アニメーション云々に収まるような作品ではない
でも、やはりどこかで気になっていた。僕はどこかで、エヴァに期待しつづけていたのだ。その証拠に、『シン』は確実に、初日のなるべく早い時間に観なければならないと思い、実際そうした。『シン』を観て、庵野秀明がなぜ新劇場版を作らねばならなかったのかがようやくわかった。本当によい作品で、観ながら涙もボロボロ流してしまった。新劇場版を作ることで、庵野秀明は、落とし前をつけなければならない、と思っていたのだと感じた。自分自身に、そして、この歴史的シリーズがその人生を巻き込んでしまった、エヴァをさまざまなかたちで愛した人々に。
エヴァは多くの人の人生を変えた。僕自身もそのひとりだ。自分は実験的なアニメーションについてその身を捧げることでこの業界に入ることになったわけだが、そういった表現を自分が許容し、好むようになったのは、間違いなく第25話・第26話の数々のメタな実験ゆえだったし、あの狂った旧劇場版を浴びるように観ていたからだと思う。
『シン』もまた、そのメタな実験性が素晴らしかった。こんなふうに狂った映像が、これほどたくさんの人たちに観られているというこの状況に、オルタナティブな表現を発掘して紹介することを行う自分としては、希望を抱かせてもらえた。『シン』のメタ性は、かつての鬼気迫るものではなく、何か、穏やかさを感じさせるものだった。地に足がついていて、人は年を重ね、少しずつ成長していけるのだということが、作品そのものから伝わってくるようだった。自分のやってきたことに責任を持つこと、落とし前をつけること。その中で、さまざまなものを受け入れ、許容すること。それがテーマとなった、大人の作品に思えた。
自分とエヴァとのシンクロはつづいていて、エヴァが完結したこのタイミングで、自分が生まれ育った「世紀末」な生家は改築のために取り壊され(片づけのとき、エヴァの深夜放送を録画したVHSテープが出てきて感慨深かった。上書き防止のために、しっかりとツメが折られていた)、そして自分自身は40年近くつづいていた独身生活に別れを告げ、結婚をした。子犬も飼い始めた。エヴァの終了とともに、僕自身もひとつの時代にケリをつけ、「新世紀(ネオンジェネシス)」を始めたのだった。
現代の世界のアニメーションシーンにおけるこの作品の「時代性」なんてものはないと(作り方の革命だとかそういうのは当然あるだろうけれども、些細なことだ)、自分自身の専門的な立場からは思う。エヴァはそういうものを超えている。エヴァは、アニメーション云々に収まるものではなくて、人の人生のひとつのピースとなるような作品なのだ。そんな作品はめったにあるものではなく、エヴァと並走し、シンクロできた自分を今では幸運に思う。
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