芥川賞作家・町屋良平による長編小説『IDOL』の刊行を記念して、著者の町屋と、アイドルグループの作詞を数多く手がけ、小説家としても活躍する児玉雨子のトークイベントが4月19日(日)、下北沢の本屋B&Bにて開催された。
アイドル、そして小説に宿る「言葉」とはなんなのか。アイドル文化に精通するふたりがダンス&ボーカルの言葉を中心に、タイムトラベル青春小説『IDOL』について語り合う。
目次
グループ名に込められた意味と「推される側」の視点
児玉 町屋さんの新刊『IDOL』を読んで真っ先に唸ったのが、劇中に出てくるアイドルのグループ名が「エコーブライツ(8koBrights)」(以下、エコブラ)だったことです。「8」という数字は、小説として読めば仕掛けを期待する部分なのですが、一方で作詞家からすると、グループ名に数字が入るのはまずくないかなってよけいな心配をしてしまいます。やはり、グループというのは変動的なものなので……。
町屋 そうですね、ともすれば悲しみを思い出す数字になってしまいますから。
児玉 アイドル文化には、辻褄を合わせようとするところがあるじゃないですか。8番目はファンのみんな、のような細かすぎる設定は、普段からアイドルを見届けている方のネーミングセンスだなと思いました。本屋大賞を受賞された、朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)もアイドルがテーマですが、『メガチャ』は推す人たちの物語で、『IDOL』は推される人たちの物語。すごくいい組み合わせですよね。
町屋 意図していなかったのですが、両方読んでいただくと答え合わせのようになっていると思います。私はあえて、推す側は小説に入れないようにしたんです。それは、自分が熱狂的な課金勢ではないという引け目もあり、「現実のほうがすごいに決まっている」という文学の矜持に立たされてしまって。それで、ファン側の描写は最小限にして推される側をメインに書きました。

「オラオラ」「かわいい」で世界を背負うアイドル
児玉 おもしろかったのが、一人称が「ワイ」のメンバーがいることです。女性アイドルで一人称が「ワイ」の子は時々いますが、男性アイドルで「ワイ」は新鮮でした。
町屋 実際、某オーディション番組の参加者にいたんです、「ワイ」という一人称の子が。
児玉 そうだったんですね。個人的な話をすると、私はお客さんとして好きになるのは女性のアイドルグループが多いです。
町屋 そうすると、作詞を提供するのも女性グループが多いですか?
児玉 アニメでは男子アイドルものコンテンツのお声がけもいただきますが、三次元仕事だと女性のアイドルグループが多いですね。自分の中で、男女で線引きしているつもりはないのですが、男性アイドルの中でもオラついた方々にピンと来ないし、向こうもそうなんだと思います。
町屋 男性アイドルのオラオラ問題ってありますよね。よく思うのは、世界を目指そうとするとオラオラする気がします。体型はマッチョになり、楽曲もビートが激しくなり、明らかに男性性を誇示し始める。もしかするとそれは、世界=アメリカというステレオタイプなマーケティング手法なのかもしれないと思いました。
児玉 「俺たちは規格外」みたいな、歌詞をよく聞く気がします(笑)。
町屋 わかります! そういう歌詞になじめず、気持ちが置いていかれることもしばしばあります。
児玉 漠然とした大きなものを背負う傾向は男女どちらのアイドルにもあると思っていて、女性アイドルが世界を目指し始めると、日本文化としての“かわいい”を背負う傾向がよくあります。それは、今人気のグループに限らず、脈々と受け継がれてきた独特なカリキュラムだなと思います。浴衣を改造した衣装を、これまで何度見てきたことか!
