BLレビューサイト「ちるちる」編集部員が解説。『窮鼠はチーズの夢を見る』が話題作になった理由とは
これまで刊行された5万点以上のBL関連作の書評を掲載、BL作品のレビューは10万を超える、日本最大級の商業BL専門レビューサイト「ちるちる」。そんな「ちるちる」を日々運営する編集部員が、最近話題の作品の人気の理由や魅力を徹底解剖。今回取り上げるのは、今年中に実写映画の公開も決定している『窮鼠はチーズの夢を見る』。
そもそも『窮鼠はチーズの夢を見る』とは
2020年、大倉忠義(関ジャニ∞)さんと成田凌さんのペアによる実写化映画が公開予定となっているBL作品『窮鼠はチーズの夢を見る』。“窮鼠”と略して呼ばれることの多い作品です。
作者はのちにあの『失恋ショコラティエ』を描いた水城せとな先生。筆者をはじめファンにとって作者の水城せとな先生は神、作品はバイブル。神にひれ伏すしかない信者のひとりである筆者が、一般の皆様への布教のため恐れ多くも筆を取らせていただいている……という有り様です。
主人公は、すぐ相手に流されて体の関係を持つ人生を送ってきた既婚者・大伴恭一。ついた呼び名は“流され侍”! そんな彼が、粘着質でストーカー気質で報われない恋にズルズルしがみつくヒステリック男・今ヶ瀬渉に流されていく……というお話。ポイントは、ふたりの“思いの強さ”のシーソーがどう揺らぎ傾くか。しかもシーソーにはお互いを理解できない障害だらけ。
早々に断っておかねばならぬ点があります。主役のふたりはロクでもない人間です。しかも恋であらゆる行動を決める恋愛脳。当て馬や読者を巻き込みながら突き進む姿はまさに“BLトルネード”。現実世界にいたら、しっかり心のソーシャルディスタンスを取りたい方々です。それなのに、なぜか、どんどん愛おしくてたまらなくなってしまう……。
1話目だけでも人としてダメなポイントが満載。例を挙げてみます。
1ダメ:恭一と今ヶ瀬再会のきっかけは、既婚者である恭一の浮気(妻が今ヶ瀬に調査を依頼)
2ダメ:浮気の事実を隠す代わりに、と関係を迫る今ヶ瀬
3ダメ:今ヶ瀬には同棲中の恋人がいる
4ダメ:今ヶ瀬は恋人を前にしながら、恭一との電話で「俺は貴方が死ぬほど好きですよ」と言う
作品導入部となる1話目の時点で、既になんと4つも倫理観が迷子なシーンがあります……。これは困った……。
作中に散りばめられた魅力の数々を分析
「共感できそうでできない」恋模様
本作がここまで人気作となった理由はいくつかありますが、ひと言で言うと「共感できそうでできない、リアルなLGBTQの恋愛模様だから」なのではないかと思っています。ゲイとノンケの恋をここまでリアリティを持って描き、人気になった作品はおそらく初。だからこそ、ゲイとノンケの恋愛の難しさ、それを描く絶妙な心理描写の応酬が際立ちます。
このような内容と令和社会がマリアージュ。連載から10年を経て、LGBTQ理解が進み始めた今だからこそ、さらに輝きを増した作品だと思うのです。そう、イエス・キリストが3日後復活したように。
厄介だけど憎めない、今ヶ瀬が持つ魅力
恭一は流されやすい性格が原因で、女性と簡単に体の関係を持って生きていました。それは社会人になっても変わりません。今ヶ瀬に押されて同棲するようになっても、女性と何度も関係を持ってしまいます。嫉妬に狂う今ヶ瀬、今ヶ瀬を受け入れることを決断しきれない恭一。
いくら流されやすい性格とはいえ「なぜノンケの恭一が、ヒステリックで面倒なゲイの今ヶ瀬に惹かれるの?」という点は、全読者が共通して頭にハテナが浮かんでいるはず。そんな読者の疑問に水城先生が答えてくれるかのように、今ヶ瀬の魅力がドカン!ドカン!とバズーカのように毎話放たれます。
恭一に愛されたいのかと思えば、むごくてもいいから好きにされたい。「愛人にしてくれませんか?」と言ったかと思えば、なびかない恭一に逆ギレ。キレておきながら泣いてすがって、でもやっぱり健気に「好きなんです」とか言ってしまう。さらに「恭一はいずれは女のものになる人だ」と考えることで、いつか訪れる絶望から自分を守る痛々しい今ヶ瀬。
執念深くて情緒不安定、傍から見れば「ヒステリックでめんどくせぇ!」と思ってしまいます。だけどそこが人間的で心に刺さる。だから恭一も捨て切れなかったのかなと。たった1話の中で喜怒哀楽がジェットコースターみたいに変わっていく……。それこそが今ヶ瀬の、厄介でありかわいくもあるところかなと個人的に思っています。
TLだと“胸糞”だけどBLなら“応援”になる
読者は女々しい今ヶ瀬に感情移入しやすい傾向にあり、彼の「最初で最後の本気の恋」を応援しながら読む方が多いようです。
仮に本作がティーンズラブやレディコミ(大人の女性向け恋愛マンガ)などBL作品ではなかった場合を考えてみると……。今ヶ瀬は、女性主人公の夫を盗む泥棒猫。しかもその夫は、流されて誰とでも関係を持つクソ男。それなのに、BL作品となると読者は泥棒猫な今ヶ瀬を応援してしまうのです。いったいなぜなのか。
レディコミの場合は女性読者が女性主人公視点となるので、“感情移入しすぎる”という点があります。たとえ感情移入しなくとも、自分と重ねて「私ならこうする」といった意見を持ちやすいのです。いわゆる“胸糞展開”と呼ばれるシーンを読むと、本当に嫌な気持ちになりませんか? レディコミには、そういった気分の浮き沈みを楽しむ側面もあるのですが。
本作は当て馬として女性が登場するものの、あくまで主人公たちは男と男。女性読者には完全に理解できない(はずの)壁があります。主観で読むというより、友だちの恋話を無責任にアドバイスするような距離感を保てるのではないでしょうか。そのため、ドロドロの展開と深い心理描写を楽しみつつも、読後には爽やかさが残ります。
そして、読んだ後に「何かすごいものを見てしまった」ような感覚に襲われ、友だちの恋愛に口出しするように、自分の意見をコメントしたくなるのです。友人や芸能人の恋愛にコメントして、何だか気持ちよくなった経験はありませんか? あれと近しい心理で、感想を残すとさらに満足感が高まる読者が多いように筆者は感じています。そのためか、「ちるちる」には、本作へ200件以上の長文レビューが残されています。
「BL純文学」と呼ばれるほど名言の宝庫
窮鼠は名言の宝庫。ストーリーやイラストはもちろんですが、言葉選びも国宝級です。時代が違えばその名言たちは歌として愛され、万葉集に何首も掲載されたことでしょう。
代表的なのは「恋愛は業だ」「可愛いっていうのは 愛す可(べ)しって書くんですよ」という台詞回しの妙。窮鼠が生まれた場所はもはや世界文化遺産にも登録してほしい。この言葉たちは、心理を掘って掘って突き抜けたからこそ生まれた名言。本作がBL純文学と呼ばれるゆえんです。深読み好きな方は、間違いなく沼にハマってしまうはず。