「死んだ妻が掃除機になって戻ってくる」──あまりにも奇抜な設定でありながら、カンヌ国際映画祭の批評家週間にてグランプリを受賞したタイ発のホラー映画『ユースフル・ゴースト』。そのテーマの奥には“役に立つなら存在を許される”という、現代社会の感覚が鋭く描かれている。
効率性、生産性、すべてに“意味”が強く求められるようになって久しい。人間の存在や価値までもが“有用性”、つまり役に立つか否かによって測られようとしている。ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク監督は、なぜ“有用性”を描こうと思ったのだろうか。そして、社会にいまだ根づく家父長制、政治的な抑圧、環境問題といったいくつもの深刻なテーマを、なぜユーモアを用いて表現したのだろうか。
インタビューを通して聞いた、監督自身のクィアとしての経験やユーモアの精神から、フィルムメーカーとしてのポリシーが見えてきた。
目次
居場所を作るためには生産性が不可欠な時代

──まず、本作の制作における最初のアイデアはどのようなところから生まれたのでしょうか。
タイではホラー映画やゴースト映画がたくさん制作されていますが、そのうちの90%は「幽霊は怖いもの」として描かれています。しかし私がこの脚本、ストーリーを開発し始めたときに頭の中で描いたイメージのひとつは、「幽霊がオフィスの中を歩いている」というものでした。怖がらせるためではなく、働くためにそこにいる。
現代社会は生きるのが本当に大変ですから、死んだ人でさえ家賃を払うために人間社会に溶け込み、働く必要があるかもしれない──そんな考えが浮かんできました。幽霊が「役に立つ」という矛盾した考えがすごくおもしろいし、ばかばかしいなと。それで、このタイトル(直訳すると“役に立つ幽霊”)を選んだんです。
──ナット(ダビカ・ホーン)は、死してなお働き続け、人の役に立とうとします。なぜなら幽霊である彼女は、役に立つことで存在を認められなければ、愛する人のそばに留まることができないから。そうした彼女の姿は、どういったことをヒントに生まれたのでしょうか。
多くのゴースト作品を見ていると、幽霊はほとんど人間のような感じがするけれど、人間ではありません。暗いところにいて、身体は見えず、声だけが聞こえてくる。あるいは、見えるけれど、触れることができない。つまり“人間以下”という描かれ方をしていたと思います。
幽霊が人間並みになるにはどうすればいいか? 彼らがこの複雑な人間の世界に関わっていくためにはどうしたらいいか?と考えたとき「貢献する必要がある」と思いました。働くことで貢献し、人間並みに扱われる。そういうふうに考えたんです。
人間は幽霊を嫌がりますよね。いないほうがいいと思っているし、除霊することもある。役に立たないだけではなく、怖いし、害を及ぼすものだと思われている。ですから、幽霊が社会の中で居場所を探すとしたら、それを乗り越えなければなりません。有益性があり、生産性があり、人のためにとてもいいことがある、そう証明しないといけないんです。「自分は役に立つ」ということを証明しなければならないプレッシャーが大きいと私は思います。
クィアであることの“代償”として求められる優秀さ

──「役に立つなら存在を許される」。その感覚は合理的であると同時に厳しいようでもありながら、ある意味では寛容でもあると感じます。この感覚が「タイ特有のもの」と感じるところはありますか?
