「クリトリック・リスにしよ」というひと言からすべてが始まった
「クリトリック・リス」というユニット名で、ひとりで活動しているアーティストをご存知だろうか。彼の名はスギム。36歳でそのスカムユニットを突然スタートさせ、スキンヘッドにパンツ一丁というスタイルと強烈なライブパフォーマンスで、一度観たら忘れられないインパクトを残す。そんなクリトリック・リスが2019年4月、日比谷野外大音楽堂でワンマンライブを行った。しかも、なんと自費で。一大イベントを控えていたスギムが「クリトリック・リス」誕生秘話を綴ったコラムをご覧あれ!
※本記事は、2019年2月22日に発売された『クイック・ジャパン』vol.142掲載のコラムを再構成したものです。
中年ジジイ希望の星
「クリトリック・リスにしよ」このひと言がすべての始まりだった。
2006年秋。当時36歳でサラリーマンだった俺は管理職というポストに就き、自分の仕事以外にも、部下の指導や課の売上を任され一気に忙しくなった。終電を逃す日が続き、タクシーで帰っても眠れるのはせいぜい3時間程度。帰ることすら面倒で、会社近くのバーで飲み、奥のソファーで朝まで寝かせてもらう。というのが日課となっていった。
この日のバーにいた客は常連の若者ふたりにサラリーマンと俺。お酒が程よく回ってきて、客同士で音楽談義となった。影響を受けたアーティストや感動したライブなど。そんななか、サラリーマンが「またライブでベース弾きたいなぁ~」とボソッと漏らした。若者ふたりが「えっ! バンドやっていたの? 俺ギター弾けるしこいつドラム叩けますよ」。3人がカウンターの端の俺を見る。「いや。俺は、音楽経験まったくないし」。「じゃあ、ダンサーで参加してや」。正直、うれしかった。結婚もした。仕事では管理職にも就いた。まともな人生を歩んできたつもりだが、趣味と言えるような趣味がなかった。歌は下手。楽器もできない。だけど音楽は好きでいつかステージに立ってみたいという夢があった。「じゃあ、この4人で決まり。バンド名はどうする?」深夜の酒が入った男達のこと、発せられるのは下ネタばかり。「アナルナルシスがいいね」、そこで俺が放った「クリトリック・リスにしよ」。これが通った。音楽経験のないサラリーマンが命名したという理由だけで、バンドのリーダーとなった。
それから数日後、早速バーのマスターから周年イベントに出てほしいとオファーがあった。そのことをメンバーに伝えたが、仕事が繁忙期に入ったため、練習することもできず、なんの準備もないままライブ当日を迎えてしまった。仕事を抜け出し、出番直前に会場入りしてみるとほかのメンバーが来ていない。楽器を持つ3人にセッション演奏してもらい、後方で俺が踊る。というのをイメージしていたのに。ハコの人に泣きついたけどダメだった。「告知しているのでなんでもいいからやってくれ」。覚悟を決めるしかなかった。対バンの人からボタンを押せばドラムパターンが流れるリズムマシーンを借り、強い酒をガブ飲みし、なんとでもなれ!とスーツを脱ぎ捨て、パンイチになってひとりステージに飛び出した。何をしたのか、何が起こったのかまったく覚えていない。目覚めたら全裸でゲロまみれだった。「ありがとう。よかったよ」ってマスターが笑いながら伝えてくれた。
このデビューライブが噂となり、クリトリック・リスというひとりユニットがライブハウスやイベンターからオファーを受けることとなる。仕事では必死に頑張って成果を上げたとしても、何もしていない上司が評価される。そんな不条理に目をつむってきたが、音楽活動においては評価がダイレクトに伝わる。それがやりがいにつながった。
2012年、18年間働いた会社を辞め、音楽で食べていく道を選んだ。2015年にはメジャーと契約しアルバムを配信。2016年クリトリック・リスをモチーフにした映画『光と禿』で主演と音楽を担当した。2017年メジャーからセカンドアルバムをリリース。そして2019年。今まで地道に歩んできたが未だに売れていない。36歳で始めて今年50歳になる。周りからは「中年ジジイ希望の星」と呼ばれるようになった。いつまでもサブステージで満足している訳にはいかない。今勝負しないと! 日比谷野外大音楽堂でワンマンライブします。採算取れるわけないと誰も出資してくれないので、自分でお金出してやります。コケたら一生借金を背負うことになるかもしれない。平成が幕を閉じるのと同時に、俺の人生も終わってしまうかもしれない。けどもう人生の半分は生きました。何があっても後悔はしない。2019年4月20日(土)日比谷野音で伝説を作るのみ(※編集部注:ライブはすでに終了しています)。新しい時代はもうそこまで来ている。