ニートだった福留光帆が学生時代の自分に伝えたいこと「アイドルになれるよ!売れないけどね!」【幸せをつかむマイルール】

文=福留光帆 編集=山本大樹


AKB48を卒業し、のんべんだらりと過ごしていた無職の日々。しかしひょんなことから訪れた幸運をつかみ、ニートから売れっ子タレントに大変身! 人生は何が起こるかわかりません。気まぐれな運命に翻弄されるボートレース女・福留光帆が、日常の中から幸せをつかみ取るための法則を探し出す連載『幸せをつかむマイルール』。ヒップでおしゃれなエッセイ連載になる予定。

福留光帆
(ふくとめ・みつほ)2003年生まれ、兵庫県尼崎市出身。AKB48元メンバー。『佐久間宣行のNOBROCK TV』での大喜利センスが話題を集め、ニート生活を脱出し目下ブレイク中。

福留光帆ってどんな人?元ニートって本当?

春に撮影したデジタル写真集のオフショット!

つい半年前までニートだった私が、まさかエッセイを書くことになるとはびっくりです。人生何があるかわからないとはいいますけども、きっと私をアイドル時代から応援してくれていた方も、家族でさえも、というか自分自身すら予想外。はじめましての方もいらっしゃると思うので、今回は私について紹介させていただくという生意気なエッセイにしたいと思います。

2019年10月、高校1年生15歳の福留光帆はAKB48チーム8の2代目兵庫県代表としてAKB48に入りました。目立った功績もまったく残せず、もちろん選抜メンバーに選ばれることもなく超絶低空飛行のまま2021年7月に卒業。在籍期間は一応3年ほどですが、絶賛コロナ禍に被っていたこともありステージに立った回数は両手両足で数えられると思います。

AKB48チーム8の新メンバーとしてお披露目の日に撮った写真

卒業してからは自分で応募してありがたく入れていただけた芸能事務所に所属はしていたものの、お仕事なんてもちろんなく、実家、兵庫県尼崎市でほぼニートをしてました。バイトを始めてもすぐに辞めたり、昼夜逆転したり、学校帰りの妹が夕方に起きた私のためにご飯を作ってくれることもしばしば。救いようのないニートになる前にちゃんとしなきゃなと思い、医療秘書の専門学校に行こうとしていたところ、とあるオファーをいただき舞台に出演することになりました。

「もう芸能よりもマジメに生きるほうがいいかも」と思い、舞台の出演を迷っていたのですが「昔からの夢だったんだから! 学校は2年後でも3年後でも行けるけど、舞台に出られるチャンスなんてもうないかもしれないよ」とお母さんに背中を押してもらいました。

1カ月だけ東京にマンスリーマンションを借りて、もうこの舞台が終わったらいよいよ芸能も辞めようかななんて思ってた私ですが、千秋楽の日に見たスタンディングオベーションで一気に心変わり。1カ月後には東京に上京しちゃってましたね。

ですがまあ東京に来てもニートの拠点が兵庫から東京に移っただけで、相変わらず親のスネを齧らせていただきながら過ごしていたところ、今のマネージャーさんに出会い事務所を移籍。それがちょうど今年の年明けくらいまでの話です。事務所が変わってこれからどんな感じになっていくかな〜?なんて思っていたところ、2024年2月に佐久間宣行さんのYouTube番組『NOBROCK TV』に出演させていただいたところ人生が一変。好きなことをお仕事にできたり、憧れの番組に出演することができたり、『Quick Japan』さんで連載をさせていただけたり。NOBROCKドリームです。

子役事務所時代の悲哀

ここまでが超絶無名の私がこの連載を始めさせていただけることになった経緯です。

半年前までニートでまともな社会経験ももちろんなく、かなり世間知らずのクソガキではありますが皆様に楽しんでいただける言葉を並べていけたらなと思っております。

経緯は説明できたと思うのでここからは福留光帆という人を説明していこうと思います。まず、幼少期は非常にわんぱくでしたね。私はお姉ちゃんと妹がいて、三姉妹の真ん中なんですけど、基本的にいつも怒られてるのは私でした。常に動き回っていていたずらっ子で、お母さんとお父さんの思い出のグラスをクリスマスに割ってしまったり、頭を4針縫うほどのケガをしてしまったり。迷惑と心配をよくかけてる子だったと思います。水泳を習ったり習字を習ったり、今思うとやりたいって言ったことはだいたいやらせてもらってたなと、しみじみ感謝しています。