「役に立つ」という感覚は、私自身のタイにおけるクィアの経験から来ているように感じます。タイは、LGBTQ+フレンドリーな国として知られていますよね。私の世代のクィアの子供に、親が言うクリシェ(決まり文句)みたいなものがあるんです。「あなたは何にでもなれるよ。なりたいものになっていいよ。ゲイでもレズビアンでもそうでなくても、いい子であればいいんだよ。社会に貢献できるような、役に立つ子であればいいんだよ」って。
だからクィアの子供は、親を失望させないために「何かに秀でていなければいけない」と、すごく感じるんです。ストレートの子供も、もちろん親から期待はされると思います。彼らがどのくらい、親からそういうふうに言われるのかはわかりませんが──ただ私の感じてきたこととして、クィアの子供というのは、クィアであることの代償として“よくなければいけない”とより強く感じていると思います。
クィアでいても許されるけれど、そのためにはいい成績を取るとか、何かコストを払わなければならない。そういう感覚があるんです。
──監督自身のそうした経験が、本作で描かれる「有用性」や、監督が生み出す作品の軸につながっているのでしょうか。
そうです。僕より若い人たちや、もっと年上の人たちの世代がどうなのかはわからないし、彼らはまた違う問題を抱えているかもしれません。でも少なくとも、僕の世代のクィアの子供はみんな、似たような経験をしていると思います。
またそれとは別に、私は、ユーモアというものがすごく大事だなと思うんです。私の世代の人たちは、独特のユーモアのセンスを持っていると思います。タイ人はすごくファニーなところがある。それがどうしてかはわからないけれど、すごくシリアスなことも、笑い飛ばしてしまうんです。おそらくですが、自分ではどうしようもないこと、直せないことなのだから、深刻にならないよう笑い飛ばしてジョークにするしかない。そういうことなのではないかと思います。
そうした、クィアの子供としての私の経験、そして困難な状況にユーモアを使って対処すること。それがこの映画にすごく影響していると思いますし、私自身、フィルムメーカーとして影響を受けているなと思います。
存在するために、何も証明しなくていい社会へ

──「ありのままでいい」「何もしなくたっていい」と、存在そのものを認めるのではなく、どうしたって有用性によって価値が決まってしまう現実、その怖さも描かれていたと感じます。それは、日常のどんな場面で感じたのか、そしてなぜ映画に反映しようと思ったのでしょうか。
社会というのは、そこにいる人たちに対し、常に働くこと、生産的であることを求めていると思うんですね。休みさえ、「また生産的なことができるようになるための休み」である場合が多いと思います。もちろん僕自身も働いているし、作らなきゃ、何かを生み出さなきゃいけないと思っています。
でも、時々思うんです。自分が、何か生産的なことができる、何か素晴らしいものを作れる、そういうことを証明しなくても、“何もしなくても自分のままでいられる”、それが理想的な社会なんじゃないかなって。
──役に立たなければこの世に留まることのできないナットを描くことにより、逆説的に「何もしなくても、何もできなくても存在していいんだ」というメッセージを込めたのでしょうか。
それは、私が描こうと思った核心ではありません。ただもしかしたら、この映画が伝えている要素かもしれませんね。
普通の人は、幽霊なんていてほしくないと思っていますよね。そうした幽霊の「概念」は、社会における特定の層にも当てはまると思います。たとえば……移民を嫌う人、LGBTQ+コミュニティを嫌う人、社会で疎外された人々を嫌う人がいる。そしてどういうわけか、こうした疎外された人々は、自分たちは何かできる、社会の役に立てる、貢献できることを証明する必要があるんです。だから、より多くの仕事や、道徳的とはいえないような仕事をしなければならない。
社会に受け入れられるために、普通の人たちならしなくてもいいような危険な仕事をし、「僕たちはこういうことができる」と自分たちの有用性を証明して、そうして初めて社会で認められているのではないか?──そう感じます。でも、もし私たちがこの段階を超えて、「存在するために、何も証明する必要はない」というところまで到達できたら、それは素晴らしいことですよね。私の映画はまだこの点について議論している段階で、「ただ存在しているだけでじゅうぶんだ」というところまでは踏み込めていません。
