「狂わない」という凄み
最新作『キャラクター』では、実在の殺人鬼と遭遇し、彼をモデルに執筆した作品によってブレイクし、驚愕の運命を迎えることになる漫画家を演じる。
彼をアシスタントとして起用していたベテラン漫画家は、劇中で主人公を次のように評する。
「あいつは、いい奴だろ。だから、悪人が描けない。いくら画がうまくても、デビューできないのは、そういうことだよ」
クリエイションの世界で「いい奴」とは、凡庸を意味する。つまり、普通。つまらない普通人だ。
画力はある。漫画への愛情もある。漫画家になりたいという熱意も努力も欠けてはいない。しかし、その先がない。そんな人物を菅田将暉は体現している。
ダウナーな無個性ぶりは、たとえば『二重生活』における陰鬱さ、あるいは『生きてるだけで、愛。』での受動態などを想起させもするが、まったく違う。人間として、もっともっとゼロ地点に向かっている。
設定こそクレイジーだが、菅田の役が『ディストラクション・ベイビーズ』や『タロウのバカ』のような暴発を引き起こすわけではない。むしろ、「狂わない」という凄みがある。
菅田将暉が創り出した「もうひとつの世界」
『キャラクター』では、菅田将暉の独自の呼吸法が際立つ。
俳優によって、表現のアプローチは違う。ある者は首をほんの少し傾けることで、ある者は鼓動を遅らせることで、ある者は静止することで、その演じ手にしか派生し得ぬ特殊な領域に誘い込む。
菅田の場合は、呼吸のありようによって、人物の特性を露わにすることが、『キャラクター』を見ているとよくわかる。
呼吸によって歩行も決定づけられている。息、に従って、身体全体が移動していく。考えてみれば、私たちもまた日常をそのように生きているのだが、そのことをスクリーンで目撃=実感することはなかなかない。菅田は、キャラクター固有の呼吸によって、私たちを吸引する。心地よく罠に落とす。
『キャラクター』の主人公は、彼の妻に何度も、「少し休んで。しかも、何も食べてないじゃないの」と心配される。確かに、劇中で彼が何かを食べていた記憶はない。いや、食べていないどころか、息さえしていなかったのではないか。そのような印象がある。この印象は、観客の心象に、ある傷を残す。
あるスケッチが、物語の導火線になるが、夜間の屋外で棒立ちになりながら、一軒家をスケッチしている漫画家の姿からは、彼が息を止めて、一心不乱に対象を凝視し、精密に、細密に、描写していることが伝わってくる。つまり、彼の精神は、魂は、そのとき「真空状態」と化している。菅田は、そのありようを無言で表現するばかりでなく、そのあとの流転する物語の内部においても、妻や、刑事、そして、肝心の殺人鬼と対話するときでさえ、ほぼ呼吸を感じさせない「封印」する芝居によって、人物の孤独を顕在化させる。
もちろん、実際には息をしているだろう。しかし、呼吸を感じさせない、静かなる抑止が、この人物の余韻となる。
動乱に満ちた映画の中で、菅田将暉はひとり呼吸を止めて、「もうひとつの世界」を創り出している。
初登場時からラストカットまで。菅田将暉流の「真空の孤独」が、淡々と持続している。
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映画『キャラクター』
全国公開中 ※2021年6月11日(金)全国ロードショー
原案・脚本:長崎尚志
監督:永井聡
出演:菅田将暉、Fukase(SEKAI NO OWARI)、高畑充希、中村獅童、小栗旬
配給:東宝
(c)2021映画「キャラクター」製作委員会
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