上京後の気づき「俺ってこんなに大阪好きやったんや」
──もともと東京・大阪の移動が多かったですが、4月に本格的な上京をされてから性格面で変化したことはありますか?
盛山 性格は変わってないですけど、東京に行ったからこそ「俺ってこんなに大阪好きやったんや」と思います。僕、36歳で初めて地元離れたんですよ。遅ければ遅いほど響きますね。大阪でタクシー乗って景色見るたびに「住みやすそうやな~」と思います。住んでたのに(笑)。東京も好きですけど、「俺めっちゃ大阪好きやん」っていうのは一番の発見かもしれないです。
──以前、別のメディアで「東京の自分の家にいても出稼ぎ感がある」と仰っていましたが、将来は大阪に戻りたいですか?
盛山 一生東京におれるような存在になったらわかんないですけど、今はそうですね。いつかは大阪で漫才していたい。そうなるために今めっちゃ頑張るって感じですね。何歳かわかんないですよ? もしかしたら75歳ぐらいになるかもしれないし。来年再来年、まあ40代のうちはないんでしょうけど、東京行ってから大阪が恋しいです。
──リリーさんはどう思っているんでしょう?
盛山 帰りたいとは思ってないんじゃないですかね? あいつは意外と芸能とか煌びやかなのが好きだし、東京合ってると思います。麻布十番住んでますしねぇ?
目標も弱点も足並みそろう見取り図
──約1年前の取材で、おふたりは「テレビを憧れの場にしてる」と仰っていました。この気持ちが変わっていないかリリーさんにお尋ねしたところ、「もちろん変わってないし、テレビに憧れた世代で組んでよかった」と。
盛山 それはそうかもしれないですね。 今、芸人の売り方が無限にできたんで。「テレビにベットし過ぎても」ってアドバイスをもらったりもしますけど……それでも憧れてたんでね。漫才でテレビに出るって、一番クラシックじゃないですか。まあ、YouTubeやっててあれなんですけど(笑)。
──リリーさんの目標は「全局ゴールデンで冠を持ちたい」とのことでしたが、盛山さんの目標は?
盛山 昔は微塵も思ってなかったんですけど、自分たちがMCの番組をもっとやらしてもらいたいですね。MCっていうと大それた言い方になっちゃいますけど、上に行きたいって意味で、自分たちの番組を増やしたいです。
──個々でお話を聞いていますが、おふたりは同じことを考えていますよね。忙しいなかでも、コンビとして大事な部分の足並みをそろえるコツはなんですか?
盛山 移動中とかに、番組の感想とかネタのことをちょいちょい話したりします。そこでちょっとずつ合わせてるのかもしれないですね。別に話そうとして話してるんじゃなくて、ボソって言ったりとか。でも、そのぶん弱点もめっちゃ足並みそろってしまってるんで(笑)。
──弱点とは?
盛山 見取り図って、ホンマに芸能タレントとかトレンドを知らないんですよ。普通どっちかは押さえようとするけど、どっちも押さえてない(笑)。一応僕が知ろうとはしてますけど、最後のドラマが『人にやさしく』(フジテレビ/2002年)で止まってますからね。
最も過酷だった2021年を振り返る
──特に元同級生コンビの方々なんかは、相方というより友達のような関係性に感じることも多いんですが、見取り図さんは、もちろんいい意味でザ・ビジネスパートナーだなと。
盛山 “相方”っすね。僕らは20歳で出会ってますから、同級生コンビはめっちゃうらやましいですよ。長く一緒にいればいるだけ、絆と関係性があると思ったらうらやましくてしゃあないですね。言葉も統一されてるし、見やすいじゃないですか。同業者として、同級生コンビには“見えない太い何か”を感じますね。
──相方としてリリーさんと出会っていなかったら、仲よくなっていると思いますか?
