7月14日(火)に発売となる、エバース佐々木隆史の初エッセイ書籍『ここで1球チェンジアップ』。野球に懸けた青春、夢に届かなかった挫折、目標を失った時間、そして芸人として再び立ち上がっていく日々。もう一度何かを目指したい人の背中を、そっと押してくれるような自伝的エッセイとなっている。
ここでは本作に収録されるエッセイより、2025年の『M-1グランプリ』について振り返ったエッセイを特別公開する。
手放すしかなくなってしまった家宝
2025年、2回目の決勝は、そうですね、もう結構、忙しくさせてもらっての1年だった。ネタを作る暇が昔より減った分、不完全燃焼だったなって感覚はありますね。決勝でやった『車』のネタも、今までの貯金でなんとかウケました。
ネタに関しては、芸人になって6、7年目が一番ネタ作りに向き合ってたなと思います。『M-1』準々行くぐらいのとき。僕ら2023年の『M-1』の敗者復活から去年の決勝までにやったネタ、『NHK新人お笑い大賞』や『ABCお笑いグランプリ』など賞レースでやったネタ、全部その6、7年目のときに作ったネタなんですよ。だからその貯金で、なんとか忙しくてネタ作りの時間が少なくても戦えたかなと。
2025年は寄席がめっちゃ増えました。いわゆる、若手芸人ファンが観に来てるライブでネタをやる回数は減り、お笑いを初めて生で観るという人が全然いるような、『M-1』で知って初めて観に来たというライトなお笑い層の前でネタをやる機会がめっちゃ増えて。そうなると、絶対ウケるネタをやりたいんですよ。それこそ、若手の劇場……渋谷漫才劇場とか、神保町だったら常連さんも観に来てるから、僕らの中の有名なネタをやるより、全然見たことないような「エバースってこんなネタもあるんだ」って感じのネタのほうがウケたりするんです。だからみんな往々にして有名なネタはやらないんですよね。そういうコンビたちもみんな寄席、いわゆる一見さんの前でやるとなったら、ちゃんと強いネタをやらないとウケないんですよ。
だから、とにかく強度が高いネタ、単純に面白いネタをやらないと寄席ではウケないわけですが、僕らはお客さんに寄せるネタの作り方がほとんどわかってない。寄席や営業に来るような一般の人にはウケるネタの作り方がわからないので、だったらとにかく強いネタをやるしかない。わかりやすいネタがあんまり得意じゃないんですね。だから僕らでいう強いネタ、あの『車』のネタを、結構な頻度でやってたんですよ、ルミネとか、NGKとか。あれはそのとき初めてエバースを見るような人にもウケるネタだったので。だから『車』のネタは『M-1』に向けて叩いていたわけではなく、とにかくその日ウケるためにそれでしのぐという感じでした。
でもやっぱり寄席なので、ネタ尺10分くらいはあり、だからちょこちょこアドリブ入れたり、日によっては特定のくだり長めにやったり、その中で「ここはこう言ったほうがウケるな」という肌感覚は寄席でわかっていって。で、いざ決勝が決まったときに、正直自信あるネタがなかったんですが、『M-1』に向ける時間が例年より少なかったこともあって、『M-1』用の確固たるネタが用意できなかった。これはまだ自信ないなっていう状況で決勝が決まっちゃったから、もう急遽『車』のネタやることにしたんですよ、1本目に。
できればそれはしたくなかったというのが本音です。自分たちの中では、なんて言うんですかね、おじいちゃんの家宝を売ってしまったみたいな感じ。借金で首が回らなくなっちゃって、これだけはおじいちゃんの形見だからって大事に取っておいたやつを売ってしまったみたいな感覚です。ごめんおじいちゃん、俺、先祖代々守り続けてきた家宝を『M-1』に売っちゃった……。

『M-1』決勝当日、朝起きて、支度して、テレビ局行くその間もまだ「どうしようかな」っていう気持ちでした。『ケンタウロス』もそうですけど、やっぱり『M-1』でやったネタって、それ以降寄席ではやりづらいんですよ。でもあのおじいちゃんの形見は寄席でやったら絶対ウケるネタだから、『M-1』でやらなければ一生使えるわけじゃないですか。この世界、寄席で爆笑とっていれば食いっぱぐれることはないですし、だから本当に……なけなしのやつを『M-1』に売ってしまったという。ごめんね、おじいちゃん。
もうおそらく1本目は『車』でいくしかないだろうなと、もう前日にはうっすら覚悟はしていたんです。でも別のネタをずっとああじゃないこうじゃないって考えてたら「そういえば車のネタ4分にすらしてないわ!」ということに気づいて。もうそこからバタバタっと4分にした感じです。それも危なかった。昔、1回戦に行く車の中でその日のネタ考えていたのとさして変わってない。何も進歩してない。
何度も言いますが、僕夏休みの宿題を一回も期限内で終わらせたことないんですよ。ずっとどこかで「なんとかなるだろ」って思ってる。当たり前ですけど『M-1』の決勝なんて、前もって用意してたほうがいいに決まってる。それなのに前日とか当日まで、まあでもなんとかなるかって思ってしまっている。当日スタジオ入ってから空き時間は結構あるから、そこで削ったりすればいいかと思ってる。それは本当良くないなと思います。当時からちゃんと夏休みの宿題にも取り組んでいたら、もうちょい前もっていろいろ準備できる人間になっていたんですかね。将来、子供には絶対に初日に宿題やらせますね。

エバース 佐々木隆史『ここで1球チェンジアップ』
出版社:太田出版
定価:1,980円(税込)
発売日:2026年7月14日(火)
仕様:四六判/240ページ予定
※内容は予告なく変更する場合があります
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