幽霊、精霊、人間が共存するユニークなタイ

──タイは、多くの人が霊の存在を身近に感じている印象があります。タイのみなさんにとって、そして監督にとって、霊というのはどのような存在なのでしょうか。
私は幽霊に会った経験もないし、第六感もないのですが、撮影中、幽霊に出会ったクルーがいました。工場のシーンを撮っていたときのホテルで、起きたら7歳くらいの男の子がベッドの端に立っていたって言うんです。私はその日すごく疲れていて、ぐっすり眠っていたので何も見なかったんですけどね(笑)。そういう点からも、タイというのはすごくスピリチュアルな国で、何かのエネルギーがあることを信じている人が多いと思います。
なので、タイで撮影をするときは毎日、監督やプロデューサーがお祈りをするんです。本当に、毎回毎回。それは、もしかしたらタイのすごくユニークなところかもしれません。
たとえば政府の官公庁のビルにさえも、精霊が住む家みたいなものがあるんですよ。そこに何かがいて、その建物を守ってくれているというふうに考えている。もしも精霊のための家がなかったとしても、そこには神様の彫像があります。ガネーシャだったりね。そうして私たちはお祈りをする。それはタイの人にとっては当たり前のことです。本当に信じている人もいれば……実は、私は信じていないんですけれども。
タイには「信じていないのならば信じなくてもいい。けれど、信じている人にも敬意を払って、共存しなさい」といったことわざがあります。信じている・信じていないに関わらず、何を信じていようと、お互いに共存する。そういう対立がないという意味で、タイはすごくユニークなのかもしれません。
──掃除機の姿のナットが、看護師と言い合うシーンがありますよね。ああいう場面もあり得るのかもしれないと想像するユニークなシーンでした。
あのシーンは、映画の中だけのものだと思います。タイ人も幽霊のことは怖がりますよ(笑)。ただ最近、「ひとり暮らしだけれども、幽霊が一緒にいるから寂しくない」というジョークを言う人はいますね。「ずっと住んでいるのに、幽霊は家賃を払ってくれないんだよね」とか(笑)。そんなふうに、ジョークの中にも幽霊が出てくるような感覚はあります。タイ人でも幽霊は怖いけれど、もしかしたら家族や近しい友達の幽霊だったら、それほど怖くもなく、ちょっとケンカしたり、「家賃払え」「なんで皿を洗わないんだ」と言ったりするかもしれません。
意見を伝えるために礼儀正しくある必要はない

──本作には、社会問題や環境問題、史実に基づいた事件も登場します。そしてそれらは、あまりに不条理です。重いテーマを、なぜユーモアをもって描こうと思ったのでしょうか。
それが私のスタイルというか、どうしてもそうなってしまうんですよね。シリアスなトピックを、シリアスに描いてもおもしろくないし、予想どおりになってしまう。一見すごくばかばかしいんだけれども、実はとても深刻なテーマを扱っている作品のほうが、新鮮な感じがするんです。
そして私は監督として、観客を惑わせたり、迷わせたりするのが好きなんです。こっちの方向に行っていると思ったのに、ねじれがあって、あれ? こっちに行っちゃった!みたいなね。どっちの方向に行くのか予想できないほうが、人を飽きさせないしエキサイティングです。こういう経験は初めてだな、初めて見る映画だなと思ってほしいんです。
──まさに私自身も、惑わされたひとりです(笑)。現実社会というのは不条理で、深刻な面もたくさんあります。それをユーモラスに描くことは、現実への抵抗、問題提起……そういうものになり得ると考えますか。
私のゴールのひとつは、映画に対するイメージを覆すこと。賞に値するような作品って、エレガントできちんとしていて……いかにも受賞にふさわしい映画に見えますし、シリアスな作風も必要です。でも私は、ハイアートとローアートを融合させた作品を作りたいという気持ちがありますし、期待を裏切るような演出も好きです。そうやって、受賞作のイメージを覆すことも目標だと考えています。
多くの観客は、無礼な言葉や汚い言葉を使う作品は見るに値しないと考える。そうしたヒエラルキーがあると感じています。私はそれを覆したい。下品だとしても、シリアスなテーマを伝えることはできると思っています。『ユースフル・ゴースト』にも、お坊さんが汚い言葉を使うシーンがあります。人々はそれを嫌がるかもしれませんが、私は正面から人々に突きつけたい。「こういうやり方でも、重要なテーマを伝えることができるんだ」と思っていますし、それが私のゴールのひとつです。