疑似家族的なグループ関係
児玉 エコブラの関係性は、K-POPにある疑似家族のニュアンスを感じました。マンネ(末っ子)がいて、ヒョン(お兄さん)がいて……メンバーが卒業加入を繰り返さないからこそ結束が強い。卒業加入を繰り返すタイプのアイドルグループだと、家族にはなりません。信頼関係はあるけれど、出入りがあるのでそこまで結束は強くならない。
この構造は“野球部的”だと思っていて、高校の野球部だと「甲子園」という大きな目標を掲げますよね。それは、入れ替わりがあるからこそ、統率するのに伝統という大きなものが必要なんだと思います。
町屋 めちゃくちゃおもしろいです、そのとおりですね。
児玉 エコブラのような疑似家族的グループには、大きなものを背負うことはあまりないはずです。代わりに、事務所の人など周囲の大人が親的存在になって、時に危険性を孕むこともあります。野球部の監督であれば、卒業後の道は自由に見送っていましたが、親なので明確な自由は与えられないんですよね。よく聞く気がします(笑)。
町屋 パッと思いついたのが、10代なのに、あんなにしゃべれてよいのだろうかと思うときがあるんです。それは、親の影響を受けて語彙が一緒になるから。それほど大きな影響力を及ぼしているんだろうなと思います。
児玉 大人たちが使っている独特な言葉を若い歌手がそのまま使うこと、それを放置することに私は身構えてしまうので、もっと自覚的に仕事をしなくちゃいけないなと思います。私の場合はなるべく、歌手の方々と密に話さないようにしていて。
本当は、うれしいんですよ。「児玉さんの歌詞が好きです」と言って近づいて来られると、ニーッと照れてしまう(笑)。でも、やろうと思えば、きっと私が持っている言葉で相手を自分色に染めることができるだろうから。
ポップソングにおける作詞の制約
児玉 対談のテーマ「ダンス&ボーカルの言葉」についてお話しすると、書いた歌詞の背景を言語化することは難しいと思っていて、というのも最近のポップソングはトラックがあった上で作詞をすることがほとんどなんです。
そうすると、音楽的制約をかなり受けるので、歌詞を追うだけで音楽を解釈できないことが多々あります。しかも、ダンス&ボーカルの場合は踊りながら歌うので、作詞側は歌い手に配慮して歌詞を書きます。なぜなら、歌詞に書かれる言葉は身体の影響を大きく受けるからです。
たとえば、細かい話ですが、サビの歌い出しで「ハ」行を使わないようにしています。なぜかというと、息が抜けちゃう音なので、インパクトが弱まってしまうから。「果てしない」と言いたくても、力が入る「カ」行の「かなた」に変えるなどして、調整しています。
町屋 「果てしない」といったら、世代的にSPEEDの「White Love」をパッと思い浮かべました。
児玉 あれは激しく踊るというより、リズムがゆったりとしていて中音域から始まるので、気合いを入れなくていいから「ハ」行でも大丈夫なんです。ただ、最近のダンス&ボーカルの曲はテンポが早くてダンスが激しいので、書かれていない歌詞が増えてきているんだろうなと思います。
歌い手の人に読んでほしい「ヤシロアキ理論」
児玉 『IDOL』の中で「ヤシロアキ理論」というものが出てきますよね。
町屋 歌い手が感情移入しないほうが、聞き手が感情移入しやすいという八代亜紀さんの歌い方を引き合いにした理論ですね。
児玉 今は、感情的に歌うことが“エモい”とされて、気持ちを重ねすぎて泣いてしまう歌手の姿に人間らしさを感じる傾向があります。でも、『IDOL』に描かれる未来では、いい歌の概念が変わっている。八代亜紀さんのように原曲に忠実で、CD音源のように歌う方が、聞き手の情緒を揺さぶるものだと書かれていて、驚きました。
町屋 よかった、理解してもらえましたか?