保育園のとき(^∪^)

芸能界に興味を持つようになったのは小学4年生のときで、同い年くらいの子がたくさん出てるドラマを見て「私もやってみたい!」ってなったことがきっかけです。駄々を捏ねて子役事務所に所属させてもらったりもしてました。お仕事はちなみに一回もしたことなかったです。ちなみにね。

ただレッスンには1年半くらい通ってました。お母さんにはかなりお金を払ってもらったと思います。きっとこれも読んでると思うのでこの場をお借りして。その節はほんとありがとうございました。

深夜にひとり泣いていた自分へ

AKB48時代、生写真の撮影のとき!

中学生のときは人間関係にたくさん悩みました。なんであんな狭いコミュニティの人間関係に悩んでたんだろうって今なら思うけど、その当時はけっこうちゃんとダメージ受けてました。中学2年生のときにNMB48さんを好きになってアイドルになりたい!って思うようになったんですけど、同級生のTwitterで「あんな顔でアイドルは笑う」とか「オーディション受けてるとか笑える」みたいなことを書かれたりしたなぁ。中学3年生は本当に全身にじんましんが出ちゃったりする時もあったりで、メンタルだいぶ鍛えられました。

今だからこそ客観的に自分を見て、あの時は私も子供すぎたしお調子者が空回りして空気が読めない人だったなと思うので、ハブられる理由もわからなくもないなって。

学校ってほんと狭い世界なのにあそこの場所だけに囚われて深夜にひとりで泣いたり、お母さんに八つ当たりしてしまっているあのころの自分には「そこを乗り越えた先で、アイドルになれるよ! 売れないけどね!」って伝えたいです。

いっぱい寝ると腰が痛い

高校生のときの体育祭!

高校生のときはちゃんと高校生をしました。高校1年生でAKBに加入したので高校とアイドルを両立するかたちだったのですが、まあもちろんそんなアイドル業が忙しいわけではなかったので、お昼ご飯にお友達とカップ焼きそばを作って食べて反省文を書いたり、授業中にアラームがなってしまって反省文を書いたり、授業中に鏡で太陽の光を反射させて誰かにイタズラしようと思って鏡を開けたら、ピンポイントでその光の先が先生の顔で授業中にめちゃくちゃ怒られたり、体育の授業のときに友達と私語をしてしまって怒られて謝りに行ったら、なぜか「お前が一番悪い!」って言われて、「え?」って言ったら「お前のそういう顔がムカつくねん!」と顔で怒られたり。

くだらないことしか出てこなかったけど、高校生活ってこんなもんですよね。高校3年生のときに出席日数の都合で通信制の高校に転校はしたものの、転校先もいい先生ばかりで、高校生に戻りたいななんてたまに思います。本当に若いっていいですよね。20歳なんてまだまだ若いだろ!って思う人もいると思うんですけど、10代との壁をもうすでに感じてます。いっぱい寝ると腰が痛いし、すぐ顔に油は出てくるし、今怖いことは歳を取ることかも。

そういえば20歳になる1カ月前の自分の動画をこの間観たんですけど「どうしても20歳になりたくないので、歳を取らないように気をつけて生きたいと思います」って言ってました。そんなくだらない冗談もう出てこないのでやっぱり10代はいいなと思います。以上。

【連載】福留光帆の幸せをつかむマイルールは毎月更新予定

この記事の画像(全5枚)


関連記事

この記事が掲載されているカテゴリ

Written by

福留光帆

(ふくとめ・みつほ)2003年生まれ、兵庫県尼崎市出身。AKB48元メンバー。『佐久間宣行のNOBROCK TV』での大喜利センスが話題を集め、ニート生活を脱出し目下ブレイク中。

QJWebはほぼ毎日更新
新着・人気記事をお知らせします。