ベルリンで、抜け殻について考える。
ロンドン・シティ空港からベルリン・テーゲル空港へ。ドイツでは初めて「Airbnb」を利用した。「(エアベンベ)」と心の中で読んでいたサービス名、エアビーアンドビーと読むと初めて知った。ベルリン南部のちょっといい団地みたいなところを借りたけど、安くて、ホストの対応もよくて、得した。
観光は土地の演技である。劇作家の危口統之(きぐち・のりゆき)は、バルサミコ酢でもいっぱいに含んだみたいに口を酸っぱくしてくり返し発言した。土地の演技をさせないようにするには、エアビー(もう略称まで使いこなしている)で取った宿の冷蔵庫に地元のスーパーで買った食材を奉納するしかない。死んじゃった危口さんとはもう会話できないけど、こうして位相を変えた対話はつづけている。
ベルリン最大の本屋、ドゥスマン・ダス・クルトゥアカウフハウスへ出かけた。ドイツといえばテクノで、レコード屋を探したけどかなり少ない。ドゥスマンでも隅っこに申し訳なさそうにCDとレコードが陳列してあるのみ。
折角だからドイツ気鋭のアーティストのアルバムでも買っていこうと熱心な店員のレコメンドを翻訳してみると、それはトム・ヨークが2006年に出したソロアルバムだった。『ジ・イレイザー』は確かに最高だけど、最先端の音楽はもうCDで買うものではないらしい。それでも何枚かジャケ買いしたアルバムを部屋に戻って調べると、もうとっくに配信されているものばかり。CDからデータにすることさえ手間だし腹も立った。スーツケースの空き容量も気になる。すべて置きっぱなしにして次の都市を目指すことにした。
リッピングを終えたCDは抜け殻みたいだと思っていたけど、封を開けることさえしないまま置いていったのは初めて。自分でもショック。配信していないものを積極的に盤にして陳列するとか、工夫次第でまだ延命はできるはずだけど、クリティカルな処方ではない。拡張現実的な解決を探る。そのまま眠る。
パリではよく時間を聞かれた。おじさんが本の中で酷い目に遭っていた。
テーゲルからシャルル・ド・ゴール空港へ。パリではよく時間について聞かれた。聞いてくるのはだいたい老人で、自分で腕時計を持てばいいのにと思いつつスマホの画面で時間を示すと、「お前、現代的だな」って顔を毎回された。
ポンピドゥー・センターでは、子供からよく話しかけられた。この作品はここが素晴らしい。あの作品はここがダメ。お国柄なのか、幼いのに審美眼が備わっている。それに付き合わせることへの配慮は大人になってから身につければ良い。
売店で見つけた本では、おじさんがとにかく酷い目に遭っていた。作品の中に入ろうとする細長い絵本とか、巨大なテキスタイルを空間的に作ろうとする展示の図録など、収穫があった。本は質量と手触りがともなう分、抜け殻になり難い。手元に置きたくなる。また開きたくなる。スーツケースの空き容量は、さほど気にならない。
国の光を観て歩く、それが観光の語源。
コロナウイルス報道によるアジア人差別など、微塵も存在していなかった。日本のゴミ収集車はどこのメーカーだったっけ。トントントントン日野の2トン? とにかく、ドイツではメルセデスベンス社のものを使っていた。ロンドンもそうだった。道行く作業者が着ているユニフォームがかっこいい。パリの業務用ゴミ箱の鮮やかな緑色も超いい。まじめに働く人間がちゃんとかっこよく見える生活のデザイン。これを忘れずに続けているうちは、何があっても大丈夫。そう現地で感じた。
イギリスはそもそも独自の通貨(ポンド)を使っていたし、実際行ってみたところ市民生活に於ける大きな変化はまだなさそう。ただ、あの回るチーズ屋でフランス産ワインが注文される頻度は少なくなりそう。間違っても、抜け殻のような人間を生み出すような動きだけはしませんように。情報を優先して情緒を軽んじる国家的な演出には躊躇なくブーイングできる観客、英雄には大きな拍手を送れる国民でありますように。