豊川悦司が「トヨエツ」を受け入れられたきっかけ(てれびのスキマ)

てれびのスキマ

テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。

『日曜日の初耳学』

「インタビュアー林修」のゲストは、バラエティ番組はもちろんトークゲストとして出演することも珍しい豊川悦司。中学1年のときに手塚理美にファンレターを書いて返事が来てうれしかったから、今でも自分宛てのファンレターには極力返事を書いているという話から、『愛していると言ってくれ』には企画から参加し、脚本の北川悦吏子と毎日のようにFAXでやりとりし、シナリオを作っていったという話など話題は多岐にわたる。

関西出身のため、日常的に吉本新喜劇や松竹新喜劇に触れてきた豊川は、好きだった芸人を聞かれ間寛平、木村進、原哲男、桑原和男らの名前をよどみなく出し、林からギャグをリクエストされれば原哲男の「誰がカバやねん」を「ちょっと間があって言う」と、シュールな間にこだわりつつ再現。ギャグを言うときもトヨエツの口調そのままなのがなんだか可笑しい。

「トヨエツ」という愛称については、最初は「どうせトヨエツと4文字使うなら豊川悦司って書いてほしいな」と思っていたそう。その当時を「若いころは何かしらトガりたいっていうか、トガってた時期はあった」と振り返り、「あのころはそういうふうにしないと俳優の世界で生きていけない強迫観念みたいなのがあったかもしれません。余裕がなかったんでしょうね」と述懐。「トヨエツ」を受け入れたきっかけは1996年の映画『八つ墓村』の撮影。市川崑監督から現場で「トヨエツくん」と呼ばれ、嫌ではなくなったそう。スタジオの中島健人は、行定勲監督から一緒にいた豊川悦司を紹介された際、びっくりして「あ、トヨエツ!」と言ってしまったというヤバい言動を告白。その際、豊川は「全然いいよ」と言ってくれたそう。

豊川は「時代劇だからこそできることがある」と、自主規制などで表現が厳しくなった今、時代劇なら許されることもあるからこその可能性を感じているといい、日本映画のみならず世界映画のカテゴリーのひとつとして成長できるジャンルではないかと語る。日本では興行成績が読みにくいとしてなかなか作られにくいそうだが、「リスキーに映画を作っていけば開拓の余地がある」と語る。そこには豊川の危機感がにじみ出ていた。日本人が出る海外制作の時代劇がどんどん増えていくと予測する豊川は、制作サイドが遅れを取らないようにしなければ、海外に「時代劇が乗っ取られる」のではないかと。これまでもそういうジャンルをたくさん見てきたから、確かに近い将来そうなってしまいそうだなと思ってしまった。

『マツコ会議』

前週につづき『マツコとマツコ』以来、8年ぶりに再会したマツコロイドと石黒教授がゲスト。『マツコとマツコ』でのナイツとマツコロイドが組んだ漫才を振り返る。最初はまったくうまくいかなかったが、「ボケを立てる」のが大事で、発音と抑揚、間を修正すると見違えるくらい改善されたのが、改めて観ても興味深い。

石黒教授の「ロボットを研究して人間に近づけようとすることがすごく人間を理解することにつながってくる」という言葉に深く共感するマツコは「知性を得たいという欲望が、人間の中でも一番強い欲望」ではないかと語る。

石黒教授とアバター事業を展開する会社「AVITA」を設立したのは、なんと元日本テレビの西口昇吾だという。彼らが始めたのは、コンビニでのCGのアバター店員の接客。遠隔操作できるため地方の人が東京で働いたり、障害のある人が在宅で勤務できるという。「新しい雇用や社会のあり方を作っている」のだと。勤務状況もデータで管理できるため正当に能力で評価されるそう。

この取り組みを聞いて「本当にすげえ」と感心するマツコは、石黒教授を指し「気難しそうなド変態みたいに見えるけどさ、ロボットとか作ってる人って人間が好きな人だと思うんだよね」と語り、「ロボット=人間を乗っ取る」という固定概念から「そろそろ脱却しないと」と言う。人間にとって「生身」というのがどこまで大事なのか、とても深い話だった。

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1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。

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