同人アイドルの頂点を目指せ! ノンストップシンデレラストーリー『平成敗残兵すみれちゃん』

2024.9.29

文=小林 私 編集=高橋千里


気鋭のシンガーソングライターで大のマンガ読みである小林私が、話題の作品や思い入れの深い作品を取り上げて、「私」的なエピソードとともにその魅力を綴る連載「私的乱読記」。

2023年11月から始まった連載も最終回。ラストは『週刊ヤングマガジン』で連載中の『平成敗残兵すみれちゃん』を語る。

『平成敗残兵すみれちゃん』は“雄星くんかわいいマンガ”である

「俺と同人アイドルの頂点 目指そーよ すみれちゃん」

イトコである雄星の突然の誘いから始まるこの物語は、元アイドルで31歳スナック勤務のすみれちゃんが主人公の成り上がり?マンガである。

『平成敗残兵すみれちゃん』1巻/里見U/講談社

このコラム、QJWeb版を含めて数を重ねてくると、だんだん小難しいことを言いたくなってくる。

ただ人並み程度にマンガを読んでるだけなのに、鋭い着眼点と細やかな気づきとか、そういうものを褒められたくなってくるわけだが、いや、このマンガ、“雄星くんかわいいマンガ”ですよね?

第1話ですみれちゃんに断られて泣く、その上で言葉巧みに誘導する賢(さか)しらさ、協力してくれるとわかるやいなや「んじゃコレ よろしく」とぱっと顔を明るくさせるゲンキンさ。めっちゃくちゃかわいくないですか?

タイトルに惹かれて買ったんですが、絵柄の既視感で検索してみたら『八雲さんは餌づけがしたい。』の作者じゃねえか! そら男の子を描くのうまいですよね。男性のかわいさって特有のものがあるというか、いっぱい食べるとかもそう。そういうのを抽出するのがうまい。

感情のバランス、スピード感がおもしろい1巻

最序盤でかなり好きなシーンがある。

撮影中にすみれちゃんが「お前マジでコレが売れると思ってんのかよ」と問う。

雄星は「最初だし赤字は覚悟してるよ」と返すと、すみれちゃんは「オイ」と噛みつく。
それを遮るように「うそ」「売れるよ ぜったい」と言う。

このときの雄星の目線がいい。目の前ではなくスマホ画面越しにすみれちゃんを見て言うのだ。おためごかし感が逆にないというか、雄星が見据えているものをうっすらと感じる、アイドル時代に憧れたすみれちゃんの姿をいつまでも信じている雄星の本気の目だ。

このふたりの感情の起伏のギャップもいい。

笑う、怒る、泣く、恥ずかしがると感情のメーターを瞬時にぶっちぎれるすみれちゃんと、楽しそうだったり悔しそうだったりするものの照れがほとんどない雄星。

雄星があんまり照れないことでこそこのマンガのバランスが生まれている気がする。エロになりすぎないというか、そこまでエロに振るならいっそ成人向けで描いてくれ~!ってマンガあるじゃないですか。

『つぐもも』とかもそこらへんのバランスが気持ちよくて、(加賀美)一也がぼんやりしていたり、逆に付喪神たちがなんとも思ってなかったりするからこそ悶々とさせてきませんか?

クラスメイトのひよりさんに「そんなイトコならさー…… 好きになっちゃう…?」と言われても臆さず、ひよりさんの写真にさらっと「これカワいい」と言えてしまう奥底に作品をよりよくしたい熱意だけが見える、それって逆にエッチじゃないですか!?

いやエッチじゃなくてもいいんですけど ……すみません、ただ人並み程度にマンガを読んでるだけと自称しましたが、ただ人並み程度にマンガを読んでるスケベと訂正させていただきます。

物作りのスピード感もすごい。雄星ひとりで同人誌を作っていたときも、省略されているが面倒な手続きをこなしているだろう。

夏冬のコミケに合同誌で参加したことがあるのでなんとなくわかるが、主催に任せていてもけっこう大変だった。売り子も兼ねたらなおさらだ。

夏コミのときに売り子もやったのだが、あまりにも疲れすぎて空腹でたまらないのにご飯を食べるための体力もなく、20分かけてようやくひとつのおにぎりを食べきれるくらいだった。

ファムファタ任三郎の登場からそのスピードがさらに速くなる。余談だが、持ち込みの企画を褒められている雄星が珍しく照れていて最高にかわいい。

「おっけー 事務所のハイエース出すわ」「いっすね雪! カナダ行っちゃいます!?」と雄星がひとりで進めていたことが大人の登場で加速する感じが、ドキドキもするしワクワクもする。

人を巻き込んで一気に何かが進む瞬間は、俺はブレーキを踏みたくなってしまう性分だが、人によっては快感だろう。デビュー時の速度感を追体験しているようで、怯えつつおもしろかった。

ふたりの人間性の対比が美しい2巻

ここまでが1巻。2巻からは話の展開もさらにハイスピードだ。

『平成敗残兵すみれちゃん』2巻/里見U/講談社

ダイエットシーンで自家製サラダチキンを食べたすみれちゃんの「イヤな事がかき消されない味してるよ~〜…」には大笑いしてしまった。

たしかにそういう勢いで飯を食べる日ってある。俺も一時期、味が好きで鶏むねとブロッコリーを蒸したやつを食べていた時期があるが、すぐに飽きた。そのときも嫌なことをかき消すかのように胡麻ドレッシングをかけて食べていたことを思い出した。

ダイエット成功後の雄星の反応は、ぜひ読んで確かめてほしい。
書こうとしたが、勧めるために書くのも野暮な気がしたからだ。

2巻についていろいろ書くとネタバレ感がかなりもったいないというか、起きちゃいけないことが起きまくるせいで3巻どうなってしまうんだ!?とすでにそわそわしている。

すみれちゃんがどうしてボロアパートに住んでいるのか、どうしてこういう人間なのかということがありありと描かれているのだ。

楽観的なすみれちゃんがそれでも31歳だからこそ理解してしまう絶望と、リアリストのようで理想主義の雄星の、高校生だからこそ前向きな明るさの対比が美しい

たとえば学園ラブコメで同じ部活だとか生徒会だとか、同僚だとかギルドメンバーだとか、さまざまな共同体はあれど、「見捨てたろか?」というセリフは見たことがない。

それはこのふたりの、イトコという絶妙な関係にあるだろう。金が欲しい、カッコよくいてほしい、家族として、ファンとして、運命共同体として異質な空気感が、今後も目を離せない物語を紡いでくれるだろう。

「私的乱読記」今回で最終回です

小林私
小林私

ということで『ラグナクリムゾン』から始まったQJWeb版「私的乱読記」は今回で最終回です。本誌では『血まみれスケバン・チェーンソー』の話で最終回を迎えています。なんなんだ。

それではまた、どこかのインターネットで会いましょう。

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小林 私

(こばやし・わたし)1999年1月18日生まれ、東京都あきる野市出身のシンガー・ソングライター。多摩美術大学在学時に本格的に音楽活動を始め、自室での弾き語り動画やYouTubeでのユニークな雑談配信も相まって注目を集める。2023年6月、キングレコードのHEROIC LINEからメジャー第1弾となる..

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