岡崎体育×岸田繁「結局、裏切らないのはヤンキー」京都出身のふたりが語る“地元愛”

2020.1.18

文=鈴木淳史 撮影=森 好弘


岡崎体育と岸田繁の対談の後編。今回は、岸田がブログで言及した“ヤンキー”という群衆について話し合った。

ふたりが触れてきたヤンキー文化はどんなもので、今だからわかる「ヤンキーの大切さ」とは一体なんなのか。同郷のふたりが“地元のヤンキー”像について紐解いていく。

この記事は、『クイック・ジャパン』vol.132(2017年6月発売)に掲載されたインタビューを転載したものです。

地元のお祭りを大事にするヤンキー

体育 岸田さんがブログで宇治のイメージとしてヤンキーについて書いてはったんですけど、ヤンキーという群衆については、どういう意見を持たれていますか?

岸田 俺が中学の時、一番悪い中学が地元の校区やってんな。校舎にガラスの窓があらへんかった。もう強制的に地元の中学に行かされたとしたら、ヤンキーか舎弟か隠れて過ごさないといけない人しかいなかった。

それが嫌やったから、俺は勉強して伏見にある私立の学校を受験して、そこに行った。いわゆるヤンキードラマとかヤンキーマンガは好きやったけど、リアルなヤンキー文化には触れていない。大人になってから、もともとヤンキーやった同級生の友達たちと仲良うなったな。

俺は、ヤンキーって社会勉強になる階級文化やと思ってる。人間力が高い感じがある。しょぼいヤンキーには大学生の時に1回、円町で吉野家から出てきたところで歯折られたことある(笑)。まったく理由もなく13人くらいの高校生に「飛べ!」言われて。お金持ってると思ってたみたいやけど、5円10円しかなかった。せやからクソヤンキーは嫌いです。宇治は今もおるん?

岡崎 僕はヤンキーではなかったですね。宇治は人口も多くないし、学校のクラスも人数は少ないので、そのぶん学校でのカーストの壁が薄めなんですね。暗い奴とかも、まったくヤンキーと関わらない世界にいるわけではなくて。僕、軟式テニス部だったんですけど、部活に入っていないヤンキーが遊びに来るんすよ。「ラケット貸してーや! 打たしてーや!」って。

岸田 ほんで、めっちゃスイング強かったりすんねんな(笑)。

体育 それでアパートの上にボール飛ばして取りに行かないんすよ。僕らが取りに行って。

岸田 最悪やな(笑)。

体育 でも軟式テニス部だった僕含めて、ある程度ヤンキーと話せるようになる奴らっているんですよ。土日に遊ぶようになるんです。そうやってヤンキーと生活していく中で、僕が強く思ったことがあって。今でもFacebookでつながっている元ヤンキーの友達がいるんですけど、めっちゃ地元を大切にするんですよ。

岸田 絶対、地元のお祭りを大切にするね。

体育 お祭りそうですよね。僕ら世代は宇治から出て行っている奴が少ないんです。ヤンキーの奴らがFacebookで「やっぱ俺らサイコーやな!」みたいな感じで飲んでる写真を投稿してるんですよね。これが地方の自治体に暮らしている奴らの感覚やなと思うんです。

岸田 ヒップホップの人たちのレペゼンの感覚とは、また違うよね。

体育 そうなんです。宇治は、そのヤンキー文化が色濃く出ているなと思います。僕もヤンキーたちを外から見ているわけではなくて、仲いい奴もいたから、彼らと似たような感覚になったりするんですよ。そいつらが「宇治サイコーやな!」と言ってるけど、確かに言われてみれば宇治最高やし、そういっている奴らも面白いなと。

この宇治から発信することに潜在的にこだわっている点は、ヤンキーは関係あるのかもと思っていますね。岸田さんのブログで「ヤンキー」という単語が出てきた時になるほどと思ったんです。

結局裏切らないのは“そういう奴ら”

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鈴木淳史

(すずき・あつし)1978年生まれ。兵庫県芦屋市在住。 雑誌ライター・インタビュアー。 ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』(毎週木曜夜10時~深夜1時生放送)パーソナリティー兼構成担当。雑誌『Quick Japan』初掲載は、2004年3月発売号の笑い飯インタビュー記事。

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