雑居ビルにひっそり店を構えるマッサージ屋さん、顔も名も知らぬ誰かに体を委ね、徐々に意識が遠くなっていくその一瞬、金井球の脳内に広がる美しきワンダーランドをお届け。
「わたしは思い立ったらすぐにからだを揉まれたいのだ。はやく、知らない場所で知らない人にからだを揉まれたい」という“へんな願望”を持つほど、マッサージを愛する金井球による新連載「マインド・オーバー・マッサージ」。
第2回は、日常のマッサージには巻き込まれたくないと強く思うその理由について。マッサージにおいては「ヘビーテイカー」と自称する彼女の脳内をお届けする。

施しやすい完ぺきな肉体でいたい
それでは腕触っていきますねー。
店内に流れるピアノアレンジに、てきとうな歌詞をつけてうつらうつらしていたわたしの頭のなかに、おじさんの声が響き渡る。ああここはマッサージ屋。今日は日本式のマッサージ屋でからだを揉まれている。
日本式のマッサージ屋のよいところは言葉が通じるというところにあり、それは同時に悪いところでもある。からだのつらさを的確に伝えることができるが、言葉の通じる空間では完全にひとりにはなれない。がんがん介入してくるのだ。おつかれですね、と言われるとうれしくなってしまったり、お仕事なにされてるんですか、にどう答えるべきか考え込んでしまったり。薄い布で世界と仕切られ、顔のところがくり抜かれたベッドの上でうつ伏せになった肉の塊ですら、社会とは切り離してもらえないらしい。
いまも。腕を揉まれはじめたということは。

はーいじゃあそしたらね、腕の力抜いてくださーい。
きた。これ。これを言われると、からだも頭もかたまってしまう。わたしには力を抜くということがどういうことかがわからない。抜いてみる。抜けているかが気になる。抜けているかが気になったことで力が入ってしまった気がする。抜けているときは、抜けていると気づけるものなのか。力が入っているとわかるときはある。
わたしの体にはいつでも力が入ってしまっているようで、気がつくといつも肩が上がっている。気がついたときは深呼吸をする。力を抜くというのは自分でできることなのだろうか。とりあえず息を吐く。息を吐くということをしている間はからだのありようを気にせずにいられている。吐き続けるのは無理だ。肺活量とかを鍛えればよいのだろうか。ふうう。
必死に力を抜いているというのに、マッサージ師のおじさんはわたしの腕を持ち上げ、軽く揺らした。指先がふるふると揺れる。これは抜けていないということなのではないか。力が入っていなければたぶん、ぶるんと揺れる気がする。また揺らされる。この揺れによって、本来は力が抜けるものなのでしょう。まじすみません。せっかく施してくれているのだから、完ぺきな肉体でいたい。施しやすいからだでいたい。
マッサージ屋に行くことは錬金術
誤解を恐れず言うと、施すのがほんとうにきらいだ。それでいて、マッサージという施しはあまりにも施しのかたちをしている。だからわたしは日常のなかのマッサージを憎んでいる。友だちや恋人間で行われるやつのことです。だいたい10分揉まれて、10分揉みかえす。施したら、施され、施されたら、施す。これが健全なコミュニケーション……。
まず、先にこちらが施し、のちに施されるパターン。10分や20分揉まれたくらいでは、相手にマッサージをしたおかげで疲れてしまった筋肉を戻すくらいの回復しか見込めないので意味がない。
最悪なのは、先に与えられて、のちに与え返さなくてはいけないとき。力を入れて指圧すると、さっきほぐされたばかりの筋肉がものすごい速度で凝ってゆく。意味がない。
施し合うことにはほんとうに意味がない。
(子どもがおばあちゃんとかにマッサージするのは別。あれはぬくもりで全体が得をしている。)
苦痛で仕方ない。施しがきらいなわたしにとって、10分マッサージすることは20分マッサージをすることと同義なんですけどこれってわかりますか。
わたしは施したくない。だから、日常のマッサージに巻き込まれたくない。与えられたら与え返すのが健全なコミュニケーションだと信じているからこそ、その外に出るのだ。
マッサージ屋で60分の施しを受けるたび、わたしは60分の施しを返すことを想像し震える。そんなときわたしを抱きしめてくれるのが、5000円を支払っているという事実だ。60分のマッサージをすることは120分のマッサージをすることと同じであるからして、60分5000円分のマッサージを与えられ、1000円を得している。2倍のおつりがくる。わたしの中では完ぺきに、そういうことになっている。
そういうことになっているので、お金がないならないほど、マッサージ屋に足が向いてしまう。これは、錬金術である。鋼の錬金術師を読んだことがないせいで、いまだに錬金術という単語の意味がよくわからない。
施しをすべて見届けたい
仰向けになってください。肩首はほぐしていきますねー。
毎度ここではじめて、力が抜けているような気がする。意識が解ける。わたしのからだのこわばりは、頭のあたりからきていたことがわかる。やっぱりプロはすごいなあ。意識が解ける。ほどける。
……。
………。
どうやら眠ってしまっていた。起きたときにはマッサージが終わってしまっているとき、すごく悔しい。わたしは施しをすべて見届けたいのだ。からだを起こし、ベッドの端に座る。最後に肩を叩かれて、まだぼやけた頭で服を着替える。からだが軽い。マッサージ屋という、わたしにとってあまりにも都合のよい施設が街に溢れていることに感動しながら店を出て、得した分ですこしだけいいジュースを買った。