児玉 『IDOL』の主人公たちも、人の感情に訴える歌を歌うためにはどうしたらいいのか葛藤しますよね。そこで、歌に感情を込めるのは、歌詞をなぞるのではなく、歌そのものの構造を理解することが情緒につながっていく、と書かれていました。まさに、正確にリズムや歌詞をなぞるだけでなく、全体の構造をわかってほしい。この話は、いろいろな歌い手の人に読んでほしいです。
町屋 オーディション番組を見ていると、トレーナーが参加者に「歌詞の意味がわかっているのか」と、叱咤する場面があるじゃないですか? 時には行きすぎて、解釈を上塗りしていることはありませんか。
児玉 あります。「恋の気持ちを歌っているからもっと切なく」と言われると、それだけが正解じゃないと思ってしまう。「この歌詞にそんな意味があったんだ!?と驚くような解釈もあって、逆にそっちが正解になってしまうこともあります……。それ自体悪いことではないのですが、そんなに怒らなくても大丈夫、と思います。
町屋 作家や作詞家本人よりも、国語の先生のような立場で言葉に関わっている人は「誤用」に厳しいですよね。武田鉄矢さん本人はわからないけれど、金八先生は厳しすぎるなって思っていました(笑)。
プラチナ期のモーニング娘。と小室哲哉の歌詞
児玉 あと、歌の中にしか存在しない言葉がまだありますよね。先日出演した『NHK短歌』でも話したのですが、アイドルの楽曲は女言葉や男言葉のような「役割語」がまだ残っている。普段は「〜だぜ」「〜だわ」なんて言わないのに歌にはあって、性役割がアティチュードになっています。
ライブって、独特な閉鎖空間じゃないですか。強烈な光と爆音を浴びることは日常にないわけで、だからこそあの空間で成立する不思議な世界として、一般ではしゃべらない口調が使われているんですかね。
町屋 言われてみれば、女性言葉の歌詞は意外とありますよね。私はモーニング娘。の高橋愛さんがリーダーだった「プラチナ期」が好きだったので、あのころの楽曲は特に多かった気がします。
児玉 プラチナ期の歌詞は歌舞伎の女方を感じる。現実にはいない人が、歌の中では屹然と存在しているんですよね。
町屋 個人的に作詞家としての小室哲哉さんがすごく好きで、彼の書く曲はたまらないんです。提供曲だとしても、まるで本人が書いたかのような歌詞を書かれる気がします。
児玉 TRFの「BOY MEETS GIRL」をカバーしたアニメソングで、改めて小室哲哉さんの歌詞の素晴らしさを感じました。小室さんの人間性はずっとわからないんだけれど、泣けてくるんですよね……。
町屋 楽曲提供をしていた縁から中森明菜さんの復活を手伝って、横で寄り添っている姿を見ると、熟年のフレンズ感がありました。異性でもフレンズという関係性は感動さえあります。
「メロディのよさを見つけて、いい歌詞を置く」
町屋 なるべく生の感情で話したいので、児玉さんの新刊『目立った傷や汚れなし』を先日読み終えたばかりです。Xでつぶやいたとおり、児玉さんの小説は反転しているところがあって、終盤が“めちゃ強”なんです。普通の小説は、作家側も終盤は疲れてきてしまい尻すぼみになりがちなのに、児玉さんの場合はパワーが増しているように思いました。書いているときは、どういう状態ですか?
児玉 よかった、みんな疲れているんですね。それを聞いて安心しました。私の小説はパワーを失ってなかったですか?
町屋 『目立った傷や汚れなし』も前作『##NAME##』も、パワーが増していました。
児玉 私は序盤がエンタメ的だと言ってもらえるのは、とてもうれしいです。私の場合は、帯に「作詞家が書いている小説」と必ず書かれるんですね。私自身も意識してしまう部分で、作詞家がわざわざ小説を書くなら、何を大事にすべきかと自分に問います。
町屋 そうか、そこを意識するんですね。
児玉 私は新人賞でデビューしていないので、ある意味トーナメント戦のシード権をもらって文壇に出てきたようなもの。「作詞家であるということは小説において無関係」というナイーブな考えは持つべきではないと思いました。そうすると、私が作詞で最も注意を払うことは構成なんです。デモ音源をいただいたら、作曲家が強調したいだろう箇所や、作曲家自身も気づいていないいいメロディを見つけて、そこにいい歌詞を書きたいと思う
逆に、作曲家が気づいていないメロディのよさを見つけて、そこにいい歌詞を置くことも考えます。どちらにしても、まずは最初の歌詞で気を引きたいので、同じように小説でも最初の30枚は読者を離したくない気持ちがあります。
町屋 初めに退屈させないぞ、という感覚が刷り込まれていると、小説の王道な出方としては本屋で立ち読みをしてもらって買ってもらうのが常ですから、やり方としては大事ですよね。
児玉 エンタメすぎると言われることもあるので、町屋さんにそう言ってもらえてうれしいです。

小説で花火をぶち上げたい
町屋 児玉さんの小説は後半にコスモの爆発がありますよね。それは、小説においてあまりない現象だと思うので驚きました。
児玉 町屋さんの小説は最初から最後までコスモが爆発している気がしますが、きっと私の癖で、2番のAメロに力の入った歌詞を書きがちなんです。1番は音楽番組で歌われる尺でもあるので、誰でもつかめるような視点が入り込む。次々切り捨てられていくショート動画全盛期に、2番まで聞いてもらえたらうれしいですし、自由に解き放たれて書ける感覚があります。なので、小説でも後半からドライブするのはその影響かもしれません。
町屋 基本的に小説は最初がピークじゃないですか。物語を思いついた前半が最も盛り上がって、そこからいかに熱を下げないか考えて、キープできたら大成功。でも、児玉さんの場合は後半でギアが上がりますよね。
特に印象的なシーンは、語り手がパートナーに我慢できない気持ちを言ってしまう場面。適応障害で働けないのに買い物をしてしまうパートナーに対して、前半はずっと我慢していたけれど後半で爆発する。この爆発が盛り上がる理由は、前半の沈黙にあると思います。
転売行為をしている人たちの、転売で荒稼ぎしたいわけではなく、物の価値を正当に評価したいというスタンスのすれ違いも、大きく爆発する。本人の意識としてはどうやって書いているのですか?
