神聖かまってちゃん、4人最後のライブ【前編】切り刻まれたふすまから“最高”の瞬間まで
このバンドには数多くの“最低”があった。“最高”がありふれていないからこそ、失敗も成功も行き来する人間らしさにあふれている。
ほとばしる衝動、殴り合いのケンカ、数々の解散危機―――。神聖かまってちゃんを10年間撮影してきた映像作家・たけうちんぐが、の子の部屋のボロボロになったふすまから、2020年1月13日に行われたメンバー4人最後のライブまでを前後編でレポートする。
ひきこもりが大きな舞台へ飛び出していく物語
「クッソこんなバンド辞めてぇ!」
あの日、ちばぎんはステージで叫んだ。それはジョークでもパフォーマンスでもない。2014年の恵比寿リキッドルームで、の子とmonoがステージ上で殴り合いをし、ライブが一時中断した際にちばぎんが観客にこう言い放ったのだ。
あれから6年後、2020年1月13日、Zepp DiverCity Tokyo。
観客による<君が僕にくれたあのキラカード その背中に貼り付けてやるよ>(「23才の夏休み」)の合唱に包まれるなか、の子が幼少期にちばぎんから奪ったガンダムのキラカードを、背中に貼り付けて返した。
それはちばぎんへのサプライズだった。ステージ脇のカメラの映像には、客席に背中を向けたちばぎんが腕で顔を隠し、号泣している表情が捉えられていた。
その日のライブを最後に、ちばぎんは神聖かまってちゃんを脱退した。
約10年間、インディーズ時代から神聖かまってちゃんを撮影をしている。かつて7人しかいなかった客席が2000人以上の大きな歓声で埋まるまで、<ぼくはいつか 東京のど真ん中で 何千人の前で 存在を見せてやる>(「いくつになったら」)の歌詞のとおりの展開を見せる彼らを、映像で切り取ってきた。
ありふれた団地に住むひとりのニートがメジャーデビューまでのし上がり、『進撃の巨人』『恋は雨上がりのように』などの大きな作品とのタイアップを務め、衝動的なパフォーマンスと唯一無二の世界観にあふれた楽曲でファンの心を掴んできた。
音楽番組だけでなくニュース番組でも取り上げられた。どれも劇的なサクセスストーリーだった。かつて労働者階級のザ・ビートルズやオアシスが国民的バンドに成り上がったように、ひとりのひきこもりが暗い部屋からインターネットを用いて大きな舞台へと飛び出していく物語は、あまりにドラマチックだ。
死にたいときに「死にたい」と言い放つ嘘のない姿勢
でも、それらは常に“最高”だったわけではない。ライブ中に殴り合いのケンカを何度見てきたか、配信中にメンバーやほかのバンドの悪口を何度聞いてきたか。恥も毒もすべてをさらけ出す。怒りも嫉妬も狂気もネガティブすべてを身にまとう姿は、あまりに人間くさい。
死にたいときに「死にたい」と言い放つ嘘のない姿勢と音楽に惚れ込んで撮影を始めたが、そんな姿に離れていく人たちも少なくはなかった。「こんなライブをするんだったら帰るわ!」というヤジも、「もうかまってちゃんのライブには行かないと思う」というつぶやきも耳にしてきた。解散を何度も匂わせ、楽屋の空気が重苦しくてできれば入りたくないときもあった。
“最低”にあふれていた。それはライブや配信だけでなく、の子自身の精神状態も含めてだ。