作家・演出家・俳優の岩井秀人は、10代の4年間をひきこもって過ごした。のちに外に出て、演劇を始めると自らの体験をもとに作品にしてきた。
目の前のちっちゃい「伝説作り」に夢中だった岩井は、受験して入学した私立高校を予定通り1カ月足らずで退学した。家を離れ、仕事に就き、初めて孤独と向き合うことになる――。
住み込みで働くために静岡へ
高校を辞めることを、父はどう思ったのだろうと考える。当時のことを思い出そうとしてみるのだが、父とそのことについて会話をしたかどうかさえ思い出せない。
高校を退学したあと、向かったのは静岡だった。「静岡にある宿泊研修施設で住み込みのバイトを募集している」と、母が付き合いのあった近所のおじさんが教えてくれたのだ。母に手続きをしてもらい、母に荷造りを手伝ってもらい、母の車で御殿場まで送ってもらう。車中では母とほとんど話さず、「若くして孤独に人生を歩み始めるオレ」みたいな表情で外を眺めていた。心の中は「みんながフツーに高校行って、知りたくもない知識を詰め込まれている間に、この岩井秀人だけ、光の速さで社会に出てきますわ!」とかなり浮かれていた。BGMは尾崎豊の「満員電車に押し込まれ 言葉さえなくした Strange boy」(*1)という歌詞を脳内で再生していた。
働き始めて2日目の夜。宿舎の公衆電話から泣きながら母に電話をかけていた。「もう帰りたい……」泣き言を言う僕に、「もうちょっとがんばったら」と母。それを聞いてさらに泣く僕。完全にホームシックである。
働いていた施設は、これから日本企業で働く外国の人のための研修施設だった。僕の仕事はその厨房で皿洗いと料理を運ぶことである。何百人という人が一度に食事をするから、毎回戦場のように忙しかった。 一緒に働いていたのは地元の人を中心に10人ほどで、料理を作る人、地元のお手伝いおばちゃんが4、5人。それから皿洗いチームとして、中国から来たタイさんとミャンマーから来たミョウさん、そして僕の3人だった。

仕事も大変だったが、それ以上にキツかったのが寮での時間である。住み込み初日、寮の管理人のおじさんは「まだ若いし、ひとりじゃ寂しいだろうから」と言ってふたり部屋に案内してくれたのだが、そこで相部屋になったタイさんが、なんというか、かなりクセが強かった。
タイさんは30歳くらいの巨漢の男性で、地元の中国ではハンコを作る仕事をしているらしく、静岡へは出稼ぎに来ていた。もともとタイさんがひとりで使っていた4、5畳ほどの部屋に僕がお邪魔するかたちになるのだが、部屋は当然、タイさんの物であふれ返り、かなり散らかっていた。自動的に僕のスペースは、2段ベッドの上のスペースだけ。さらにはタイさん、部屋ではほぼ全裸で過ごしていた。独特な体臭が部屋を満たしていた。それまで実家でひとり部屋で生活していた弱小15歳としては、なかなかハードな状況だ。これが一番精神的にこたえたのだが、タイさんは部屋の中で時折、唾を吐いた。そういう習慣だったのだろうか。いまだにわからないが、その様子と部屋の匂いを結びつけて、精神的にさらに疲弊させられた。唾は一応、部屋の隅に吐くようにはしていたが、部屋の中は部屋の中だ。
そして初めての仕事にも疲れ、部屋での生活にも絶望しながら疲れ果てた初日の夜、2段ベッドによじ登って目を閉じると、下からタイさんの馬鹿みたいにでかいいびきが響いてきた。思考がかき消されるほどうるさい。このままだと眠れないと思って枕に耳を押し当てたりいろいろやってみるが、効果なし。さらに試行錯誤していると、今度はなぜか2段ベッドがガタガタと振動し始めた。下を見ると、爆睡しているタイさんがその巨体を激しく揺らしている。「どうなってんの!?」と思ったが耐えるしかなく、その日は揺れつづけるベッドの上でほとんど眠れないまま過ごしたのだった。
*1…作詞/作曲:尾崎豊
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