オリンピックに出られなかったアスリートたちの物語。人類は4年ごとに夢を見る
オリンピックはどうなるのか? 各メディアの世論調査によれば、国民の7割以上が五輪の再延期、または中止を要望。もはやオリンピックどころではない、という思いを抱く人も多いはずだ。
そんななか、悲痛な思いでいるのは「4年に一度」のために努力してきたアスリートだろう。朝日新聞によるオリンピック内定選手を対象にしたアンケートでは、回答者の半数以上が五輪開催について「不安を感じている」「少し不安を感じている」と答えていた。そりゃそうだろう。陸上長距離の代表に内定している新谷仁美はNHKのインタビューに対して、「アスリートとしてはやりたい。人としてはやりたくない」と、揺れる正直な気持ちを吐露していた。
もしオリンピックが中止・再延期になったとして、アスリートは何を思うのか? その経験は、過去に2度あった。戦禍によって中止となった1940年の「幻の東京オリンピック」、そして、ボイコットした1980年モスクワオリンピックだ。昨夏に上梓された2冊の本から学びを得てみたい。
『NHKスペシャル 戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い』(NHKスペシャル取材班/小学館)
2019年夏に放送されたNHKスペシャル『戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い』。北島康介や長谷部誠、朝原宣治ら各競技の第一人者がガイド役となり、“幻の東京五輪1940”で活躍が期待されたアスリートたちの無念の人生を辿る、という内容だった。
この番組が放送された当時、まさか1年後に迫った「東京2020」までもが“幻のオリンピック”になるとは誰も予想できなかったこと。だが、結果的に「オリンピックを失うこととは?」思索に先鞭をつけた。
NHKもその視点があったからこそ、「東京2020」の延期が決まったあとに書籍化。放送に入り切らなかったエピソードも交え、オリンピックを失っただけでなく、戦争で命を落とした悲運のアスリートたちの生き様を一冊にまとめている。
たとえば、本書にはこんな記述がある。
《そんななかで浮上してきたのが、オリンピック返上論である。「国家の一大事にスポーツなんかにうつつを抜かしている場合か」(中略)「この事業のためにどれだけの国の予算が浪費されるのか」と懸念する声もあった》
1940年当時、戦争の足音が近づく状況での世論を記したものだが、2021年の今も同じような声は一部である。それだけ今も非常事態である、ということの証だ。戦争とコロナ、安易に比べるべきではないかもしれないが、アスリート側になす術がないことでは状況は酷似する。
ある陸上代表選手は、1936年ベルリンオリンピックでのミスを取り返すべく、4年後の東京大会に向けて人生のすべてを注ぐ。だが、汚名返上の舞台を失うと、その喪失感を埋めるかのように率先して戦地へ赴き、そして命を落とす。
どのエピソードも、無念さ、悲痛さに満ちあふれている。だからこそ、《取材を進めていく中でわかったことがある。それは、スポーツマンにとってスポーツを奪われるということは、人生を奪われるに等しかったということだ》という一節にも思わず頷いてしまう。
そんな失意のアスリートにとって、わずかな光となるのが支える人たちの物語だ。そのひとりが水泳界の重鎮、松沢一鶴。NHK大河ドラマ『いだてん』で皆川猿時が演じた人物、と言ったほうが通りはいいかもしれない。
『いだてん』では、阿部サダヲ演じる田畑政治の横で騒いでいるだけの印象もあった松沢は、1932年ロサンゼルス、1936年ベルリンで日本代表水泳監督を務め、「史上最強の水泳チーム」を結成。1940年の東京大会ではオリンピック委員として開催準備に尽力していた。
それだけに松沢自身、東京オリンピック中止は苦渋の経験だったはず。だが、松沢はそこで思考停止するのではなく、戦禍の選手たちが競技に打ち込めない環境を憂い、「もうひとつのオリンピック」と呼ばれた記録会の実現に奔走する。
番組調べでは、松沢の教え子たちのうち、14人もの選手が戦争で命を落としていた。その苦い経験があったからこそ、松沢は1964年、ついに実現した東京オリンピックの閉会式で、ある仕掛けを用意する。それは、その後のオリンピックの慣習までも変えてしまう大きな革命だった。その詳細は本を手に取って確かめてほしい。
もちろん、この本を読んだとしてもオリンピック開催可否に悩むアスリートや彼らをサポートする人たちの助けには正直ならない。だが、その苦しみ、悩み、葛藤の一端でも知ることで、未来に向けて改めて歩き出す何かのヒントになるのではないだろうか。
本書は、市川崑が撮った記録映画『東京オリンピック』の最後を締め括る、次のナレーションを紹介して終わる。
《人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか》
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