【ネタバレあり考察】宮崎駿『君たちはどう生きるか』はなぜ難解で不気味なのか? 3つの説と、観客が持ち帰る石
宮崎駿の監督作品『君たちはどう生きるか』が、7月14日に公開された。『風立ちぬ』以来10年ぶりとなる長編アニメーションであり、事前に解禁されていた情報はタイトルと1枚のティザービジュアルのみ。それ以外の宣伝広告は一切なし。
82歳を迎えた国民的クリエイターの晩作を、人々は無垢の状態で観るという異例の事態となった。
公開初日の朝一番に観に行った。宮崎駿が自分自身、そしてわかり合える者のためだけに、この現代社会に抱いている危機感、渦巻く理不尽を、奇怪かつ珠玉のアニメーション表現に落とし込んだ『不思議の国のアリス』というのが率直な感想だ。
しかしこれまでの宮崎駿作品にあった、愉快でわかりやすいエンタテイメント性、娯楽性を期待して観に行った人は、難解さに戸惑うだけでなく、グロテスクな表現に生理的にゾッとしたりと、つらい時間を強いられたかもしれない。
それはけっして宮崎駿が衰えたからではない。現代を生きる人々、特に子供たちのためにあえて「不思議な物語を生み出すへんなじじい」に徹したものと見ている。
過去の宮崎駿の発言や、影響を受けたとされる児童書籍『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)と『失われたものたちの本』(ジョン・コナリー)を補助線に、本作の難解さの理由を紐解いていきたい。
目次
2冊の本からの影響と類似点
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、1937年に出版された児童文学だ。父を亡くした15歳の少年・コペル君が、学校生活の中でさまざまな気づきや悩みを抱え、叔父との対話を通して精神的に成長する物語となっている。
“血縁者との対話で成長する”という点では今作と似通いながらも、登場人物も話の筋もまったく異なるもので、今回の映画では主人公の牧眞人(マキ・マヒト)が亡き母からもらったイチ小道具として登場するに過ぎない。
むしろ物語として近いのは、2006年にイギリスで刊行された児童文学『失われたものたちの本』だ。
2021年に翻訳版が日本で出版され、宮崎駿が三鷹の森ジブリ美術館の図書室で「2015年にぼくをしあわせにしてくれた本」の1冊に推薦していた。プロデューサーの鈴木敏夫もラジオで触れていたことから、本作の元ネタになっているのではないかと公開前からネットの一部で注目されていた。
舞台は、第二次世界大戦下の英ロンドン。母を病気で亡くした少年は、父がわずか1年ほどで再婚し、義理の弟が生まれ、義母の一族が代々受け継いできた大屋敷へ引っ越すことになる。義母と相容れないなか、少年のまわりには「ねじくれ男」と呼ばれる不気味な小男が現れ始める。母の助けを呼ぶ声に招かれるかたちで、敷地内にある荒れ果てた西洋庭園から、摩訶不思議な「物語の世界」へ入り込んでしまうのだった。
眞人と境遇が酷似している上に、敵なのか味方なのかわからぬ「ねじくれ男」はまさにトリックスター、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』で眞人を不思議な塔に誘うアオサギ男そのものだ。
「物語の世界」で最初の仲間となる“木こり”は、「下の世界」で眞人を助ける“キリコ”のアナグラムであるし、襲いかかってくる人狼も眞人を食べようとするセキセイインコを彷彿とさせる。今作のモデルとなっているのは間違いないだろう。
それでも「ねじくれ男」と主人公の関係性は、アオサギ男と眞人のそれとは最終的にまったく異なるし、旅の目的も別物だ。出会うキャラクターや出来事も、『白雪姫』や『眠り姫』など世界的な童話に残酷で不気味な味つけを施したものとなっており、今作とはかぶらない。
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』は、今挙げた両作を読まずとも楽しめる、完全に独立した作品となっている。
