アニメ『平家物語』ドラマ『鎌倉殿の13人』をさらに深く楽しむために、古川日出男訳『平家物語』が必読過ぎる件(書評家・豊崎由美)
昨年9月の先行配信(FOD)時から「なんという傑作!」とSNSに絶賛の嵐が吹き荒れたアニメ『平家物語』(フジテレビ)。折しも、今年1月から放送のNHK大河ドラマは源氏側から描く『鎌倉殿の13人』、書評家・豊崎由美が、源平の名作をいっぺんに享受できる僥倖に震えつつ、いざ、アニメの原作となった古川日出男訳『平家物語』(873ページ!)に挑む。
アニメ『平家物語』の原作を読む
〈祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。〉
ご存じ、『平家物語』冒頭のあまりにも有名な一節です。古典の授業で暗唱させられた方は多いのではないでしょうか。トヨザキもそのひとりであります。が、しかし、治承・寿永の内乱、いわゆる源平合戦を題材にして鎌倉時代前期に成立したとされる、このメガサイズの軍記物語をこれまで読み通したことはありませんでした。が、が、しかし、平家を滅ぼす側の物語であるNHK大河ドラマの『鎌倉殿の13人』と、山田尚子監督のアニメ作品『平家物語』が同時期に放映されており、しかもアニメ作品が拠っている原作が敬愛する小説家・古川日出男訳のそれであるときたら、読まないわけにはいきません。というか、今を逃したら一生読まないで終わってしまう。それほどの好機ととらえ、トヨザキ、他の読みたい新刊をいったん脇に置き、873ページもの大著に挑んだ次第なのであります。
その感想はといえば、
総じて、おもしろい!
『平家物語』ってひとりの作者が作り上げたものじゃなくて、古川訳に解題を寄せている中世文学研究家の佐伯真一氏によれば「源平合戦に関わるさまざまな資料を、雑誌を編集するように継ぎ合わせる形で作られただろう」もので、平家滅亡から成立までに数十年かかっていることから考えても、その間にたくさんの声で語られた思い出話や逸話が織り込まれているゆえに「よく読むと、細部にはさまざまな食い違いや視点の相違がある」とのこと。
言ってみれば『平家物語』は源平合戦エンサイクロペディアなのであり、とんでもない数の登場人物の行状や行く末が語り起こされているので、エピソードによっては読み手のわたしの心に刺さらない、もしくは読んでいて興が乗らないこともあるわけです。なので、正直、退屈な箇所もございました。でも、
総じて、おもしろい!
「琵琶法師によって、全国の、字が読めない人をも含む、圧倒的多数の人々に伝えられた」(前出の佐伯氏)この物語を、訳者の古川日出男は現代人であるわたしたちに“語りかける”という文体を採用することで、目の前にはいない琵琶法師の姿をも立ち上げている。それゆえに、自分にとっては退屈であるパートの響きも、その後に待ち受けているオーケストラ級の出来事へと導くイントロダクションとして重要だったのだと後から了解され、
総じて、おもしろい!
という感想を生むのであります。
「やらかし」放題平清盛を推す
とんでもない数の人物が登場するこのメガノベルは、キャラ小説としての楽しみもふんだんで、わたしの推しはなんたって、全十二巻のうちの前半部を暴君として「やらかし」放題しまくる平清盛です。こいつ、こんなに非道いヤツだったのって驚愕必至。『平家物語』の中でも悪役トップスターとして堂々屹立するキャラなんであります。例を挙げてみますと、
〈十四歳から十五、六歳の少年を三百人揃える、これらの髪を短く切って揃えて童形のあの禿(かぶろ)というのにする、(略)この少年どもを京の市じゅうに満ちみちさせて、往来させたのです。偶然にも平家を悪しざまに言う者がおりますと、(略)その批判者の家に揃って乱入する、家財道具を没収する、当人を縛りあげる、六波羅(清盛の屋敷がある平家の政権中心地)に引っ立てる〉
いんけーん(陰険)。おーぼー(横暴)。スモールアスホール(尻の穴が小さい)。
女性に対してもやりたい放題です。こいつは京の都で評判の高い白拍子の名手・祇王という女性をかこっておったのですね。そんなある日、清盛の別邸に、新進気鋭にして野心家の白拍子・仏御前がアポなしで売り込みにやってきました。図々しいと怒って門前払いしようとした清盛を、「歌を聴いてあげましょうよ」と取りなしたのが祇王。そしたら、清盛ってば速攻で仏御前に心を移して、祇王とその妹の祇女を別邸から追い出してしまうんです。そればかりか、傷心の祇王に「その後どうしてる? 仏御前が元気ないから、お前、ちょっとこっちきて歌って舞って慰めろや」(トヨザキ意訳)と命令。あれこれあって、祇王は21歳の若さで尼になってしまいます。
ところが、皆さん、なんと日本の中世にもシスターフッドの物語は存在しておりました。祇王と祇女、ふたりの母がむすんだ粗末な庵に、ある日、尼僧姿になった仏御前がやってくるんです。清盛に取りついでくれた恩人を自分のせいで不幸にしてしまった、申し訳ないと泣く仏御前。4人は以後、生活を共にし、清盛がわが世の春を謳歌する穢らしい世界を厭い、御仏の住む清い浄土を願って念仏を唱える日々を過ごしたとのこと。
語り口の変化に注目
大欲非道が招く疑心暗鬼の塊・清盛は皆さんご存じのとおり、自分の悪政が招いた謀反の首謀者・関係者の首を斬ったり、流刑に処したり、後白河法皇をも畏れない独裁者として都に君臨したわけですが、その死に様は恐怖政治の権化にふさわしい限りでありました。体が尋常ではない熱に苛まれ、〈ただ「あた(熱)、あた(痛)」と言われるばかり〉。
