“なりたい自分”と“なるべき自分”の狭間に立ち、今とは違う世界線の人生を歩む自己像に思いを馳せる──こうした経験について、誰しも一度は身に覚えがあることと思う。
お笑いコンビ・さすらいラビーの中田和伸も、そんなアイデンティティにまつわる葛藤を抱えるひとり。
本連載は、一橋大卒という経歴を持ちながらも「高学歴芸人」になれないことに悩む彼が、“なぜ、高学歴芸人になれないのか/ならないのか”について掘り下げていく自省録だ。
目次
芸歴9年目……「とりあえず、売れていない」
2022年4月1日をもって、お笑い芸人を名乗り始めて9年目になった。東京都内で、9割方のライブ出演と、たまに訪れるほんのちょびっとのメディア仕事に一喜一憂しながら日々を過ごしている。
売れていない。
もはや加速度的に発信媒体が広がり、加速度的にわけわかんなくなっていくこの世界で、何をもって「売れる」とするかは非常に難しいところだけれども、そんな御託を並べてどうこうできるレベルではなく、とりあえず、売れていない。
膨大な数のお笑い芸人がいる中で、パッと見て分かるプロフィールを持っていることは重要である。
高校サッカーで全国に進んでいるとか、一発ギャグを1000個持っているとか、借金が800万円あるとか、こういうプロフィールがある人はそれだけでまず一つ武器を持っている。キャスティング側に立ったことがないので偉そうに好き勝手言うのは片腹痛いが、あくまで芸人目線で、とりあえず一言目に自分を紹介できる何かがあるというのは、一つ拠り所があるというか、ともかく心強いことである。
たいていの芸人は、まずプロフィールの1行目、自己紹介の一言目、「自分は何者かです」と示すためのとっかかりとして、強かろうが弱かろうが、何かしらをスタンバイさせていることが多い。
東大の次ぐらいにすごい大学を卒業した
僕は、一橋大学を卒業している。
ピンとこない方のためにめちゃめちゃ端折って説明すると、「日本で東大の次ぐらいにすごい大学」と解釈してもらってそこまで差し支えないかと思う。
何をもって「すごい」とするかは難しいところだけれども、そんな御託を並べてどうこう言うのはナンセンスかと思う。京大も東工大も早稲田も慶應もそのほかにも素晴らしい大学は山ほどあるし、そもそも我が母校がいかほどに優れているか、みたいな話がしたいんではない。それに勘違いされたくないのは、学歴があるほうがすごいなんて毛ほども思ってない。さんざ大学がどうこう鼻持ちならない口ぶりで言っておいてそりゃないぜ、と思われるかもしれないが、本当に毛ほども思ってない。
ともかく、有り体に言うと、あくまで属性の一つとして、僕は高学歴である。相方は青山学院大学を卒業していて、それぞれの大学名を伝えると何かしらのリアクションをもらえることが多い。一発で自分たちの存在を伝える何かとして、高学歴というカードを持っている。
「高学歴」のカードを使えない理由は、人間らしいみっともなさ
そしてここからが本題なんだけれども、僕は、僕たちは、「高学歴」で、「芸人」でありながら、「高学歴芸人」たる活躍が一切できてない。
クイズ番組に出ているわけでもなければ、「へえ! いい大学出てるんだねえ(なんかちょうどいいエピソードある)? 」という問いかけに対して毎度「いやいやそんな(いやいやそんな……)」と返してしまう始末である。
「高学歴芸人」なんて名乗る必要ない、ただ武骨にお笑いを貫けばいいのだ、と元気のいいスタンスを取りつづけていればいいんだけれども、ここまでぬめっと芸歴を重ねてしまうとあれこれ思うところも生まれてくるもので、この場をお借りして書かせてもらうことになった。プライドと、諦めの悪さと、ずるさ、いろいろ人間らしいみっともなさがある。
クイズ番組のオーディションで「自分はかなり中途半端」と判明
まだ2年目とか3年目のころ、何度かクイズ番組のオーディションに行かせてもらった。事務所としても、そこそこな学歴があるわけだから引っかかる可能性もあるだろうという期待をかけてもらったんじゃないかと思う。
