俺はなんで生きてるんだ!
そんなある日。知人の映画監督が短編映画をリモートで撮影するといい、そこに出演してくれないかと頼まれました。自分の家で自分で(時に母が)自分を撮影したり、Zoomで話す監督と自分を撮影したりしました。またZoomです。Zoomですから、Zoomなもんで、溜まりに溜まった自分の表現欲(=自己顕示欲)が爆発してしまいました。何かが見えなくなり、何かが見え始めました。
さらに知人がZoomでのリモート撮影の動画をツイッターに毎日アップしていたり、大ファンの劇作家がZoomでリモート劇を撮影していたようで、近日中に公開することを知りました。それに以前からこんなご時世だからと自分を発信でき、表現しているアーティストや芸人、クリエイターの方たちを尊敬しつつ、とても嫉妬していました。俺は何をしているんだ?俺だって表現者じゃないのか!俺は無名だし、有名人ぶりたいわけじゃなくて、出しゃばりたいわけでもないよ。そんなのわかってるわ!!!表現に有名無名なんて関係ないだろ!!お前はなんだ!!俺はなんだ!!俺はなんで生きてるんだ!俺は!!俺!!俺!!俺!!俺!!俺!!俺!!俺!!俺!!俺!!俺!!!!
こうして私はまた一人でZoomをはじめました。すると何かがひらめき、今の俺にはこれしかない!と、もう止まらなくなりました。
「SAVE the 俺」をありがとう
こんな俺は、今ここからどこへ行こうとしているのか。そして、俺の、俺たちの映画はどうなるのか。
映画はすげえ大切だけど、でも、でも、大きく捉えると、どうでもいいんだ(いや、撮影延期になった映画は撮りたいよ。いつか絶対撮りたい)。
そして、一人zoomシリーズも大切だけど、どうでもいいんだ。
でも、でもね、そのシリーズの動画を作ってるとき、すこぶる楽しくて、さらにツイッターやFacebookでそれを見てくれた人がけっこう楽しんでくれたんだ。その楽しんでくれた人たちの声を聞いたら、ああ作ってよかったなあって心底思いました。ああ、俺、生きてるなあって、命を感じました。自分が少しだけ救われました。表現というものに救われました。表現を楽しんでくれた人たちに救われました。「SAVE the 俺」をありがとう、みんな。
命ってすごく大切で、絶対どうでもよくないもので、そんな大切な命というものが、どうでもいい表現に救われた。それって、なんなんだろう。もしかしたら、世の中のどうでもいいと思われているものすべてがどうでもよくないかもしれない、ってことだろうか。
“どうでもいい”と思える軽やかさと、“大切”だと思える情熱をバランスよく併せ持っていければ、きっとこんな世でももう少しだけ楽しく生きられるはずだ、なんて思いました。
以上。どうでもいいおっさんの日常を最後まで読んでくれてうれしいです。あなたの“どうでもいい”が、少しでもあなたの“大切”に寄り添えたなら、それはとても世界平和です。