児玉 あまり意識したことはなかったのですが、全編一定のリズムで書いています。たしかに、小説を読んでいると後半にかけて元気がなくなっていく作品に出会うこともあります。そこで、ヒントになっているのがアイドルのライブで、仕事柄ライブによく行くので、多くのアイドルライブでは「後半戦、行きますよ~!」とみんなを盛り上げて、刹那を急き立てるんです。そういうことを、私は勝手にひとりでやっているのかもしれない(笑)。
町屋 自分の書いたことの可能性を後半でしっかり爆発させられるのは、本人が前半をしっかり理解しているからできることですよね。しかも、エンタメ的な伏線回収ではなく、花火みたいにパンパンと打ち上げられていくような爆発でした。
児玉 それは、とってもうれしいです。私も小説で花火をぶち上げたいので。
町屋 よかった、正解でした(笑)。
児玉 小説で花火をぶち上げると、投げやりじゃないかと言われることもあるんですが、花火はそもそも投げやりなものですし、私もライブで一番好きな場面が、銀テープが解き放たれる瞬間なんです。「帰りなさーい!明日から働けー!」って言われているみたいで(笑)。小説も華やかに終わらせたい気持ちがあります。
町屋 文学は投げやりじゃないとダメですよね。これは、私も創作のコツとして挙げていますが“片づけちゃいけない”と思っています。むしろ、散らかったままでいい。風景描写で終わる小説は、意味で片づけないというせめてもの抵抗だと思います。そんなふうに、風呂敷を広げて、ばらまいて、終わるのがいいですよね。
児玉 花火系小説家として、うれしいです。
町屋 思うのは、元気なくし系小説の共通点としてたたみ方が上手なんです。中盤になると「そろそろ終わります」感が出てきて、身支度を始める。伏線回収という手法も、身の回りのゴミを拾う技のひとつだと思っていて、そうすると後半はアイデアが足されなくなってしまうことがあります。
もちろん、そういう小説のおもしろさもありますが、本来小説というものは終わりまで「まだある」感を足し続けなければならないものだと思っています。呆れるくらい、アイデアを出し惜しみしないで書きたいです。
児玉 まさに『IDOL』のおもしろさは、そこにありました。最後の最後までアイデアが積み上げられて、終わりかと思ったら最後に大きな花火がドーンと……呆気に取られて「たまや〜!」と叫びたくなりました。
町屋 私が児玉さんの作品の爆発力に反応したのも、我々が“花火系小説家”だからですね(笑)。
児玉 小説らしく「明日も続いていく」みたいに、きれいにまとめるのではなくて、銀テープの掃除は読者に任せて私たちは華やかに去る、というのが花火系小説家のやり方なのかもしれません。
町屋 これからも、どんどん花火を打ち上げていきましょう!
町屋良平(まちや・りょうへい)
1983年生まれ。2016年『青が破れる』で文藝賞を受賞しデビュー。2019年『1R1分34秒』で芥川龍之介賞、2022年『ほんのこども』で野間文芸新人賞、2024年「私の批評」で川端康成文学賞、『生きる演技』で織田作之助賞、2025年『私の小説』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。他の著作に『しき』『愛が嫌い』『ショパンゾンビ・コンテスタント』『生活』など。2026年4月、『IDOL』(太田出版)を刊行
児玉雨子(こだま・あめこ)
作詞家、小説家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、アニメ主題歌を中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)『##NAME##』(河出書房新社/第169回芥川賞候補作)等。2025年10月、『目立った傷や汚れなし』(河出書房新社)を刊行
町屋良平『IDOL』
太田出版HP:https://www.ohtabooks.com/publish/2026/04/03105736.html
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4778341228
定価:2,420円(税込)
発売:2026年4月7日(火)
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