オーディションはさまざまで、実際の番組よろしく早押しにチャレンジさせてもらうものもあれば、教養や一般常識にまつわるペーパーテストに臨むこともあった。
そこではっきりわかったのは、「自分はかなり中途半端」ということだった。
クイズ番組に出演している人たちというのは、(出られてもないくせに、勝手な、大ざっぱな見立てだけれども)大きく分けて2パターンに分けられる。知名度のある人か、あるいは無名だけれども凄まじいインテリパワー(学歴やそれに準ずる肩書き、シンプルな知識量などを総合したパワーのこと)を持っている人である。
賞レースでいい結果を出したとかそういう、お茶の間に一発でリーチできるような経歴を持っていない僕たちは、それを補って余りある凄まじいインテリパワーを示す必要があった。
オーディションの手応えはいつも芳しくなく、決まって「普通か、ほんのちょっとだけ上程度のインテリパワー」を実感するだけだった。
まだまだかわいいフレッシュマンだった僕は、さほど凹むでもなく、そんなもんか、と思った。
「クイズを山ほど勉強すれば、こういうペーパーテストで高得点を取れるような下地はある気がする。でも、勉強に山ほど時間を使ってしまったら、肝心要のネタを磨く時間が無くなってしまう。本末転倒である。今僕たちがやるべきは、ネタを磨くことである。芸人の本分は、ネタなのだから」
さしずめ、そんなところである。
今になって思う、「できたはず」なこと
そして9年目の現在、ネタを自分たちなりにコツコツやってきて、「なんかちょっと、無いことはないかも? そこはかとなく、無いことはないかも?」ぐらいの気配を感じることはあったが、ともかく売れてはいない。
そして今振り返って思う。そんな、「俺たちゃネタっすよ」というスタンスならば、さっさとプロフィールから学歴を消してもらえば良いのである。
ネタに秀でていて、大人も唸るセンス、賞レースをぶち抜くスケール、そういうものがあったならば、あるいは自分たちがそういうものを持っていると1mmも揺るがない魂の強さがあったならば、きっぱりと学歴とは袂を分かつことができたはずなのである。
皮肉にも、コツコツと受験勉強をこなして進学してきた精神性からは、そうした発想は生まれなかった。
だってせっかく良い大学を出ていて、話の種になるかもしれないんだから、無名ながらクイズ番組にだって出れるかもしれないんだから、消してしまったらもったいないじゃないか。そういう往生際の悪さを、無自覚に抱えていた。
自我の溝
かくして、クイズのオーディションに行っては「まあ俺たちゃネタだから」とみっともなくふんぞり返り、ちょっとした名刺を配るような場面だけ都合良く「一橋なんですよーいやいや全然……(笑)」と体重の乗っていない学歴アピールをすることになる。
売れていない以上、何が本末転倒か。何が本で、何が末かもあったもんじゃない。もし現在9年目の僕が、当時2年目の僕と対面することができたら、そして同じように「まあネタですかね」みたいなことをのたまっていたら、間違ってるぞと言わないまでも、もう少しばつの悪い顔をしたらどうなんだと、呆れた顔で漏らすと思う。
今は、ばつの悪い顔をしながら「ネタをがんばらせてください、お願いします」という思いである。
無知の知じゃないけれども、根性の悪い学歴の抱え方を自覚しながら、「ネタをがんばらせてください」「学歴はちょこちょこ、アクセント程度に使わせてください」「決勝に行ったら、名が轟いたら、クイズ番組に出させてください」「むろん今は今で出れたらめちゃめちゃうれしいです」ともじもじさせてもらっている。
一刻も早く結果を出し、この根性の悪い溝から抜け出さないといけない。
次回へ続く(6月掲載予定)
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