礼儀正しく、きちんとした方法で伝えることだけが、政治的で深刻なテーマを伝えるやり方ではないと思います。いつもきちんとした態度や、尊敬される振る舞いをする必要はありません。自分の意見を伝えるために、そんな代償は必要ないんです。
だから、僕が「抵抗」しているのは、そういう映画のヒエラルキーに対してかもしれません。
役に立たないものが、人生を生き延びさせる

──昨今、カルチャーにおいては「わかりやすくあること」も求められているように感じます。本作は、その点においても監督のおっしゃる「抵抗」があるのでしょうか。
ええ。ただ、「抵抗」するというよりは、遊んでいる感じなんですよね。きちんとしていることや、特権的であるということに対して、茶化しているようなところがあると思います。
私は、撮影そのものや、構図やイメージに関してはものすごく正確にきちっとしたスタイルを求め、目指しています。でも脚本やセリフはすごくばかばかしかったり、いたずらっぽかったりする。それらをミックスするんです。きっちりした構図やイメージに、不適切なものを合わせることがすごく好きなんですよ。意識的に「抵抗」しているかどうかはわかりませんが、意識的に遊んでいるとは思っています。
この映画は、時間も飛んでいるし、ある意味、「Lost in Translation(翻訳では伝えきれない意味や感情など)」があると思うんです。私は、タイに住むタイ人の監督として、少なくともタイの文脈ではこういうふうに解釈されるだろうということは自分でっていて、意識的に遊んでいます。ただ、これが違う文脈──たとえば日本やイギリス、そういう人たちがどういうふうに解釈するか、どういうふうに思うかまではわからない。先ほども言ったように、タイのお寺でお坊さんがああいうことを言うのは、タイ人にとっては本当に不適切なことなんですが、ほかの国ではどう受け止められるかわからない。
──『ユースフル・ゴースト』は、役に立たないとされてしまうものを愛している映画にも感じました。監督自身はそうした、現代の世の中においては意味がないと思われてしまうかもしれないもの、無駄だと言われてしまうかもしれないものに、どんな価値や魅力があると感じていらっしゃいますか。
有用である/無駄であるという考え方は、すごくパラドキシカルだと思います。たとえば寝ることは時間の無駄だと思うかもしれないけど、有益なことにもつながる。あるいは趣味というものは有益ではないといわれるかもしれないけれど、自分が満たされることによって生産性を求める社会を生き抜けるのかもしれない。
有益なもの/有益でないもの、意味があるもの/意味がないものって、スペクトラムとしては逆のところにありながら、お互いを必要としていると思うんです。両方があって……両方があるから、みんなが生き延びていけるような気がします。それに、全部が全部すごく有益なものばかりでは、生き続けていけない。時には、少しばかばかしいものやくだらないものも必要で、そうでなければ人生が成り立たないと思うんです。何か有益なことを行うためには、一見有益そうでないことがあって、それらはお互いを補完している。私たちが生きていく上では、その両方が必要だと思います。
人生におけるあらゆることは、私たちをどこかへ導いてくれるはずです。それらは必ずしも生産性を高めたり、役に立つとは限りません。しかし、そうしたものがあってこそ、人生はより味わい深くなると思います。
■映画『ユースフル・ゴースト』
2026年7月10日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、ユーロスペース、アップリンク吉祥寺ほか全国ロードショー
監督・脚本:ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク
出演:ダビカ・ホーン、ウィットサルート・ヒンマラート、アパシリ・ニティポン、ワンロップ・ルンカムチャット、ウィサルット・ホームフアンほか
字幕翻訳:橋本裕充
タイ語監修:福冨渉
配給・宣伝:SUNDAE(Powered by Filmarks)
(C)2025 185 FILMS, HAUT LES MAINS, MOMO FILM CO.
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