ピン芸人・本日は晴天なりによる連載「バツイチアラフォーの幸せだけじゃない日常」。
結婚後、韓国にいる旦那のご両親のもとへ挨拶に行った本日は晴天なり。文化の違いによってお義父さんの前で失礼な行動をしてしまったり、近所のおじさんからいきなり下ネタを言われたり?と、さまざまなハプニングに遭いながらも、幸せな時間を過ごした韓国旅を振り返る。
詐欺を疑われた両親への結婚報告
韓国にいる旦那のご両親にはまず、電話で結婚することを報告した。旦那は日本に来てから10年以上経つので、ご両親も「それだけ長く日本にいたら、そりゃ日本人と結婚するよね」くらいに考えていたらしい。そのおかげで、お付き合いの報告も結婚の報告も穏やかに受け止めてくれた。
一方、私の両親には最悪の伝え方をしてしまった。結婚前から同棲している私たちだが、当初は私が離婚して間もないということもあり、両親にお付き合いしている人がいるということは内緒にしていた。
一緒に住む家を借りるとき、審査のために日本国内にいる緊急連絡先が必要だと言われた。そこで私は「じゃあ、とりあえずうちのお父さんの名前書いておこう」と父の名前と連絡先を書いた。すると、不動産屋からうちの父へ「〇〇(旦那の名前)さんの婚約者様のお父様ですか?」と連絡が行ってしまったのだ。
物件を借りる際、「彼女と同棲する」と伝えると、まだ別れる可能性があるため、審査が通りづらくなるという情報を参考に「婚約者」と名乗ってしまったことが完全に裏目に出た。
すぐに父からの怒りパニック電話。「なんなんだ!? 誰なんだ!? どーゆうことなんだ!? 騙されてるんじゃないのか!? なんで言わなかったんだ!?」。スマホを耳に当てていられないくらいの怒号。当時、まだ彼氏だった彼も隣にいたため全部聞こえており、わかりやすく青ざめていた。
しかし、父は悪くない。私が親でもきっとこうなる。
知らない番号からの電話に出ると、不動産屋と名乗る赤の他人から、離婚して間もない自分の娘が、知らない外国人の婚約者だと聞かされるって……。詐欺を疑っても仕方がない。寿命を縮ませてしまったのではないかと、今でも申し訳なく思っている。
父には丁寧に丁寧に事情を説明し、なんとかこの場は収まった。
そして結婚するころには、「こんな娘で本当にいいの!? もらってくれてありがとう!」ぐらいのテンションになっていた。バツイチでアラフォーで学歴も資格もなく、定職にもつかない娘と結婚してくれるんだから、父親の心情的にもそうなって当然か。
韓国にいる旦那のご両親のもとへ
旦那のご両親に直接ご挨拶をするのは、籍を入れてからになってしまった。結婚してから3カ月後、旦那と韓国へ。空港まではお義父さんが迎えに来てくれた。
対面した際に「ア、ア、アニョハセヨ~」と言ったきり、私は会話に入れず車中では旦那とお義父さんが9割5分話していた。たまに私も話かけられるが、ほぼほぼ聞き取れなかったため、笑ってごまかしていた。
ご両親と少しでも話せるようにと韓国語を勉強していったが、現実は甘くない。初級レベルの韓国語ではまったく歯が立たず、ほとんど旦那に通訳してもらっていた。旦那は滞在していた5日間、四六時中通訳していたので、私に向かって韓国語、両親に向かって日本語を話してしまうほど、ごちゃ混ぜになっており、苦労をかけてしまった。
旦那は恥ずかしがり屋で人見知り、普段からあまり口数が多いタイプではないのだが、ご両親はふたり共明るくておしゃべりで陽気な方々だった。
お義父さんに韓国語で「お義父さんどう? かっこいい?!」と聞かれたときは、せっかく聞き取れたのに、とっさに「サイコーです!」と日本語で言ってしまった。するとお義父さんは「韓国でサイコは、サイコパスって意味だよ!」と言ってガハハと笑っていたが、ものすごく肝が冷えた。
韓国では日本と真逆で食事中にお茶碗を持ち上げるのはマナー違反なのだが、何度もやってしまった。やらかすたびに慌てて謝ると、お義父さんは「平気! 平気! ほら、私もこうやって食べるよ!」とか言いながら、お茶碗を持ち上げてご飯をかき込んでくれた。
ほかにも100回くらいは失礼なことをやらかしていたと思う。
お義母さんには家に入るなり、何かを教えられた。「さあさあさあ! 挨拶の仕方はこうよ! さぁ、まねしてやってみて!」的なことを言われ、「えっ? えっ?」と戸惑いながら、見よう見まねでやってみた。お義母さんは「うんうん、OK! さぁ、行こ!」的な感じで、すぐに家を出る準備を始めた。
