「ちょっとよかったあの日」の記憶を唯一無二の筆致で描くAマッソ村上によるファンタスチックな回顧エッセイ。連載第9回目となる今回は最近できた中国人の友達から、子供時代のオーバーシーフレンドとの思い出を振り返る。今でも忘れられない「シャコツボキ、ボ、キニシュタロケ」とはいったい。(『芸人雑誌volume12』との連動企画である今回は前半部分をQJWebで公開。気になる後半はぜひ芸人雑誌本誌でご覧ください)。
今月のスープは「カニラ玉春雨中華スープ」
【材料】
・水…400cc
・鶏ガラスープの素…小さじ2
・しょうがチューブ…ぶちゅん
・ごま油…ちょぺん
・春雨…ちゅるん
・ニラ…半束
・カニカマ…4つ
・卵…2コッケ
・塩コショウ…ピャッピャ
・白ゴマ…ビャッビャ
【作り方】
①ニラカット!
②水、鶏ガラスープの素、しょうが、春雨を入れて3分煮る
③ニラ、カニカマ投入!沸騰したら溶き卵投入!
④ごま油、塩コショウで味を整えます
⑤器にそそぎ白ゴマかけたら完成!
超簡単に賑やかなスープが出来ました!
ニラは栄養満点!スタミナ満点!
カニカマは高タンパクで低カロリー!
春雨はつるんとした食感が◎
ヘルシーだけど食べごたえあって◎
ニラ、カニカマ、春雨、全ての具材とマッチするのが最強食品卵ちゃ〜ん!
一口飲めばみんな言う「ハオチー」
うちも近頃ハオチー、ハオチー言うてます〜。
コウキシンとのきゃーみしんしんな日々
最近中華料理をよく食べる。それは中国人の友達ができたからだ。
後輩のコウキシンの二人とゴルフを一緒にやっている。コウキとシンでコウキシン。おぎとやはぎでおぎやはぎと同じ手法のコンビ名の付け方やね。きしたかのもそうぞなもし〜!
コウキシンの二人は2億円のタワマンにルームシェアしていて、コウキは帰国子女で元実家がトランプタワー。シン君は中国人でバリ大手企業で働いている。コウキの方がよく中国人と間違えられるらしい。にしても、二人とも肩書きエグすぎやろ!
うちは二人の前情報を何も知らないまま、ぱーてぃーちゃんの信子に「金持ちの後輩の家でぇ〜『M-1』観よってなってるんで良かったらいっちょに観よぉ〜」と誘われてまんまと「みゆぅ〜」と当日金持ちの後輩の家とやらに行ってみるとタワマンが聳え立っていて。見上げて、一歩おののき、生唾を飲み込んだのを覚えている。タワマンの中にシミュレーションゴルフが併設されていて「す、す、すごいな〜」とまたもおののいているとコウキが「今度やりましょう!」シン君が「僕もやりたいです!」となんとなくやろやろ〜と口約束してたのがちゃんと現実になり最近は1週間に1回一緒にゴルフレッスンに行きレッスン終わりで、シン君おすすめの中華や火鍋に連れてってくれる。食べたことない料理を教えてくれるからうちは中華料理にきゃーみしんしんなのさ。ハオチー、ハオチーとは言うてますけども、辛い料理が多くて何度も口が燃えている。中国人は辛いの平気な人が多い?と聞くと中国人も辛い、辛いと言いながら食べてるよと教えてくれた。中国事情もちょこちょこ知れて何だかうちって世界を股にかけてるかもとキメ顔になる日々だ。
Good looking guy ブラッド
海外の方と初めて交流したのはいつだろう?と振り返ってみる。
うちの小学校には民族学級(放課後に韓国・朝鮮にルーツを持つ子どもたちが言葉、歴史、文化を学ぶ特別学級)があった。4年生の頃に民族学級の生徒と先生達の発表会があり、男性はパジチョゴリ、女性はチマチョゴリを着て韓国伝統楽器の演奏や挨拶の仕方、歴史を教えてくれた。
そこで覚えた「アンニョンハセヨ」を使いたくて民族学級の先生を見つけては大声で「アンニョンハセヨ〜!」と挨拶をした。小学4年生にして異文化交流してる〜と昂ったのを覚えている。
