こんな状況だからこそ、ライブをする
――『和楽器バンド 真夏の大新年会2020』では、有観客ライブで行ったにもかかわらず感染者ゼロの実績を作りました。前例がないなかで開催を決断した勇気が、本当にすごいと思います。
いぶくろ 個人的には『和楽器バンドJapan Tour 2019 REACT-新章-』の八王子が会場になっていた東京公演の経験があったので、「やりたい」と思っていました。
――その経験について、教えていただけますか。
いぶくろ 開催されたのが昨年の10月13日だったんですけど、ちょうど前日に台風19号が東京に直撃したときで。日本全国で川が氾濫して堤防が決壊、八王子市でも浅川が氾濫していて。そのとき僕は「お客さんのために、やらないほうがいい」と思っていたんです。でも、事務所の社長が「こういうときこそやるべきだ」と。ギリギリまで話し合いをして、でも結果的に開催したら会場に来られたお客さんたちがすごく喜んでくれて。「やってくれてよかった」とか「こんな状況だけど、片づける元気をもらいました」と言ってくれたんです。
――素敵な話ですね。
いぶくろ 思い返してみると、東日本大震災のときは自粛し過ぎた気がしていて。もちろんすごく大変な地域もあったし、仕事や家族のことで大変な人もいる。でも、自分で動く余力がある人が大変な人に合わせ過ぎて、みんなそろって元気がなくなるのってよくないんじゃないかなって。気持ちに余裕のある人が来てくれて、楽しんでくれればいいのだと思ったんです。結果的に音楽業界の中でひとつの前例を作れて、いい機会になりました。
町屋 それに、あのときはもうプロ野球も再開してたし。やってもやらなくても、いろんな意見は出てきますから。
神永 正解はないんですよね。自分の中に余力を持っている8人だからこそ、「やろう」って集まれたのかなとは思います。
今だからこそ、世界の人と共感できる
――お話を聞いていると、本当に皆さん逆境に強いですね。2020年って“ニューノーマル”という言葉が出てくるくらい時代が変わってしまったのに、まったく動じないというか……。
鈴華 逆境のときこそ、なんかエネルギーが湧いてくるんです。『全国吟詠コンクール』に出場して優勝したのも、ニコニコ動画で「ミスニコ生2011」になったのも、東日本大震災があった2011年で。和楽器バンドのメンバーにも2012年のうちに知り合っています。
町屋 僕が上京したのも2011年。それまではずっと北海道から通いで東京の仕事に来ていたんです。1週間東京で仕事して、1週間札幌に帰る、そんな生活をしていました。
――なぜ上京しようと思ったんですか。
町屋 ある日突然、「張り合いがないな」と思ったんです。北海道っていい意味でのんびりしていて平和なんですけど、「このままだと、のんびりしているうちに一生を終えてしまいそうだな」と怖くなってしまって。
――それは東日本大震災という、ひとつの時代が変わる瞬間に直面して危機感を覚えたということですか。
町屋 少なからず、影響はあったと思いますね。
鈴華 2011年は、音楽で生きること自体に限界を感じた年でもありましたね。当時はピアニストをしていたので、本当に仕事がなくなってしまったんです。ブライダルもレストランも、演奏の仕事が全部飛んじゃって、音楽で生きていくのはつらいかもな……と少し落ち込みました(笑)。ちょっとずつ状況が変わっていくなかで、「やっぱり何かやってみよう!」と動いたことが、今につながっている感じがあります。
いぶくろ ただ、コロナ禍が東日本大震災と決定的に違うのは、世界中の人が同じ危機に直面しているということ。2011年は言ってしまえば日本国内だけの話だったけど、2020年は世界規模の話なので。だからこそ僕らの『TOKYO SINGING』も、同じ危機に立ち向かっている世界の人々に伝わるものがあるんじゃないか、そう思っています。
鈴華 こんなにも世界が同じ状況になることは、歴史的に考えてもめったにないですからね。世界中の人と同じ問題を抱えている今の状況って、何かを表現をする上ではポジティブに考えることもできるんじゃないかなと思っています。