近くに住んでいる旦那の妹も合流し、4人でおばあちゃんちへ向かうことになっていたのだ。
お義母さんが家についてすぐ私に教えてくれたのは、クンジョル(큰절)という韓国で最も丁寧なお辞儀の作法だった。クンジョルは結婚式やお正月など、親や先祖など目上の人に対して敬意を表す挨拶で、お辞儀だけでなく立ち方まで決まっている伝統の礼節。私がおばあちゃんに挨拶できるよう、あらかじめ教えてくれたのだろう。だけどお義母さんの教え方は正直けっこう適当だったので、移動中にYouTubeを観ながら入念にシミュレーションをした。
おばあちゃんの家は郊外にあり、ソウルからバスとタクシーを使って2時間くらい。日本でいうと、東京から神奈川の奥のほうに向かうイメージだ。
移動に時間がかかってしまうためか、「挨拶だけしたらすぐ帰るから」とお義母さんは言っていた。
旦那も妹もそうしようとうなずいていた。しかし、私は今まで親戚の家に訪問した際の経験上、挨拶だけでは帰れない、きっとご飯も食べて行けって言われるはず、と密かに確信していた。
昼食はお義母さんおすすめのおいしいドジョウ汁のお店で食べた。
バスターミナルで驚いたことがあった。トイレの個室内にトイレットペーパーがなかったのだ。紙が切れていたわけではない。トイレットペーパーホルダーそのものが設置されていなかったのだ。
どうやら入口で使う分だけピックアップして個室に入るらしい。失敗した。
お義母さんが外から大きな声で「紙ある~~!?」(韓国語)的なことを言ってくれたが、私は「あります!!」(韓国語)と叫び、自前のポケットティッシュで代用し、難を逃れた。危なかった。ハンカチとティッシュを持つよう小さいころから教育してくれた親に感謝した。
韓国の田舎町で収穫体験
外国の田舎の風景、とてもワクワクした。
おばあちゃんは94歳だがとても元気で、うれしそうに私たちを迎え入れてくれた。
お義母さんに「朝、習ったあの挨拶(クンジョル)は? いつやるの?」と確認すると、「ああ、あれは、体が悪い人にはやらないの! 立ったり座ったり大変でしょ! おばあちゃんは体を壊してるからやらないの!」と言った。
なんとあれは、お義母さんとの本番クンジョルだったことが判明。「ええええええ!? 練習じゃなかったの!?」と、思わず大声で驚いてしまった。知らなかったとはいえ、お義母さんとの大切な挨拶を適当な感じで終わらせてしまった……。しかし、よく考えたら、そもそもお義母さんのクンジョル自体がYouTubeで確認した動画の20倍くらいの適当さだったので、お義母さんも、まあ形式的に一応やっとこうか~くらいの感覚だったのかもしれない。
おばあちゃんの住む家は100年ほど前に建てられたらしい。立派な門構えでとても大きな平屋だが、あちこちボロが出ていた。
直さないのかと尋ねたところ、「ひとり暮らしだし、もうすぐ死ぬだろうからこのままでイイ!」と言っていた。潔いというか、なんというか……。
1時間ほど経ち、お義母さんが「そろそろ帰る」と伝えたところ、おばあちゃんは「私は体も壊れているし、次、会えるかわからない! もうすぐ死ぬかもしれないんだから一緒にご飯を食べていってくれ!」と言った。
予想どおりだったのもあるが、こう言ってくれたことにむしろホッとした。お義母さんは月に何度か会いに来ているらしいが、私にとってはひょっとすると最初で最後の顔合わせになりかねない。そうならないことを願うが、さすがに1時間でさよならは寂し過ぎる。
「わかったよ。急いでビビンバを作るから一緒に食べよう」と、お義母さんは準備に取りかかった。
私が「何か手伝いましょうか?」と声をかけると、「大丈夫! 大丈夫!」と言って、お義母さんは、外にあるビニールハウスから野菜を採り始めた。「そこから?!?!」思わず声が出たが通じないので助かった。急いで準備すると言っていたが、けっこうたくさん採っていたので、さすがに手伝うことに。
野菜を摘み終わったお義母さんは、土間のような場所で野菜を丁寧に洗い、台所へ向かうと、米を炊き忘れてることに気がついた。「野菜を摘む前に絶対やっとくべき作業ゥゥゥ!!!」思わず声が出たが通じないので助かった。
聞き間違いで危うく大惨事?