中学3年生の時にうちはふたつ年上のアメリカ人とひとつ屋根の下に2週間ほど一緒に暮らしていた。お兄ちゃんが海外留学センターとやらに登録していたみたいで留学センターから留学生の受け入れはできますかと聞かれてお兄ちゃんが親に確認したところすぐOKが出たので、うっとこ(私の家)がホストファミリーになった。ブラッドと初対面の時、うちはものすごい照れていた。目がブルーでキラキラしていて、ほりが深く鼻も高い、天井に当たりそうなほど背が高くて欧米さながらで圧倒された。当時のうちは同級生の男の子でも喋ったりするだけでちょっと緊張するチェリーガールだったので、ハンサムアメリカ人となるとなおのこと緊張しまくりボンバーだった。
薄め目になりながら小さい声で「Hey」と頑張って挨拶してみると、ブラッドは「アイ!ヨロシクオネガイシマス!」と思ってるより流暢な日本語で丁寧に挨拶してくれた。それにびっくりしてうちは無意識に「Wow!」と呟いてしまった。
ブラッドは1年前から名古屋でホームステイをしていて、うちの家に来た時はもうすでにある程度の日本語が喋れていた。名古屋だけじゃなく日本の都市を何個か見てみたいという留学バイタリティ生だったみたいで2週間だけ大阪にやってきた。
むき出しの思春期だったうちは、ブラッドと話すことが恥ずかしくて「おはよう」と「おかえり」くらいしか言葉を交わすことができなかった。
ブラッドが来てから1週間たった頃に初めてブラッドから話しかけられた。うちの家は部屋と部屋がすべて引き戸で仕切られている古びた家の作りだった。急な階段(家族みんな何度も落ちたこと有)で二階に上がるとうちの部屋というか、うちのスペースというか、うちのテリトリーがある。引き戸を開けると両親の部屋があり、さらに奥の引き戸を開けるとお兄ちゃんの部屋がある。なのでおとん、おかん、お兄ちゃんは必ずうちの部屋を通過して自分の部屋に行く。ほんまうちのプライベートあったもんやないで!一人部屋を夢見て、新聞に入ってる新築分譲住宅のチラシをどれほど見たことか。トホホ。
ブラッドはお兄ちゃんの部屋で一緒に過ごしていたので、もちろんうちの部屋的なスペース兼テリトリーを通っていく。お兄ちゃんの部屋から出てきたブラットがうちのテリトリーにやってきた時に「お母さんは下にいますか?」とうちに話しかけてきたのです!俄然チェリーガールのうちはダッシュで急な階段を降りて(この階段のおかげで運動神経が良かったのかも)一階におかんがおることを確認してまたダッシュで二階に上がりスカした顔で「おるで」と伝えた。「アリガト!」と言い、ブラットは覚悟を決めた顔で一階に下りていった。おかんに何の用なのか気になったのでこっそり着いていくとブラッドが弁当箱を開きながら「オイシイけど、コメとオカズのバランスがヘンです」とお弁当に米が多くて食べづらいのでおかずを増やして欲しいという訴えだった。おかんは「わかった〜」と軽返事をしていた。そこからおかずの量が増えてお弁当のバランスに納得したかは定かでないままブラッドとお別れした。
ブラッドへ
もっと話せば良かったと後悔してます。
お箸の持ち方、うちよりも上手かったね。
お箸でうちの乳首つまんで〜みたいな
下ネタとか今なら言えるでしょう。
うちより
Brother’s girlfriend カリッサ
それから5年後、なんとうちは同い年のオーストラリア人とひとつ屋根の下に1ヶ月ほど一緒に暮すのだった。
ーーーーー続きは『芸人雑誌volume12』で
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