〈たとえば比叡山から千手井の水を汲み下ろして、石造りの浴槽にになみなみと満たし、それに入ってお体をお冷やしになるのですが、水はぐらぐらと沸きたって、ああ、間もなく湯になってしまう。もしや、これならば少々楽になられるかと懸樋で水を注ぎかけるようにしましても、これがまた焼き切った石や鉄に注いでしまっているのとおんなじ、水が飛び散って寄りつきません。たまたまお体に当たった水は炎となって燃えましたので、黒煙が御殿じゅうに満ちあふれまして、炎は渦を巻いて上がります。〉
こういう事実を大袈裟に“盛る”ウルトラ語りが楽しいのも古典を読む愉しみのひとつだったりするんですが、悪役トップスターにこのような凄絶なラストシーンを用意した『平家物語』編纂者の皆さんには「グッジョブ!」と親指を立ててあげたい気持ちでいっぱいです。
こうして平清盛が亡くなり、いよいよ源氏の皆さんが本格的に登場して、七の巻以降は軍記物語らしい合戦の数々が展開されていくのですが、ここで、古川日出男訳のトーンが変わることには触れておかないわけにはいきますまい。
〈悶絶死をなされました。清盛公は。〉
ここで数行あけて、古川さんは
〈死んだ、清盛は。〉
と、語り口を「です・ます」から「だ・である」調に変じるのです。あたかも、この新訳の語り手自身が、独裁と密告社会と恐怖政治のくびきから放たれたかのように。
猫、猫々、猫々々々々々また猫々、木曾義仲最高
さて、平清盛という強烈なキャラクターでひっぱってきた前半部から、源氏の面々も参入してくる後半部に移っての、わたしのイチオシは木曾義仲です。源頼朝・義経の従兄弟にあたるこの男は2歳のころから信濃の国安曇郡の木曾という山里で養育され、頼朝挙兵を知るや、破竹の勢いで京の都へ攻め入っていく源平合戦の重要人物なわけですが、とにかく野蛮。
〈木曾は、都風の洗練を知らない。/知らないし、すばらしい野人なのだ。〉と記されているとおりの下品な振る舞いを『平家物語』の中では数々暴露されているのですが、わたしが一等好きなのが猫間中納言こと藤原光隆卿が相談があって義仲のもとを訪れるエピソードです。
家来によって中納言の来訪を告げられれば、〈「猫かよ。おい、猫か。猫が人間にお目にかかって、何を申すって。お目めだぜ、お目め」〉と茶化す。
飯どきだからと中納言に食事を勧めるのですが、出されたのは大きな田舎風の蓋付き椀で、雅なお育ちの〈猫間殿はその椀がどうにも薄気味悪いし、汚ならしいと思えるので召し上がらない。〉
それでも〈「なあ猫殿よい、その椀は」「義仲の精進用の食器なのだ。特別な器なのだぞ。さあ、それをお使いになって、どうぞどうぞ、遠慮はしないで早う」〉と勧められるので箸をとるだけとって、食べる真似だけしてみせる中納言。
すると義仲は、〈「ほう、猫殿は小食であられるな。世に言われる猫おろしをなさったかい。そうかい。どうぞ掻っこまれよって」〉と、なおもしつこく勧めるのですが、〈猫おろしとは、猫が食べ物を残すこと。ここまで猫、猫々、猫々々々々々また猫々と譬えられて、中納言はすっかり興が醒め、(略)そのまま急いで帰っていかれた。〉のでした。
〈猫、猫々、猫々々々々々また猫々〉って。読みながら大笑いしたトヨザキなんではありました。
義仲は、後白河法皇からの使者としてやってきた、「鼓判官」こと壱岐の判官知康のことも〈「俺はどうしても訊きたいんだが、あなたを鼓判官というのは、なにゆえなのだ。たとえばだ、みんなから打たれでもなさったのか、あるいは張られでもなさったのか。どうなんだい」〉とからかって、これに唖然とした知康は法皇に〈「義仲というのは馬鹿です。ただの馬鹿者でございました。あれは今にも朝敵となるでしょう。ただちに追討あそばされるのがよろしいかと」〉と進言。ここから義仲一族は死の途を行くことになるんです。
鎧を着て矢を背負い弓を持って馬にまたがる姿こそ颯爽としているものの、官位を与えられた者としての正装は板につかず、〈野人〉として都の人々の失笑をかうことばかりしでかした木曾義仲に、しかし、『平家物語』から聞こえてくる“声”は好意的であるように、わたしは感じました。源氏サイドでは義経についでエピソードが多いのがその証左ではないでしょうか。
いよいよ追いつめられて死に至る様を迫真の描写で描いた「木曾最期──お終いの二騎」(九の巻)においては、信濃での出陣以来苦楽を共にしてきた家来・今井四郎兼平とのくだりで腐女子の皆さん胸キュン必至のBL模様が展開されるわ、パートナーとしてよく知られる巴御前に対する立派な振る舞いに胸打たれるわで、読めば義仲を好きにならずにいられないのが、この『平家物語』なのです。
『鎌倉殿の13人』視聴者にもおすすめ
平家の人々はもちろん、源氏サイドの合戦に加わった人々の生き様死に様を事細かに記し遺した『平家物語』は、山田尚子監督作品を楽しんでいる皆さんは、アニメではしょられてるエピソードを全部満喫できるから平家に対する哀惜の念がより強まりましょうし、NHKの『鎌倉殿の13人』を視聴している方にとっては敵方の人間ドラマに深く触れられる分、見方が一層深まるしで、いいことずくめ。読めば、お気に入りのキャラクターがきっと見つかるはず。だから、やっぱり
総じて、おもしろい!
873ページなのです。
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