうというループもので、伏線もあちこちに張り巡らされている。「伏線回収」とはよくいうようになったが、バラエティにおいてあの時点であれだけの内容を放送したのは革新的だったと思う。
粗品さんは抜群のお笑いの才能とツッコミ力とセンスを持ち合わせているのはもちろんのこと、インターネットやアニメやマンガなどのカルチャーを通ってきた人の創作ができる。
しかし、絶妙なバランス感覚でオタク文化に寄り過ぎることなく、審査員の心も、ネット上の人の心も、お笑いファンの心も、お茶の間の心も掴んでいる気がする。
実力がありながらも「孤独だ」と発言したせいや
その粗品さんの相方であるせいやさんも、高いお笑いの能力とバランス感覚を備えているからこそ、ファンの心を掴んで離さない。
3年ほど前に『爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!』の放送内で、せいやさんが「孤独だ」と発言していたのが未だに忘れられない。
ここまでの実力と実績を備えている芸人さんの苦悩など、ただ観ているだけの私たち視聴者はもちろん、まわりの芸人さんでさえなかなか理解できないであろう。それでも、この才能同士がコンビとして活動しているのは救いだと思った。
繰り返し言うことではないだろうが、好き嫌いはもちろん誰にでもある。それでも、霜降り明星が好きではないから優れていないと判断するのはいかがなものだろうか。
すべての活動を追い切れてはいないが、私はふたりが一番理想的なかたちでお笑いをしつづけてくれるといいなぁ、と何もわからないなりに思う。
四千頭身・後藤に同情してしまった理由
「お笑い第七世代」と呼ばれていた中でもうひと組、というかひとり、最近気になっている方がいる。それは四千頭身の後藤(拓実)さんだ。
四千頭身といえば、霜降り明星やハナコ、宮下草薙やEXITと並ぶかたちで「お笑い第七世代」としてバラエティによく出演していた。芸歴1年目からテレビに出演し、20代前半で売れっ子となった。
後藤さんの特徴的なトーンから「脱力系漫才」などといわれていることもあったが、シンプルに漫才が画期的だった。トリオ漫才の新しいシステムを見つけ出した、発明ともいえるスタイル。
賞レースで結果を残して売れたわけでもなく、まっすぐネタがおもしろくてブレイクした印象。第七世代の括りの中でも圧倒的に若く芸歴も浅かったが、さまざまな番組に出演していた。
後藤さんはのちにタワマンに住み、アウディに乗り、若き成功者ポジションに。
これはあくまで私の想像なのだが、あの落ち着いたトーンからは計り知れないくらいに、後藤さんはお笑いに熱いと思う。
いい場所に住んだりいい車に乗ったりするのも、「背伸びしてでもいいところに住め!」という、いわゆる芸人魂のような部分があるのではないかと思い描いていた。
しかし、今年に入ってからテレビで「月収が家賃を下回った」と発言し、収入が激減したことなどを話すように。トークで振られると、自虐キャラの立ち回りをしているのを見かけるようになった。
その一方で相方の石橋(遼大)さんと都築(拓紀)さんは、それぞれ趣味や特技を活かして個人で仕事をして安定していると話している。
お笑いにおいて「かわいそう」はかなり相性が悪くて、絶対に言うべきでない言葉だと思うのだが、私は後藤さんに同情してしまった。
後藤さんが調子に乗っているように感じたことが私は一度もないし、あの素晴らしいネタで四千頭身というグループを人気者に押し上げたのは間違いなく後藤さんだと思う。自虐が悪いとは思わないが、その才能に対して世間の評価が低いように感じる。
転落キャラのような扱いに後藤さんが怒らないのもすごいと思う。「俺はネタを書いている」のようなかたちで相方を批判することだってできるはずなのに。
まったく偉そうな素振りを見せていない。もっとおもしろいと評価されてほしいと、だんだん私が悔しくなってきてしまった。意味がわからない。
“元気がない”後藤への愛があふれる『有吉の壁』
ところが、先日放送された『有吉の壁』を観て驚いた。最近元気がない後藤さんに成長してもらう「ポテンシャルの壁を越えろ!後藤の伸びしろ開拓選手権」なる企画が放送されていたのだ。
先輩芸人さんに混じって、後藤さんがさまざまなネタやキャラを披露していく。こんな企画、『有吉の壁』で一度も観たことない。ひとりがずっと出つづけている光景なんて今までなかったと思う。
トーク番組で「お金がない」と発言していたというネットニュース記事まで映像で取り上げた上で、後藤さんを“元気がない”と紹介していてすごかった。“元気がない”という表現がおもしろい。その愛と優しさに心を打たれた。『有吉の壁』は最高の番組だ。
シソンヌのがっちりとしたコントの中で演じたり、きつねのリズムネタに参加したり、ジャングルポケットと身体を張る芸を披露したり、これまでに見たことがない後藤さんの姿をたくさん見られた。
インポッシブルとのコラボもとてもよかった。先輩たちが後藤さんを活かそうとしている姿も素敵だった。終始、後藤さんが愛されているからこその企画だなぁと感じられて幸せな気持ちになった。
「おもしろいもの」が正当に評価されますように
ここまで書いておいてわざわざ記すのも変だが、私は四千頭身のファンでもない。出演している番組を追いかけているわけでも、ライブに通っているわけでもない。
それなのにこんなにも情が湧いて、思い入れが強くなってしまっている。自分でも奇妙だとは思っている。
けれどもこれはひとえに、おもしろいものが正当に評価されてほしいという一貫した気持ちにもとづくものだとわかった。先に述べた霜降り明星についても同じである。
日の目を見ないおもしろい芸人さんがたくさんの人に見つかってほしいと思い、日々お客さんの全然入っていないお笑いライブを観に行っている。出演者3人とお客さん3人の合コンみたいなトークライブとかも観に行っている。
けれどもそれは売れている人にも等しく抱いている感情だった。おもしろいことをしている人が、きちんと見つけられて、知られて、おもしろいといわれてほしい。
かなり単純な考えだと思う。これを強く思いつづけている。
「つまらない」より「おもしろい」と言ってほしい
8月になった。『M-1グランプリ』の1回戦が始まり、『キングオブコント』の予選も進んでおり、先の大きな賞レースに向かっていく時期だ。
お笑いの層が厚くなりライブに通うお客さんも増えているとはいえ、まだまだおもしろいのに売れていない芸人さんはたくさんいる。
何をもって「売れる」なのかはさておき、お笑いが好きな人間であるだけの私にできることは、お笑いを観ておもしろいと思ったものに「おもしろい」と言うことだけだ。
おもしろさを見出せないものに「つまらない」と言う暇がある人には、ぜひおもしろいと感じるものに「おもしろい」と言ってほしい。
加速しつづけるお笑いを止めずに進めるのは、芸人さんだけでなく、観ているだけの私たちなのかも。追い切れないほどの速さのお笑いの激流を見ていて、なんとなくそう思った。