グローバルボーイズグループ・INIのメンバー・許豊凡が、いつかは忘れてしまうかもしれない「ある一日」の心の動きを大切に書き留めるエッセイ連載。
連載第3回では、コロナ禍での隔離生活の記憶を思い出す。デビュー合宿のために韓国へ渡り、先の見えない中でもがいた2021年7月のこと──。
※本稿は『Quick Japan』 vol.182に掲載した連載エッセイの転載です。
20210709:真空の僕たち

「ビザが下りた。数日後、デビュー合宿に向けて韓国に行きます」と急遽マネージャーに伝えられた、2021年7月のある日。
*
地元の街は学校の選択肢が多くない。だいたい同世代の人たちやその親たちが進学について話すときは、2〜3択ぐらいしか話に出てこない。そんななか、小学校6年生のとき、勉強熱心だった僕の親は違う街の中学校を僕に受験させた。「違う街」というと電車で通える距離だと想像してしまうかもしれないが、僕の場合はそうではなく、受験先の中学校は200キロ以上離れた、高速バスでも3時間かかるまったく違う都市にある学校だった。当然毎日通うこともできず、寮生活が始まり、12歳にして僕の実家暮らしが実質終了した。
気づけばその街で中高の6年間を過ごし、だんだん自分の中で「実家」はともかく「地元」という概念は薄れていた。ひとりでどこででも生きていけそうな気がする、という生意気なスタンスで迎えた18歳だった。だから日本に行くことが決まったときも、思ったよりなんとも思わなかったし、この世界の知らない場所をこの目でもっと見たいとずっと思っていた。
大学3年生のとき、交換留学プログラムの募集が始まった。日本での生活もまだまだこれからなのにどうしてもこの機会を逃したくなくて、僕は思わず応募した。無事に選考も受かって、3年生の後期からはソウルに半年、そしてその年の夏は香港で2カ月の交換留学の生活が決まった。
新しい場所で生活することはどうしてあんなにワクワクするのだろうか。初めて踏み込んだ土地、初めて見る街並み、ぎこちない言語で会話する違う国の人同士での交流、そしていろんな人の影響で、気づいたらだんたんフラットになっていく自分の考え方。毎年キャンパスの近くの芝公園でお花見していたときも、漢江(ハンガン)沿いで同級生たちと豪快に라면(ラーメン)を啜っていたときも、さまざまな人と「会う」喜びとともに、どちらも僕の大学時代の素敵な思い出になった。
*
予定どおりの2021年7月9日、僕たちは初めて韓国へ。僕個人としては、大学の交換留学から約2年後。わずかな時間だったが、何もかもが変わっていた。人々はあの時期のことをパンデミックと呼ぶ。今まで歴史の教科書でしか見たことのない言葉が、リアルになっていた時代。
普段なら賑やかな空港でもシャッターが閉まったお店ばかりで、旅行者もほとんどいなかった。ワクワクする気持ちももちろんあったが、着いた先で2週間の隔離が待っている。そのつらさは、これまでに何度も経験した僕にはわかる。隔離部屋から一歩も踏み出すことが許されない。時間がある、食料が提供される、体力ももちろん持て余している、だがどこかとてつもなく息苦しかった。まるで空気が抜かれた真空状態の部屋の中にいるように。
早くみんなと一緒にデビューに向けて始動したいのに、もっとリアルタイムにいろいろ共有したいのに。ずっと夢を見ていたこの世界は、いつか元どおりになるのだろうか。そもそもファイナルから1カ月も経っていないなか、思ったよりどこか息苦しさから抜けきれていない自分がいた。いろんな不安に包まれ、韓国に着いた日の夜、どうしても眠りにつくことができず、そのまま朝を迎えた。
オンライン会議のツールが突如インフラとして使われるようになって、コンサートも無観客でライブ配信のみというかたちが新しい当たり前になっていた。この社会に生きる人たち全員が元どおりに生きようとしていたとしても、オンライン画面のマスがまたガラスの部屋のように僕たち一人ひとりのまわりを真空にする。お互いの姿が確認できているのに「会う」ことができなかった。
次の日から、オンラインでボーカルのレッスンや韓国語のレッスンが始まった。YouTubeに上がっているコンテンツを見返しつつ、自分たちの可能な限り部屋の中で新しいコンテンツも撮影し始めた。踊ること以外のデビューシングルの準備も進み始めた。
僕たちだからこそ、同じ時代を経験しているからこそ、寄り添うんだ。さまざまな人に「会う」喜びを知った自分だからこそ、同じ喜びを失った人たちに寄り添うことができるのではないかと、ある日、ふと思った。
今こそ世の中がやっと元どおりに戻ったような気がするが、また忘れたころに、あのようなパンデミックの時代がもう一度来ないか、誰もが心の隅で不安に思っているのだろう。実際コロナが消えたわけでもないし、感染者は今でも毎週報告されている。人々の行動や考え方もいろんな意味でパンデミックに大きく変えられた。コロナという真空の部屋が消えても、また新たな真空の部屋が世界中でできている。僕たちは忘れていないし、これからも忘れない。共存することを選択しただけだ。
今こういうふうに活動できていることを、改めてありがたく思う。
この間、仕事でお会いしたある方が、コロナの時期を僕たちのオーディションを見て乗り越えたと伝えてくれた。もう5年近くも経っているのに。このような方々がここ数年間ずっといらっしゃる。そして僕たちに伝えに来てくださっている。
INIというグループとコロナの時代は最初から切り離せない存在だった。そもそもグループ名の意味である、僕たち(私:I)があなた(I)と繋がり合う(Network)というのも、あの時代に生まれたグループだからこそより鮮明になっている。これからも人々がお互いに「会う」喜びをずっと忘れない世の中でいることを、僕はずっと願いたい。
第4回(WEB版オリジナル原稿)は4月3日(金)17時に配信予定です。
関連記事
-
-
Furui Rihoが『Letters』で綴った“最後の希望”「どんなにつらい日々であっても、愛は忘れたくない」
Furui Riho『Letters』:PR -
4年目の今、重荷だった「王子様」を堂々と名乗れる。Last Princeが語る、プリンスを背負う勇気と楽しさ
Last Prince:PR