一方で、眞人が吉野源三郎の本で涙していたページは、物語の終盤にあたる8章「凱旋」のラストシーンだ。主人公が親友に取り返しのつかない過ちをしでかし、後悔に打ちひしがれた末、自分の過ちを受け入れ、言い訳せずに勇気を振り絞って謝罪し大団円となる。
眞人が石を自らの頭にぶつけて大きな傷をつけ、義母の夏子(ナツコ)に“姉の子を自分のせいで傷物にしてしまった”と大きな罪悪感を与えるが、実はその悪意に後悔を覚えていたのかもしれない。だから「いなくなってしまえばいい」と思っている夏子を「父が好きな人だから」という理由だけで探しつづけたのかな……などなど、不可解な行動原理を探るヒントとなっている。
また『失われたものたちの本』も主人公がひどい言葉を投げかけてしまった義理の母と仲直りできるかどうかが大きなテーマとなっている。腹に子を宿した夏子になぜ「あなたなんか大嫌い」「出て行って」と拒絶され、それでも眞人が「お母さん」と呼びかけることで両者が結びつくのか、自分なりの解釈を手にすることができる。
このように難解な今回の物語にあらゆる補助線を引いてくれるので、一読の価値は大いにあるだろう。
娯楽性の逆を行く、難解でグロテスクな物語
過去の宮崎駿作品と一線を画するのは、生理的におぞましさを覚えるような、不気味な場面が多いところだ。また主人公の旅の目的が不可解なまま謎のシーンが次から次へと現れ、セリフに潜む数少ないヒントからなんとか理解しようにも情報処理が追いつかない、ジブリ作品でもトップクラスにわかりづらい作品となっている。
しかしここで「難解で、気持ち悪い映画だった」と、物語やアニメーションを通して得た不思議な気持ちの数々を、作品ごと突き放すのはあまりにも惜しい。不可解で、奇っ怪で、人によっては好奇心を刺激され、気持ち悪さも覚える。そんな物語に仕上げたのは、宮崎駿なりの理由、意図があったに違いない。
それを「(1)日本社会の混沌の現れ」「(2)娯楽産業からの引退宣言」「(3)不思議を与える『へんなじじい』に全振り」3つの仮説として紹介する。
(1)90年代以降「ずるずる下がりつづける」日本社会の混沌の現れ
ひとつ目の仮説は、これまでの作品、特に『もののけ姫』(1997年)以降で宮崎駿が示してきた、今の日本社会の生きづらさを、物語全体へとさらに強く落とし込みたかったから。
宮崎駿は2013年に『風立ちぬ』公開後の引退会見で、「基本的には子供たちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが自分たちの仕事」と話していた。
80年代半ば、宮崎駿は高度経済成長とバブルで浮かれている世間に怒りを覚えたので『風の谷のナウシカ』(1983年)を作った。そして好景気の裏側で荒んだ心に、解放感や献身性、自然の美しさ、精神的自立や連帯意識を吹き込もうと、つづけて『天空の城ラピュタ』(1986年)『となりのトトロ』(1988年)『魔女の宅急便』(1989年)を作った。
しかし1989年にソ連が崩壊し、1991年から日本のバブルは弾け、ユーゴスラビアで内戦が始まるなど、歴史が大きく動き始める。
今までの自分たちが作ってきた延長線上に作品を作れないと思ったんです。そこで体をかわすように、豚を主人公にしたり、高畑(勲)監督はたぬきを主人公にしたりして切り抜けた
宮崎駿、2013年の引退会見にて
そこから日本経済は長い下降期、停滞期に入るが、そんな大変な時代でも「生きる価値があること」を伝えるため、宮崎駿は作品の中で、混沌とした世界に主人公の身を投じ、もがく姿を描くようになる。
『もののけ姫』(1997年)では21世紀に向かう動乱の時代を、中世の枠組みが崩れて混沌とした室町時代に重ね合わせ、自然と人間の対立の中で揺れ動きながらも、美しいものがある、と呼びかけた。
