完結から8年。逆に今『トリコ』

2024.5.12

文=小林 私 編集=高橋千里


気鋭のシンガーソングライターで大のマンガ読みである小林私が、話題の作品や思い入れの深い作品を取り上げて、「私」的なエピソードとともにその魅力を綴る連載「私的乱読記」。

今回は、2008〜2016年に『週刊少年ジャンプ』で連載された、グルメをテーマにしたバトルマンガ『トリコ』。完結から8年経ってもなお、小林私が本作に魅了されている理由とは?

「捕獲レベル」インフレの誤解を解きたい

誰かが言った。大人になると、昔読んだマンガばかり読み返してしまうと。

俺が『トリコ』を読んだのは20歳を超えてからで、いまだに新しいマンガも全然読む。『トリコ』は8年前に完結している。世はトリコ時代……とはいえないが、俺はいつだって『トリコ』の話がしたい。

『トリコ』1巻/島袋光年/集英社

まず、舞台が「グルメ時代」という設定からかなりぶっ飛んでいる。主人公・トリコはマジのお菓子の家に住んでいるし、出てくる食材もハチャメチャだ。だからだろうか、俺は「『トリコ』ナメられすぎなのでは?」と思うことがあるのだ。

よく指摘されている箇所だと、「捕獲レベル」のインフレ。

「国際グルメ機関」IGOが定めた、獲物を仕留める“難度”で、捕獲レベル1が「猟銃を持ったプロの狩人(ハンター)が10人がかりでやっと仕留められるレベル」とされている。

そんな説明のなか、初めて出てきた食材が、捕獲レベル8の“ガララワニ”である。

これに対して、終盤に登場する八王の一匹、馬王・ヘラクレスの捕獲レベルは6200。いや、初期のガララワニ、ショボすぎるだろ……とみんな思うようだ。

いったん、ここの誤解を解きたい。

そもそも当初の“捕獲レベル”とは、単に強さだけでなく、発見の難度や場所の過酷さも含まれるものとして扱われている。

大きくインフレしたのはグルメ界編から、と思っている人も多いだろうが、前触れは四獣編である。強さのみの数値を計れる測定器「メジャートング」の登場がここだ。人間界で計測できる最高値100を大幅に更新し、999まで計測ができる。

それから、グルメ界編では「リドルチャプター」が登場。こちらはデータが入力されており、さらに細かい上限もなくなっている。“推定”捕獲レベルという言葉も出てくる。彼らも、絶対的な評価というよりは一応の目安として使っているわけだ。

おわかりだろうか。何千という数値と比べるからピンとこないのであって、もとはレベル100を上限に定められているのだ。

メジャートングやリドルチャプターで捕獲レベルを刷新することがあれば、また評価も変化するだろう。ガララワニも初期トリコも、けっしてショボすぎはしないのだ。

「なくてもいいセリフ」があるのが、『トリコ』のすごさ

ここからは『トリコ』のすごさを書いていく。

トンデモ設定やインフレもそうだが、ギャグとシリアスのバランスが半端じゃない。

『トリコ』34巻/島袋光年/集英社

IGO直轄の「ホテルグルメ」料理長・小松の重傷を治すための食寶(しょくぼう)“ペア”が、猿王・バンビーナのキン玉であることが判明し、捕獲しにいく美食屋四天王(トリコ、ココ、サニー、ゼブラ)。

棲家(すみか)に到着した直後、事前準備なく猿王と会敵。サニーのまばたき0.1秒間で、トリコは腕を、ゼブラは首、ココは両足をもがれていた(正確にはゼブラ、ココは毒人形が身代わりとなった)。

ダメ押しで、猿王はただ遊んでいただけだと判明し、圧倒的な実力差を目の当たりにする。

基本的に希望にあふれた自信家の四天王全員が、ただ押し黙る。「『思い立ったが吉日』ならその日以降はすべて凶日」を謳っていたトリコでさえ「今日は…… ひとまず休もう…」とつぶやく、作中でも屈指の絶望的なシーンだ。

すごいのはその直後。重傷の小松が腹を鳴らすのを見て、改めて食欲に希望を見出す一行。味千人・カカは修行前に言う。

「あくまでも猿王の遊び相手になれるかどうかの準備… 目的はたった一つ… キン玉ですからね…!」

これに対してトリコ、ココの決意をした顔が描かれている。奮い立ち、キャラが無言でうなずくような、マンガでよくあるシーンだ。

しかし、ただひとり、サニーだけが「キン玉言うな」とツッコミを入れている。ここが『トリコ』というマンガのすごさを雄弁に語っていると感じる。

なぜなら、マジでこんなセリフなくていいからである。

本編で読んでいるといっそう思うのだが、この段階ではもう「食材がキン玉って! わははー!」のフェーズは完全に過ぎているのだ。トリコやココが気にしていないように、読者視点でも「小松を助けるために、みんながんばって勝ってきて!」という思いでいっぱいなのだ。マンガ演出として、全員キリッとしていてもなんの違和感もない。

もとより美しい食材だけに執着があるサニーだけが、この期に及んで嫌がっているのだ。センチュリースープを食べたトリコたちの顔を「緩みすぎて美しくない」と言って、食べなかったサニーだけが。

ゼブラに至っては「ひとりで修行する」と言ってこの場にいない。いろ。四天王全員そろって「がんばるぞ!キリッ」ってしろ。

つまり、マンガとしてパッと見、変なのだ。直前に激しく気落ちしている4人を初めて見ているのだからなおさら、猿王の強さを表現するためにもシリアスなままで進めてもよかったはずだ。

でも、実際サニーならそう言いかねない、ゼブラならそうしかねない。その細やかな振る舞いを描くからこそ、グルメ界というヘンテコな世界の中でも実在性を感じられるし、普段どおりの振る舞いに「彼らはまた前を向いたのだ」とわかる。

『トリコ』が描く、キャラクターの思想の変化

俺は、キャラクターの思想というのは必ずしも一貫していなくてもいい派だ。

『トリコ』は時間をかなり細かく描写していて、トリコと小松は出会った当初は同い年の25歳で、4年後にしっかり「29歳」と発言している。壮大な冒険をする4年あまりは、人間を肉体的にも精神的にも成長させる。感謝から成る“食没”はまさしくそうだろう。

ほかにもサニーは、グルメ番長・愚衛門との修行で「思考」から「直観」へと戦闘の姿勢を変化させることでグルメ界へ適応している。ゼブラも、小松との出会いによって人生のフルコースを作ることを決めている。

対してココは、わりと初めから姿勢が一貫している。毒への耐性から隔離されそうになったり、電磁波を見る力による占いの活動により、ほかの3人と比べて明らかに人間との会話が多いからではないだろうか。

『トリコ』は人物の思想の変化に対して、かなり細やかに描いているように思う。バトルやおもしろい食材だけでなく、そんなところにも注目して読み返してほしい。

連載「私的乱読記」は6月発売予定の『クイック・ジャパン』vol.172にも掲載。
『クイック・ジャパン』vol.172では、マンガ『かわいすぎる人よ!』を取り上げます。
(※本連載は『クイック・ジャパン』と『QJWeb』での隔月掲載となります)

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小林 私

(こばやし・わたし)1999年1月18日生まれ、東京都あきる野市出身のシンガー・ソングライター。多摩美術大学在学時に本格的に音楽活動を始め、自室での弾き語り動画やYouTubeでのユニークな雑談配信も相まって注目を集める。2023年6月、キングレコードのHEROIC LINEからメジャー第1弾となる..

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