ホロコーストをめぐるロードムービーの“痛み”に励まされた理由。対照的な登場人物の共通点が映し出すもの(石野理子『リアル・ペイン〜心の旅〜』レビュー)

文=石野理子 編集=菅原史稀


2023年よりソロ活動を開始し、同年8月にバンド・Aooo(アウー)を結成した石野理子。連載「石野理子のシネマ基地」では、かねてより大の映画好きを明かしている彼女が、新旧問わずあらゆる作品について綴る。

第3回のテーマに石野が選んだのは『リアル・ペイン〜心の旅〜』。3月に行われる『第97回アカデミー賞』で、助演男優賞含む2部門にノミネートされている注目作だ。タイトルにある「リアル・ペイン」とは何を表すのか、登場人物や作品全体が映し出す“痛み”から、石野が感じ取ったものは。

『リアル・ペイン〜心の旅〜』あらすじ
かつて兄弟同然に育ち、近年は疎遠となっていた従兄弟同士、デヴィッド(演:ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(演:キーラン・カルキン)が数年ぶりに再会した。亡くなった最愛の祖母を偲んで、彼女の故郷ポーランドを旅するためだ。参加した史跡ツアーでの新たなる出会い。旅の先々で揺れ動く感情。正反対の性格ながら互いに求める“境地”は重なり合う、そんなふたりがこの旅で得たものとは?

※本稿には、作品の内容および結末・物語の核心が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください

人って、心って、めんどくさい。でも……。

感情は自分を満たすものであり、疲れさせるものでもあり、心の豊かさの指標でもあると思っています。

私は、胃袋が小さくなった、大きくなった(実際そうではないらしいです)というように、私の心という感情のキャパシティが大きくなったり小さくなったりしているのを感じるときがあります。

私は感情を扱うのが不得意で、基本的には体力と感情がリンクしている感覚があるので、感情を一日フルに使うとぐったりと疲れてしまうタイプです。そのため、少し前までは自分の感情で疲れないように、一日の中でバランスを取って省エネでいることがありました。

最近は、そうならないよう理性を優先した考え方をするのが癖になってしまい、感情を引き出すには時間がかかることもあるので、自分の感情に素直になれるようにがんばっているところです。また、本能的に快楽や嫌悪は感じられるのですが、嫉妬や羨望、憎悪を感じることが少ないので、人に興味がないと勘違いされることもよくあります。

さらに、稀になんらかの身体的な不具合や痛みをきっかけに徐々に心が動き始め「今私はこんな気持ちだったのか」と気づくことがあります。人って、心って、めんどくさいですね。でも、感じた何かがいつかの心の豊かさの指標になると思っています。

「これは現実と遠くない」

(c)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

今回は、先月末に公開されたジェシー・アイゼンバーグ監督の最新作『リアル・ペイン〜心の旅〜』を観ました。

人と歴史に誠実に向き合うことの難しさと美しさ、そして痛みの本質が繊細に描かれている作品です。心地よい音楽と皮肉にも洗練された街並み、非日常を感じざるを得ない映画という世界観の中で終始、「これは現実と遠くない」ということを感じさせられました。

私は始まってすぐ、中心人物で従兄弟同士であるデヴィッドとベンジーの正反対の性格から成される会話に魅了されました。混沌とした社会で、デヴィッドは神経質で強い責任感を持ちながら、ベンジーは一瞬一瞬を自由で感受性豊かに、常識に捉われず生きています。対照的なふたりなのに、それぞれが愛すべき個性を持っていました。

まるでシリアスな内容を含む作品ではないと感じるくらい軽快な旅の始まりでしたが、ふたりの祖母の故郷であるポーランドのショパン空港に着いてからは、しばらく会っていなかったふたりのそれぞれの歩み、歪みが感じられ、彼らが抱えている痛みの片鱗が見えてきます。

対照的なふたりの“痛み”

