子供のゲームを制限したら、明るい未来につながらない(川田十夢)

2020.1.27


ゲームのルール設計から、教育を再定義する。

子供たちのせっかくの熱中を、時間で区切ってしまうのではもったいない。無条件に1時間と制限を設けるのではなく、ゲームの構造を考える時間を追加で30分与えてみるのはどうだろう。それぞれの教科書に、プログラミング的な思考の種はある。では、算数を軸にしてゲームを捉えたとき、どんな公式がゲームに潜んでいるのか。ひとつでも自分で見つけられたらプラス1時間、ゲームをして良いことにする。これだけで、ゲームの社会的な意味合いが変わってくる。プログラミング教育への導線にもなる。

今、役人や教師、親になっている大人のあなただって、子供のときファミコンなどゲーム機をねだるとき「これは勉強になる」と親にプレゼンしたでしょう。その余地を、我が子の世代から奪うなんてどうかしてる。ひとつでも熱中した世界を持つことこそ、のちの人生を豊かにする。いちばん大切なことを子供から奪ってまで、何を守ろうというのだ。ゲーム設計を間違えている。重力を与えるならば、重力を司る方法を同時に示すべきだ。

時間割を越えた深い理解こそ、本物の教養。

算数の教科書に割かれたプログラミングのページには、プログラム関数で円や四角形を描く方法が掲載されている。理科の教科書にはLEDを明滅する方法が、家庭の教科書には生活の中のプログラミングが、それぞれ明示されている。とてもいい方向だと思う。ただし、まだ拡張が足りない。国語だって、音楽だって、体育だって、プログラミングを導入すべきだ。そして、生徒が自分の身体や脳を使ってもわからなかったことが、自ら開発したアプリケーションでできるようになったならば、(別の教科のプログラミングを用いたとしても)得点を与えるべきだ。
このルール改定は、今後の日本の教育を大きく左右する。固有の教科、ひいては通知表の中だけの評価ではなく、全世界を対象とした評価へと、プログラミング教育の成果が拡がってゆく。

プログラミングさえできれば、現実がすべてゲームになる。

話を元に戻しつつ、話をまとめる。日本という無理ゲーは、今のところ「ゲームは1時間まで」という全然おもしろくないルールを真顔で設定してくる。プログラミング教育の目指すところは、職業プログラマーを量産することではなく、自らが発見した熱中対象への具体的アプローチ方法を身につけることである。現実に機能するプログラミングを拡張現実的に実装できるようになれば、現実がすべてゲーム化する。センスのない誰かが勝手に設定したルールに従わなくて済む。この裏技のような事実を、言葉にするでもなく伝えることが大切。


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川田十夢

(かわだ・とむ) 1976年生まれ。新しい本『拡張現実的』が発売中、開発者。AR三兄弟。公私ともに長男。毎週金曜日20時からJ-WAVE 『INNOVATION WORLD』が放送中、『WIRED』で毎号連載。『AR三兄弟の素晴らしきこの世界 vol.2』が7月30日に放送決定。音楽はトリプルファイ..

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