落語家から見た『R-1グランプリ』新王者・街裏ぴんくの“漫談”。共感に頼らず笑いを生む「熱量」と「マンパワー」
『明治プロビオヨーグルトR-1presents R-1グランプリ2024』で、優勝した街裏ぴんく。芸歴20年目の彼が見せた熱のこもった“漫談”は、多くの視聴者の心を震わせた。
落語家の春風亭昇咲も彼の漫談に魅せられたひとり。同じ話芸で笑いを起こす者として、街裏ぴんくの“漫談”の魅力を語る。
架空世界に出会った日
使うのは、マイク一本。
彼がその口から紡ぎ出す、言葉の数々は嘘か真か。真実か虚構か。
その漫談は、私たちの脳を刺激し、束の間「架空の世界」に連れていく。
大きな叫びとともに、舞台が暗転し、我々は夢から醒めたように現実世界に戻ってくる。
唯一無二。天才。
そんな漫談家・街裏ぴんくの魅力に、私がどっぷりとハマるきっかけとなったのは、2020年に行われた渋谷区伝承ホールでの漫談ショーでした。
当時、「前座修行」という、寄席での毎日の下働きの義務を終え、「二ツ目」という次の身分に昇進したばかりですこぶる未熟だった私は、恥ずかしいほどに見るものすべてにトガり散らかしておりました。そんなとき、始めたばかりのTwitterのタイムラインには、頻繁に著名人や芸人の「街裏ぴんくはすごい」「あいつは天才だ」という宣伝文句が。そこで私は「ほうほう、ならばお手並み拝見といきましょうか」などと、今考えると顔から火が出るような皆目見当違いな様相で、某チケット販売プレイガイドでチケット代以外に謎にかかる、「システム手数料」と「特別販売手数料」の存在意義にブツブツ文句を垂れながら発券したチケットをひとり握りしめ、伝承ホールに乗り込みました。
そのチケットが、のちに毎回独演会に通うほどの魅力あふれる「架空世界」への往復切符になるなんてつゆ知らず。
公演が終わり、「なるほど。これはすごいものを観たかもしれないな……」と席から動けないでいましたが、「いやいや、圧倒されているだけではいけない。このあっという間の1時間の経験を、必ず今後の自分の落語に活かそう」と、無理やりに自分を奮い立たせ、覚束ない足取りで会場を出ました。しかし、私は自らの携帯の画面を見て、しばし呆然。
1時間足らずだと思っていた漫談ショーは、なんと開演からすでに2時間半が経っていたのです。
まさに、街裏さんが作り出した「架空世界」にタイムリープして帰ってきた感覚になりました。
ファンタジー漫談は過酷な道
先日行われた『R-1グランプリ2024』での優勝。優勝直後の街裏さんの「『R-1』に夢はあるんですよ!」という芸歴20年分の思いの込められた叫び。
今年で芸歴8年目の落語家である私には、街裏さんが20年間で味わった苦労や挫折は到底語れるものではありませんが、同じマイク一本で、お客様の心を魅了し、笑いを起こすことに命をかける仕事に携わる身として、多少なりともシンパシーを感じるぶん、深く心に刺さるものがありました。今まで私が観てきた街裏さんの人生そのものをぶつけられているような、数々の漫談が脳裏にフラッシュバックし、彼の人生が変わった瞬間に思わず涙があふれてしまいました。
ここで私が生業としている「落語」と街裏さんが披露した「漫談」の違いが、まだ曖昧な方も多くいらっしゃると思うので説明させていただくと、まず「落語」は必ず座布団の上に正座をして座った状態で話すのに対し、「漫談」は舞台上に置かれたマイクの前に立った状態で話すのが基本です。
また、そのルーツにも違いがあり「落語」が、江戸時代初期に生まれた「会話形式で物語を展開していく話芸」なのに対し、「漫談」は大正時代に生まれた「時事問題や社会風刺を、巧みな話術によっておもしろく伝える話芸」であるといえます。
一見、やり方もそのルーツも異なるこのふたつの話芸ですが、共通する部分はもちろんあり、落語にも、本編に入る前の「マクラ」といわれる「漫談」部分があります。
その内容のほとんどは、基本的にノンフィクション。自ら体験した失敗談・経験談を語り、聞き手となるお客様は、その出来事に共感し、共鳴し、笑う。自分の人生に漫談の内容を重ね合わせ「そういうこと、あるある」という「共感部分」が笑いを作り出す大きな要素となっていると私は思っています。
だから、恐れながら言わせていただくと、街裏さんの「嘘で話を紡いでいくスタイル」というのは、その「共感」と真逆を行くとてもクレイジーなスタイルであり、相当ないばらの道であるといえるでしょう。
「フィクション」だけでは、すぐに聞き手は離れてしまう。「リアル」と「フィクション」のあんばい、最後まで聞き手の興味を離さない圧倒的な「熱量」と「マンパワー」。
我々が思っている以上に、街裏ぴんくという芸人は誰も通ったことのない過酷な道を歩んでこられたのだなと思います。
『R-1グランプリ』は今大会より、準々決勝以降のネタ時間が3分から、4分に変更になりました。
起承転結が必要な漫談を語る上で、この1分というのは、いや、たった10秒でさえ、とてつもなく大きな違いであり、今回街裏さんの魅力が存分に伝わった要因なのではないでしょうか。
でも個人的には、ぜひ街裏さんの独演会にも足を運んでほしい。長尺で聴くその漫談は、よりリアルで、より繊細だから。
ここまでコラムを一気に執筆し、かなり疲れてしまいました。いったん、悦夫・越・嗚咽先生が作ったモーシアスの曲を止め、休憩を取ることにします。
私も今年で、32歳。日頃の運動不足がたたり、疲れやすくなってしまいました。久しぶりに、近所の区民プールに行き優雅に泳ぐのもいいかもしれません。
そこでは、石川啄木と正岡子規がケンカをし、聞き役のキュリー夫人を横目に、森鴎外の送別会の日程を聞くことができるかもしれないので。
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