(c)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

本格的にホロコーストの史跡ツアーが始まり、デヴィッドとベンジーは数日をともに過ごすツアー参加客と会います。ツアーガイドは、ユダヤの歴史に魅了されたジェームズ。彼は勉強熱心で、ガイドとしての役割を丁寧に、そして俯瞰的に務めます。ツアー客の中には母国ルワンダの大量虐殺から逃れ、ユダヤ教に入信した男性や、人生の道筋を見失った女性などが参加しており、それぞれが何かしらの思いを抱えて参加したことが窺えました。

(c)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

ツアー中、ベンジーはほかの参加者と打ち解けようと社交的に振る舞います。しかし、不謹慎なのでは?と周囲がヒヤヒヤするほど煽ったり、形式的にガイドをするジェームズに意見を申し立てたりと奔放なため、良くも悪くも周りを巻き込む力があると感じさせられました。対して、デヴィッドは、そんなベンジーの同行者として責任を負わなければいけないので、間を上手く取り持ちながら行動することにストレスを感じている様子でした。

ベンジーとデヴィット、それぞれの性格と心情が表れた印象的なシーンがありました。

まず、実際に当時の収容所に向かう人が列車に乗って通ったところを、ツアー客が同じように列車に乗ってたどるシーンです。彼らが乗ったのは列車のVIP席で、昼食つきでとても快適な仕様になっていました。それに対して、ベンジーは強い不快感を露わにして、ほかのツアー客を混乱させてしまいます。ガイドのジェームズは「そういう気持ちになるのも当然だ」と理解を示すのですが、ベンジーは不機嫌になり、違う一般車両に移動します。

もうひとつは、とある晩にツアー客全員でレストランで食事をするシーンです。それぞれがこれまでのツアーを通して感じたことなどを吐露する場面で、ベンジーは自身にとって一番の理解者だった祖母が亡くなったことへの悲しみを話します。

そんなベンジーの様子を受けてデヴィッドは、そこでも好き勝手に振る舞うベンジーに苛立ちを見せますが、その後、実はそんなベンジーを「愛していて、憎んでいて、殺したいときもあるけど、彼のようになりたい」と打ち明けます。

(c)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

このツアー中、ベンジーは薬物を、デヴィッドはひっそりと精神薬を摂りながら、誰にも測ることのできない苦悩と向き合っていました。まるで正反対のふたりですが、自分の心に対してはとても素直に見え、何かに怯え感情をセーブしがちな私は、出てきた感情がどこに行き着くのかがわからなくても、何かを感じられていることが大切なのかもしれないと考えされました。

旅の終わりに

(c)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

旅も終盤、ふたりはここでツアーを離脱し、かつて祖母が迫害される寸前まで住んでいた家を訪ね、彼らなりの手段で追悼して帰路に就きます。

この数日間のツアーを通して、彼らは相手に対して抱いていたわだかまりもほぐれて、新たに絆が結ばれたようでした。そして、最後は肩の荷が下りたような穏やかな表情で別れを告げます。

始まりと変わらず、人が好きなベンジーは空港にいる人々を観察してから帰ると言います。

このように旅の始まりと終わりで劇的な変化がなくそのまま日常に戻るため、観ている私と作品をつながれているようで、鑑賞後も長く余韻を感じました。淡々と過ぎてしまう日々をどう生きるのか、ふたりに癒やされ励まされ、とても自分事として捉えられた作品でした。

『リアル・ペイン〜心の旅〜』

1月31日(金)TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー

原題:『A REAL PAIN』
監督・脚本:ジェシー・アイゼンバーグ『僕らが世界と交わるまで』
出演:ジェシー・アイゼンバーグ(『ソーシャル・ネットワーク』『ゾンビランド』)、キーラン・カルキン(「メディア王〜華麗なる一族〜』『スコット・ピルグリムVS.ザ・ワールド』)、ウィル・シャープ(『Giri/Haji』)、ジェニファー・グレイ(『ダーティ・ダンシング』『ある朝フェリスは突然に』)
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

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石野理子

(いしの・りこ)2000年10月29日生まれ。広島県出身。2014年、アイドルグループ・アイドルネッサンスのメンバーとして活動スタート。2018年、同グループ解散後、バンド・赤い公園のボーカリストに就任。2021年に解散。2023年よりソロ活動を開始し、8月に、バンド・Aooo(アウー)を結成。また..

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