アニメと現実の関係
昨年、ある方を取材したときに雑談で「まさか、自分が生きているうちに、こんな時代になるとはねぇ」という話が出た。そのときの「こんな時代」は「第一次世界大戦直前」あるいは「1930年代」あたりを想定したニュアンスだったのだけれど、そこには僕も強くうなずいたのだった。ところが年が明けたら、新型コロナウイルス感染症の流行という新たなストレス源が世界にさまざまな“圧”をかけて、さらにそれどころではない方向に世界が進み始めてしまった。うちの子供ふたりが社会に出るとき、そこはどんな世界になっているのだろうか。その世界はどういう形で「希望」を持ち得る世界なんだろうか。不安や心配というより、見当がまったくつかないな……と思うばかりなのだ。
そして、そんな時代になってアニメは何ができるんだろうか。『BNA』を観ながら、そこのところも考えた。12年前に僕は生物学などで使われる用語の「in vivo」と「in vitro」という言葉を使ってアニメと現実の関係を考えたことがある(「アニメにおける『in vivo』と『in vitro』」『チャンネルはいつもアニメ』NTT出版所収)。
「in vivo」とは条件が人為的にコントロールされていない生きている細胞内のことを指す言葉。これに対して「in vitro」は試験管の中など人工的に構成された環境のことを指す。アニメ(あるいはフィクション全般)はこの「in vitro」in vitroに相当して、現実はin vivoだとたとえて考えてみるとわかりやすい。
in vitroで行われる実験はin vivoで何が起きているかを解明するためのもの、という側面がある。ただし、in vitroで何か解明されても、それがそのままin vivoに当てはまるとは限らない。自然な状態のin vivoはin vitroよりも遥かに環境が複雑なのだ。
アニメはこんなふうに、in vivoを想定しつつin vitroとして制作されるものだ。ただin vitroだから、そこで描かれた結論や描写をそのまま現実=in vivoに持ってきても、そのまま当てはまるわけではない。現実はもっと複雑にできているのだからだ。ではアニメは現実に対してまったく無力かといえば、そうではないとも思う。
アニメ=in vitroで描かれたことを、それぞれ観客が真摯に受け止めたとき、現実を見る視線が変わる。あるいは視線を変えるためのヒントを手に入れることができる。
それは思想やメッセージを受け止める考え方が変わるということじゃあない。もし皆がそろってそういう反応をする作品があるとしたら、それはよくできたプロパガンダに過ぎない。ここでいう「視線」とは他人のものの見方、つまり他人の人生のことだ。世界は「他人の人生」で織りなされている。でも複雑過ぎてそれを理解することはできない。でも物語の形で、in vitroな状態で他人が描かれると、ある程度の単純化が行われるから、そのことにはっきりと気づくことができる。
そこには「他人とわかり合えないことをわかり合う」という苦い可能性も含まれているだろう。でも、他人というものが見えてくると、、世界からいろんな可能性を引き出すことができるようになる。そのきっかけがアニメ(さらに言うとフィクション全般)の中に潜んでいるのだ。
何が普通かは自分で決める
『BNA』は全12話なので、人間と獣人の間にある差別の問題がどうなるかまでは描かれなかった。でも、そんな大きな問題に無理に答えを出さなくてもよかったと思う。本作はみちるが悪役に投げかける
「女の子とか、獣人とか、人間とか、そういうのもうホントどうでもいい! 何が普通かは自分で決めるし、どう生きるかも、何が美しいかも自分で決める! 人間になりたい獣人がいるのなら人間になればいい、でも選ぶ権利を奪うあなたのやり方は、マジで! 最高に! キモいから!」
というセリフで実質的に締めくくられる。これは「私が、私の意志で私であろうとすることを奪うな」ということだ。差別の主題が、十年一日の如くの「平等」へと至るのではなく、より本質的な個人の尊厳(=自己決定権)の尊重で締めくくられるのは、とても2020年のアニメらしかったと思う。このみちるの言葉を手がかりにきっと誰かが新しい視点を手に入れたんじゃないかと僕は思った。きっとそこからは、“私”から始まって“世界”に広がっていく風景が見えているはずだ。
およそ40年ほど前に、あるアニメ映画はこんな言葉で締めくくられた。「And now… in anticipation of your insight into the future.”(そして、今は皆様一人ひとりの未来の洞察力に期侍します)」。改めて、アニメを観るということは、そういうことなんだなと噛み締めている。
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