「あのときの私と、あなたを救ってあげたい」──そう語るのは、歌手の和田彩花。15歳から24歳まで、女性アイドルグループのメンバーとして活動していた。
本連載では、和田彩花が毎月異なるテーマでエッセイを執筆。自身がアイドルとして活動するなかで、日常生活で気になった些細なことから、大きな違和感を覚えたことまで、“アイドル”ならではの問題意識をあぶり出す。
今回のテーマは「アイドルと家族」。群馬で生まれ育ち、仕事のために東京と行き来していた日々から、自分の価値観の変化をたどる。
目次
親戚や近所付き合いが盛んな環境でも、私は生きていける
春らしい風が吹く。お天気なのに少し冷たい風を感じながら、大学へ通い始めたのを思い出す。
東京では、もう夏になってしまったかのような太陽の暑さと、少しずつ増える湿気を感じて。
ここは、群馬。空っ風が有名だとはいえ、まだ肌寒さが残る。

春の柔らかい日差しに照らされ、地面いっぱいに咲くたんぽぽを見ながら、散歩する。
今日は山がよく見える。空をじゃまする建造物もなくて、大きな宇宙にいることを思い出す。
私の家は、親と子供で構成される核家族で過ごした記憶よりも、親戚含めて過ごした記憶が強い。朝の目覚ましが、おばあちゃんが私を呼ぶ声であることも珍しくないような環境だ。
田舎の親戚や近所付き合いの煩わしさをよく耳にするが、私はそういう環境でも生きていけてしまう。なんなら、東京でも近所の人と仲よくなってしまうタイプだからだ。

とはいえ、東京と群馬のどっちつかずの環境で育ったのが本当のところ。
田舎や親戚の煩わしさを感じる前に東京へ出てしまったし、東京にうんざりするたび群馬に帰っては「おかえり」と親と親戚たちに迎えられるのだから、いいところしか私は知らない。きっと。
今回は、群馬と東京の間を行き来して思ったことを話す。
群馬と東京を往復していた、小・中学時代
群馬と東京の往復が始まったのは、アイドルの研修生になる以前、週末に東京でレッスンを受けていたときから。
おしゃれをして東京へ行き、レッスン終わりにおいしいケーキを食べて帰るのが大好きだった。時々、お台場まで行って、洋服を買ってもらった。
そうしてまた月曜日から、群馬の大自然の中を歩いて小学校、中学校へ通った。

東京を“仕事の場所”だと感じたのは、デビューした15歳ごろのことだった。送迎してくれていたお母さんと一緒にいても、東京駅に着けばなんとなく仕事をする感覚になった。
中学生のとき、担任の先生から「あなたはみんなよりも先に仕事して、外の世界を見ているんだから、それをみんなに教えてあげてもいいんだよ」と言われていたのを思い出す。
みんなの前で何かを言えたわけではなかったけど、先生がそう言い続けてくれたのはうれしかったし、自分はみんなより早く社会に出たんだと認識できるようになった。
中学の“いつめん”(今でもそう呼んでいて、大好きな友達たち)が働き始め、仕事の話が出るようになったとき、ああ、やっとみんなと同じ話ができると思った。
後輩ができたときの悩みはよく共感できて、私はみんなより早く仕事を始めただけなんだと、なんか腑に落ちた。
いい意味でアイドルであるという自負はなかった。みんながそれぞれ職業に就いていくように、私はアイドルという職業をただやっているに過ぎないのだと思えた。
小さいころからアイドルレッスンで言われて身につくようになっていた(?)「学校のみんなができない貴重な経験をしている」という考えが解けて、消えた瞬間だった。
「アイドルをやっている私は特別なのではない。友達とは職種が違うだけで、これは単なる仕事だ」と思い始めたのはこのときくらいだった。
時間を見つけては、中学のいつめんと会っていたことも私の支えだった。いつ戻っても、くだらないことで笑って、あのときと変わらず「あやちゃん」と接してくれる場所が、私には大切だった。自分を見失わないでいられた。
美術人生の始まりを作ってくれた、高校時代
高校は、芸能活動ができる学校に通っていた。いつも先生とご飯を食べて、話していた。私が美術の話を長々と人にするようになったのは、高校の先生のおかげだろうか。
それから、受験のためにマンツーマンで勉強を教えてくれた先生(心の中で「博士」と呼んでいた先生。以下、博士)との時間も楽しかった。
いつも大量の課題とともに古本をくれて、いろんな美術の世界を教えてくれた。和辻哲郎の『古寺巡礼』、高階秀爾の『近代絵画史』も、博士から教えてもらって読んだものだった。
いつか読んでほしいとプレゼントしてくれた、宇佐美承の『池袋モンパルナス』は、30歳になってやっとおもしろいと思えるようになった。