米を炊いている間、家の外を探索していた。すると、おばあちゃんが畑の向こう側に隣の家の人がいるのを見つけ、私と旦那を連れて挨拶へ。「この子は孫のお嫁さんなのよ〜! 日本人なの〜!」みたいな感じで私を紹介してくれた。
すると、隣のおじさんは私に向かって「ペニス」と言った。
え…? ペニスなんて韓国語あったっけ……? 戸惑った私は聞き返した。
「ペニス?」
すると、おじさんはもう一度言う。
「ペニス!」
確かに言っている「ペニス」と。
何? 怖い、韓国のスラングか? 日本人を嫌いな韓国人の人もいるんだろうなと覚悟はしていたけど、面と向かってこれは怖過ぎる! でも、こんなにハッキリ面と向かって言うか……?
いや、絶対言わないよな? 隣の家の孫の嫁にこんなこと言わないよな?
そんなことを考えながら私は、自身の体格が一般的な女性より大きいことや、襟足がイカツめに刈り上がっていること、顔がプロレスラーの飯伏幸太選手に似ているという事実を思い出し、“最悪もうカミゴェを喰らわせればいい……”己に宿るゴールデンスターの面影を信じ勇気を出して韓国語でこう伝えた。
「チョンチョニ! マレジュセヨ」(ゆっくり言ってください)。すると、おじさんはハッキリゆっくり声を張った。
「ジェ! ペ、ニ、ズ!」
ジェ、ペ、ニーズ……?
アッ!!!! ジャパニーズ!!!
おじさんは「日本人だね!」と言っていた。
韓国語はわからないだろうからと配慮して英語で話してくれたのに、とんでもないやりとりをしてしまった。そして、一瞬でもカミゴェを喰らわせばいいと思った自分を恥じた。
大盛りのビビンバをみんなで囲んで
私が初対面のおじさんとペニスと言い合っている間にビビンバが完成した。ゾウガメの甲羅ばりのバカでかいステンレスボウル。日本ではまごうことなき業務用サイズのボウル。そこにいっぱいのビビンバ。
これが韓国の食卓ってやつか~多いな~!と感心していたらおばあちゃんが、「こんなに作ってどーすんのだい! 食べ切れないよ!!」と、語気的にちょっと怒っていた。どうやら韓国のデフォルト量ではなかったらしい。
おばあちゃんちに来る前、昼食にドジョウ汁をたらふく食べているので、お義母さんも含め、みんなまだお腹いっぱい。妹は「私、ダイエットしてるからちょっとでいいよ」と先手を打ち、旦那も「私も」と乗っかった。ふたり共身内の孫感をめっちゃ出していてズルい。私だって同じ時間に同じ量のドジョウ汁食べていてお腹いっぱいなのに~。
だけど、お義母さんのビビンバは今まで食べた中で間違いなく一番おいしかった。
何に対しても日本ラブ!日本しか勝たん!な旦那が、料理だけは韓国料理が好きなのは、お義母さんの作る料理がおいしかったからなんだと、旦那のルーツを知ることができた。
ちなみに私はこのあとも韓国にいる間、とにかく食べた。お義父さんといるときも伯父さんと会ったときも、言葉が通じないぶん、とにかく笑顔で、いっぱい食べた。それが私のこの旅での責務であり役割であり、唯一のできることでもあったから。「いっぱいお食べ」と言われ、言われるがまま、ひたすら食べた。
旦那と妹とお義母さんが1杯目、おばあちゃんが半杯、私は3杯目を食べてるときに、先ほどのペニスおじさんの家から今度はおばさんがやってきた。
「あ! オンニ、あなたもちょっと食べていきな!」と、お義母さん。返事も聞かないまま、隣のおばさんの分もよそい始めた。
メシア……。名前はわからないが、私は心の中で彼女をメシア(救世主)と呼んだ。きっと旦那も妹もおばあちゃんですら、そう感じていたに違いない。
「え~?」と言いつつ玄関先に腰かけたメシアはすぐにビビンバを食べ始めた。このお隣さんとの距離感、ご飯までのスピード感、日本では味わったことない!
ちなみにメシアも「こんなにたくさん作ったの!?」と言っていた。メシアはあっという間に自分の分を食べ終え、最後はボウルに残ったものをかき集めて平らげてくれた。
おばあちゃんは94歳。次、いつ会いに行けるかわからないが、私は「ト、マンナヨ」(また会いましょう)と言って、手を握った。