敬意を持って他人の家に上がれ
『毎日来日』を聴きながら感じたのは、絶え間ない混乱だった。排外主義、ジェンダー、ルッキズム、あるいはアートの社会的地位の低さや「藝大生」に対する偏見……そして普通に課題も大変で予定も詰まっていて、どうにか生活を回さないといけない。四方八方から全力疾走してきたたくさんのトラックが交差点の真ん中で大衝突を起こすように、種々の問題はなみちえの身の上で顕現している。そういう交通事故のような日々を、なみちえは平熱の声で歌っている。
そう、日常なのだ。本作は必ずしもわかりやすく開かれたアルバムではない。むしろ「家内生産」感を押し出した、なんというか「他人の家にいるときの居心地の悪さ」に似た感覚を覚える作品である。
イントロは個人タクシーをしているというなみちえの祖母との会話であり、なみちえ以外の参加アーティストはなみちえの兄・NASA(トラック)となみちえの妹・まな(ラップ)だ(なおこの3人が組んだユニットが「TAMURA KING」である)。つづく1曲目の「私の脳内」でなみちえのインナーユニバースが示され、最後はトラックのないポエトリーリーディング「あ1」で終わる。はっきり意味を汲み取らせるためのリリックがある一方で、迂回した表現や「わからなさ」をそのまま与えられるような部分が少なくない。
この「他人の家」的居心地の悪さを、リスナーはまじめに受け止めなくてはならないはずだ。ほどよい手土産を考え、なるべくきれいな靴下を選んで履くような緊張感を持って、なみちえの経験と言葉をそのまま聴かねばならない。そして、なみちえがずらそうとしている言葉の価値体系を、共に動かせないか実践する必要がある。それが『毎日来日』というなみちえの家に入った者の礼儀だと思う。なみちえのラップを誠実に聴くということは、何がなみちえをラッパーにさせたのか考えることなのだ。
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なみちえ『毎日来日』