盛山 クラスにいたら、僕のこと「うるさい奴やな~」と思ってたかもしれないですね。僕ら友達時代を経験してないんでね。NSC入ってホンマにすぐ組んだんで、一回友達を経験したかったなとも思います。
──それで長く、うまくいってるというのがすごいですよね。おふたりがぶつからない理由として、リリーさんは盛山さんが提案したことは全部やろうと思ってるから、だと。
盛山 そうっすねぇ。提案を却下されたりとかはないですね。
──上京のタイミングも盛山さんが最終決定されたとのことですね。
盛山 でも、そこはちょっとムズかったっすね。一昨年の『M-1グランプリ』が終わってから話し合ったんです。お互いどこかで上京のこと思いながら挑んだんですけど、結果3位。1月にマネージャーも含めて話したんですけど、そこでちょっと意見割れたかもしれないですね。2021年の4月に行くか、もう1年頑張って力溜めるかとかいろいろ話し合って、2022年4月にって最後は決めましたね。
──その最終決定のプレッシャーは計り知れないですよね。
盛山 けっこうありましたけど、そのプレッシャーよりも、次の4月に東京行くって決めてた2021年がとにかくがむしゃらやったんで……あの年よりしんどい年は一生来ないだろうなと思ってます。
──2021年に関して、リリーさんも同じことを。
盛山 言ってました? 2021年は心身共にホンマにけっこうやばかったんで。リリーなんて、一生分ぐらいの腰の痛み感じてますから。あいつ移動で腰やられるんですよ。5日連続、始発で東京とかありましたからね。リリーも珍しく喰らってるなぁと思いました。
──体力的にも精神的にもキツい要素がある中で、何が一番キツかったですか?
盛山 うわぁ~、慣れないテレビとか、『M-1』の重圧とか……なんやろな。ひとつ覚えてるのが、深夜にくたくたでホテルについて、何気なくエゴサーチしてたんです。で、アンチツイートを見つけたときに頭の中で「パンッ」て弾けた音がして、息が苦しくなったんですよ。でも、その次の日も朝から昼までロケ、昼からスタジオ収録で、そのあと別のロケをして終電で大阪に戻って、次の日も朝から……ってスケジュール。そのとき初めてマネージャーに「ちょっとしんどいかもしれん」って言いました。それまでは「なんでもやるで!」ってスタンスやったんで、マネージャーも「え? 盛山さんが?」ってちょっと焦ってましたね。ホンマにしんどかったです。リリーもあのとき、様子おかしかったんですよ。酔ってインスタライブしたりとか、あんなの普段絶対しないんで。とにかく、誰かに何かを聞いてほしかったのかもしれないですね。
──その一年を無事にふたりで乗り越えられて……。
盛山 支え合うっていうよりかは、とにかく各々で必死だったんで、お互い耐えたって感じですね。「あぁ~、こいつ今しんどそうやな~、わかるで、俺もしんどいで~」って。
──2021年の『M-1』が終わってからは、重圧みたいなものが取れましたか?
盛山 負けたら悔しいやろうなと思ってたけど、敗者復活戦で負けたとき、フリスク1000粒一気に食ったんかってぐらいスッキリしたんですよ。あぁ~終わった~!って。たぶん顔もテカテカツヤツヤしてた。
──悔しいよりも、スッキリのほうが。
盛山 まじでスッキリです。とんでもないスピードで新大阪帰りましたから。あんなスピードで六本木から品川まで行った人、人類初ちゃいますか? なんやったら、4位って出た瞬間に配車アプリでタクシー手配してたかもしれない。
──盛山さん、以前の取材では「将来のために『M-1』優勝っていうレッテルが欲しい」と仰っていましたね。
盛山 そりゃあ漫才師としては箔がつきますし、あったらいいでしょうね。でもまあ、違う道もありますし。
──リリーさんの取材は6月に行ったのですが、そのときはまだ『M-1』に出るかどうかはまったく決まってないから何も言えないと仰っていたんですけど、7月の今現在はどうでしょう?
盛山 単独もやりますし、漫才はやりますね。まあ、嘘つきみたいになるのが嫌やから、はっきりとした名言はできないです。
──では「『M-1』は、もういっか」というスッキリではなく?
盛山 あのスッキリ感はすごかったですけど、その瞬間がスッキリしただけかもしれないし。ただ、2021年の『M-1』終わってからの漫才はめっちゃ楽しかったです。劇場で4分ネタ仕上げるぞっていうより、時間とお金を費やしてきてくれた人のためにする漫才がいいっすね。僕らは1日12ステとかやりますけど、そのうちの1ステが、たとえば九州から来て1、2カ月前から楽しみに待っててくれてる公演かもしれないと思うと、どのステージも気抜けないし、感謝しかないです。
──2021年は本当にキツい一年とのことでしたが、漫才自体もツラさを感じましたか?
盛山 そのキツい中でも、漫才だけはやりがい感じてましたよ。劇場好きですしね。