善悪入り乱れるカオスな異界に放り込まれても、千尋(『千と千尋の神隠し』)のように四の五の言わずに働けば、生きる力は獲得できる。ポニョと宗介(『崖の上のポニョ』)のように愛をつらぬき責任を果たし切れば、きっと祝福を受ける。
そして先の引退会見で、経済の低迷は2035年ごろまでつづくであろう、と予見していた。
それから長い下降期に入ったんです。『失われた10年』は『失われた20年』になり、ね。半藤一利さんは『失われた45年になるであろう』と予言しています。たぶんそうなるんじゃないかと
宮崎駿、2013年の引退会見にて
宮崎駿の見立てどおり、『君たちはどう生きるか』の制作が2016年に始まってから現在まで、日本の状況が「ずるずるずると下がり」つづけている──とすると、これまで物語に反映してきた混沌を、今作では「お話の筋」「主人公の目的」も廃してとことん強めたとしてもおかしくないだろう。
(2)娯楽産業からの撤退と、理想的なアニメーターの背中
ふたつ目の仮説は、2013年の引退宣言は「娯楽産業」からであり、アニメーターとしてものづくりの喜びを享受する方向に振り切ったから、である。
宮崎駿は先の引退会見で、「監督になってよかったことは一度もありませんけど、アニメーターになってよかったことは何度もあります」と話している。
アニメーターというのは本当になんでもないカットが描けたとか、うまく風が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、光の差し方がうまく描けたとか、そういうことで2、3日は幸せになれるんですよ。短くとも2時間は幸せになれるんです
宮崎駿、2013年の引退会見にて
(中略)
実際に監督になる前、アニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ることだと思っていた。風や人の動きや、いろんな表情や、まなざしや、体の筋肉の動きそのものの中に世界の秘密があると思える仕事なんです。それがわかったとたんに自分の選んだ仕事が非常に奥深くてやるに値する仕事だと思った時期があるんですよね」
この世界のありとあらゆる動きを観察して、物理法則や生理現象、人の感情といったこの世の“秘密”を見つけ、1秒間24枚以下の絵の連続に落とし込み、本質を子供たちに伝える。これが1963年、当時22歳の宮崎駿が東映動画に入ってから見つけた、アニメーションにおける喜びだった。
しかし同じく1963年に放送開始となった『鉄腕アトム』の大成功から、娯楽産業としてのテレビアニメが一気に増加。業界では慢性的なアニメーター不足が叫ばれるようになった。放映時期に間に合わせるため、同志たちから理想のアニメーションを追求する時間が奪われていることに、宮崎駿は危機感を覚える。
それでもあらゆるスポンサーやタイアップのもと長編アニメーションを作りつづけ、大衆娯楽として観客を楽しませる監督の責任も果たしつづけなければならなかった。
2013年の引退会見で、70代は次のように過ごしたい、と話していた。
(日本社会並びに経済が)ずるずるずると落ちていくときに、友人だけでなく若い一緒にやってきたスタッフや、隣の保育園にいる子供たちの生きているところを……僕の横にいるわけですから、なるべく背筋を伸ばして半藤さんのようにきちんと生きなければいけないと思っています。
宮崎駿、2013年の引退会見にて
(中略)
あとぼくは文化人になりたくないんです。ぼくは町工場の親父でして、それはつらぬきたいと思っています。だから(世界に向けて何かメッセージを)発信しようとかそういうことはあまり考えない。
このときの引退宣言は「娯楽産業」からの話であって、町職人として仕事はつづける。昔から理想としてきた「世界の中から秘密を見つけて喜ぶアニメーター」に振り切り、その姿勢と珠玉のアニメーションを通して「君はどんなやり方で世界の秘密を暴くのか?」と問うているのが、本作のひとつの側面だったと見ている。
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