普通の高校できっちり勉強したかったという思いがずっとあったけれど、周囲の流行とか目線を気にする必要なく、自分の好きなものをぐんぐん吸収できる環境にいたのは、自分にすごく合っていたのではないかと思うようになった。
とはいえ、仕事もしなければいけなかったので、必要最低限の高校の勉強を詰め込んで卒業した。
高校時代お世話になった先生方との出会いは、私の美術人生の始まりを作ってくれた。
学校と仕事以外の空いた時間はすべて美術館に費やした。歴史背景も時代もわからなかったけど、美術館に置いてあるチラシや駅の広告を見て、気になる展示にはすべて足を運んだ。
群馬にも、群馬県立近代美術館、原美術館ARC、アーツ前橋など、素敵な美術館があるけれど、群馬県の美術館を知るよりも前に東京の美術館を知った。
文化的経験をじゅうぶんに享受した、できたのは、仕事で東京に行く機会があったから叶ったことだ。
15歳で美術に出会ってなかったら、どんな人生を歩んだのだろうとたまに想像する。美術に出会ってなければ、大学にも行っていないんじゃないかな。美術に出会ってなければ、こんなに主体的に人生を歩めていたかわからない。
あまりネガティブに考えすぎず、群馬の美術館に通ってたかもしれない自分を想像しておこう。
素敵な友達と先生に恵まれた、大学時代
そして、大学入学と同時に上京した。
ひとり暮らしの家は、当時のマネージャーさんの家から近く、東京の雰囲気のいい場所を選んでもらったのに、私には都会すぎた。全然合わなかった。
自然に癒やされるような場所もないし、街中では多くの人がブランドのバッグを持っているし、いつでも洗練されていなければいけないのかと驚いた。
上京したてのころは、都会の素振りをまねしてみたけど、私が通っていた大学ではそういう雰囲気でいる必要がなかったので、気づけばスニーカーで東京を歩いていた。
無理だと思うたびに群馬に帰って、親の手料理をお腹いっぱい食べて、生き返ったといつも思った。

しばらくがんばってみたけど、どうにも無理だということで群馬に戻った。実は、また東京と群馬を往復していたりしたのだ。
大学に入ってからは、寝る以外の時間すべてを勉強と仕事に当てたので、余暇がほとんどなかった。いろんな要因があるけれど、東京はつらい仕事をする記憶ばかりが蓄積されていった。
もちろん大学でも友達ができた。都合が合えば、友達と美術館に行って、ご飯を食べながらずっと美術の話をした。楽しかった。
けれど、放課後はすぐに仕事へ行かなければいけないし、休日はほとんどないに等しいし、スマホとSNSですぐに発信できてしまう時代になってしまったこともあって、学校でも無意識のうちに警戒心や緊張感を抱いていた気がする。

それでも大学で出会った友達たちは優しく、学校では「あやちゃん」と言って普通に接してくれるのに、アンジュルムのライブにはいつも欠かさず遊びに来てくれた。
大変なこともある人生だけど、友達のことを思い浮かべると、私は幸せだなといつも思えた。
同じく大学の先生方にも恵まれた。「大学なのにそんなに厳しいの?」とよく驚かれることがあるくらい、先生方にはしっかりと指導していただいた。
先生方は、私の仕事には触れず、大学生の私としていつも接してくれた。人として成長できたのは、実践女子大学でしっかり指導していただいた経験がものすごく大きいと思う。
ネットではなぜか「早稲田大学卒業」と記載されているWEBサイトもあるらしいが、完全に誤情報だ。私は実践女子大学の美学美術史学科卒業で、同校の美術史学を修了した。
そうやって、中学・高校・大学と仕事を両立していたが、いつでも近くに素敵な友達と先生方がいてくれた。
群馬でも東京でも関係ないのは、等身大の私を見てくれる人との関係だ。
「群馬から出ていない和田彩花」は、どんな人になっただろう?
今は、月に1回は群馬へ帰る。そろそろ群馬を拠点に、仕事のたびに東京へ行く生活に切り替えられないかと夢を見る。
東京のいいところは、好きなこと・ものを基準に、街に人が出入りすること。文化やカルチャーに関心のある人が集まってくる街が大好きだ。
反対に、人の棲み分けがされていて、関わることがない世界も東京にはある。自分は、アイドル出身で、バンドで音楽活動をやりながら、芸能活動のようなこともするし、美術の仕事をしたり、異なる世界を行ったり来たりしているので、その違いをよく感じる。
群馬と東京間の往復で培った感覚が、こういうところにも活かされてしまう。中心と周縁の境目を行き来することが私の人生のやるべきことなんだなと感じているくらい。

群馬にはそういう感覚になる場所があまりない。「どこに住んでる誰か」を伝えれば、その人が何をしているかわかる。群馬はそういう世界だ。
今は、音楽と美術の仕事をする和田彩花であるけれど、群馬から出ていない場合の和田彩花を忘れることができない。
どんな文化に触れて、または触れる機会なく、どんな教育を受け、またはじゅうぶんに受けられず、どんな人になったか、そんなのわからないけれど、経済的にも精神的にも自立した人間であれただろうか。そういうことをいつも考える。
群馬で生活している叔父・叔母、親、親戚がいて、私がいる。
群馬では車がないと生活できないのに、高齢者の免許返納も社会課題のひとつである。
バスは1時間に1本しかなくて、高い。駅までいくのに、700円くらいしたような。都内のバスみたいに一律200円くらいにしてほしい。
大型のショッピングモールが生活の中心だけど、若い世代の方が始めたおいしいイタリアンやカフェはどんどん増えて、地元のおいしいベーグル屋さんもある。活気があったり、なかったり。
異なる場所や業種、世界を行き来しながら、自分にできることをやっていきたい。

あ、群馬の庭で採れたタケノコを持って帰ってくるの忘れた。タケノコってどこでも生えてるものだと思ってたけど、東京のスーパーでは700円くらいで売っていて驚いた。