「ぼくたち」は、子供ができたことで何が変わったんだろう?

文=稲田豊史 編集=高橋千里


子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらう連載「ぼくたち、親になる」が来月から始まる。

子供がいる・子供を育てる喜びだけでなく、想定外の困惑や後悔、妻にはけっして言えない悩みもすべて吐き出してもらう、独白形式のルポルタージュ。

聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者・稲田豊史氏。自身にも一昨年子供が誕生したという稲田氏が、本連載を通して描きたいこととは?

「子持ち/子なし」の分断社会で

加速する少子化が一向に止まる気配を見せず、政府の「異次元の少子化対策」に早くもケチがつけられつつある昨今、日本社会における「子持ち」と「子なし」の分断が加速しているように感じてならない。

世に飛び交う「子供は贅沢品」「子育て罰」といった言葉は、日本が経済的に貧しくなったことに加えて、「経済的に余裕がなければ子供を持てない、持つべきではない」という社会の“空気”が生んだものでもあろうし、「親にある程度の資本がなければ子供にじゅうぶんな教育を受けさせてやれない→それはかわいそうだ→だったら子供はいないほうがいい」という短絡な理屈も、それなりの説得力を持ってしまっているのが現実だ。

一方で、「長らく趣味に興じて独身のまま中年となった者が、趣味への情熱が冷めた結果、現在子供がいないことを激しく後悔している」ことを憐れむ/あとの祭りと嘲笑するムーブも、ある種のインターネットしぐさとして定着した感がある。

これは、結婚していないことではなく、子供がいないことについての後悔である点がポイントだが、時に「自己実現に失敗した中年には、子供しか救いがない」といった情け容赦ない言葉が追い打ちをかける。

スマホを操作する人2
※画像はイメージです

子なし組は子なし組で、「失われた30年で割を食った世代」として、主に経済的苦境が結婚や子作りを遠ざけたことで防衛戦を張りつつ、為政者の「産めよ殖やせよ」な態度に嫌悪感を示すことで、なんとかやり過ごす。

インターネット上で、正当かつ妥当な理由で「子供を作らなくてよかった」という人生観など表明しようものなら、「負け惜しみ」「言い訳に必死」などという暴力的な言葉が、表明者の性別に関わらず浴びせられる。

そこで受けた屈辱は時に、ネット上で類型化された「夫の稼ぎに寄生する主婦」へのヘイトや、離乳食を無料提供すると発表したスープ専門店に対する恨み節に転化され、表出する。

なんだか、すごく嫌な感じだ。

男親たちの胸中を白日の下に晒す

言うまでもなくこのような分断は、「子供を作る」ことが、“普通の”人間の人生に“普通に”組み込まれるべきライフイベントである──という常識が、完全に過去のものになったことに端を発している。

従って、ある世代、あるクラスタにとって、今や「子供を作る」「子供を養い、育てる」というアクションには、相応の「動機」や「理由」や「内省」が必要だ。

筆者はその「ある世代、あるクラスタ」を、30〜40代の文化系男子に据え、本連載「ぼくたち、親になる」を企画した。まさに自分が属する世代、クラスタだ。完全に我が事である。

※画像はイメージです

その企画主旨を企画書の煽りイントロ風・マニフェスト風に綴るなら、こんな感じだ。

結婚し、子供を持つに至った「ぼくたち=30〜40代の文化系男子」に、親になったことによる自意識や人生観の変化を、匿名で赤裸々に語ってもらう。テンプレ的なぬるいイクメン礼賛やポジショントークとは一線を画す、あまりにも正直、あまりにもリアル、あまりにもデリケートなルポ。令和の日本で子供を持つ男たちのビターな現実が今、白日の下に晒される。

要するに、個別事例として愚痴や不満を並べるだけとか、子育て世帯に厳しい日本社会けしからんとか、太い実家なしに東京で子作り無理ゲー的な呪詛とか、スーパーハイトワゴンやフードコートってやっぱり便利だよね的なイクメンTipsといった話は、もう語られ尽くしているので、なるべく避けたい。

掘り下げたいのはそこではなく、男親たちのメンタリティだ。彼らの気持ちに寄り添いたい。

ただし寄り添うといっても、味方をするわけではない。ただただ、言葉を丹念に拾う。どんな語りも遮らず、こちらの価値判断をなるべく排して、傾聴に徹する。

匿名だからこその「ものすごい本音」

すでに何人かの取材はすんでいる。

ある男性は「自分の職業にとって、子育てはハンデだ」と言った。
ある男性は「子供が生まれた時点で妻への愛情はゼロになった」と言った。
ある男性は「人間は子供を作って当然。作らない奴はバカだ」と言った。
ある男性は「いい年して子供がいない奴は、どこかおかしい」と言った。
ある男性は「子供がいる人といない人では、根本的に理解し合えないのではないか」と逆質問してきた。
ある男性は「自分の気を狂わせないために、“変化しつづける”対象として子供が必要だった。これで、同一局面が永遠につづく人生の地獄から脱することができる」と語った。

ものすごい本音だ。と同時に、匿名取材であることに納得していただけると思う。

※画像はイメージです

無論、抵抗感を抱く人も多いだろう。当然だ。ただ、彼らにはそう主張するだけの、彼らなりの事情と理屈がある。

それを独白形式で、(ツイッターのように)発言途中で誰かに横槍を入れられたり、文脈を無視して一部の発言を引っこ抜かれてバッシングされたりすることなく、落ち着いてゆったりと語ってもらうのが、本連載の意義だ。数行の短文では言い尽くせない解像度というものが、この世にはたくさんある。

断っておきたいのは、このような「ものすごい本音」がけっして特別で極端な声ではない(かもしれない)ということだ。

彼らは単に、公の場やSNSでそれを言わないだけの慎重さ、賢明さ、良識、マナーを持ち合わせているに過ぎない。彼らは口には出さずとも“そう思っている”し、“そう思っている”人はほかにも多い、と口をそろえる。

なお、今のところ話を聞いた男親の多くは、どちらかといえば「子育てオペレーションの苦労語り」よりも、「子供がいるという自分についてのアイデンティティ語り」を好む傾向にあるようだ。そのこと自体もまた、自分語りが大好きな文化系男子の特徴を見事に表している。ご愛嬌だ。

「子持ち男親の生きる道」から、日本社会が見えてくる

書く人
※画像はイメージです

この匿名取材の果てには、何が待っているのだろう。

「子供がいる人といない人では、根本的に理解し合えない」ことが、解決できない絶望として、露呈されてしまうのか。

あるいは、口当たりのいい理想論としての多様性ではない、「文化系男子が子供を持つこと」についてのガチの多様性が、相応の寛容さをもって社会に受け入れられるためのヒントが提示されるのか。

いずれにしろ、幾人もの男親たちの言葉にとことん向き合うことで、本稿冒頭で書き連ねた「分断」の本質が、きっと見えてくる。今の日本社会の姿が、従来のイクメン論とは違ったアプローチであぶり出されるに違いない。

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稲田豊史

(いなだ・とよし)1974年愛知県生まれ。ライター・コラムニスト・編集者。映画配給会社、出版社を経て、2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の..

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