「あのときの私と、あなたを救ってあげたい」──そう語るのは、歌手の和田彩花。15歳から24歳まで、女性アイドルグループのメンバーとして活動していた。
本連載では、和田彩花が毎月異なるテーマでエッセイを執筆。自身がアイドルとして活動するなかで、日常生活で気になった些細なことから、大きな違和感を覚えたことまで、“アイドル”ならではの問題意識をあぶり出す。
今回のテーマは「発信活動」。アイドルグループ時代のSNS更新から、個人での言葉の届け方まで、「発信」のあり方を自身の経験から振り返る。
目次
発信活動は、私にとって「当たり前のこと」
「私はフェミニズムやジェンダーの視点から、アイドルの労働環境についての発信活動をしています」
講演会などの冒頭で、自己紹介するときに言う文言のひとつだ。

“発信活動”ってなんだろう。
スマホでSNSを開いてメッセージを投稿するのは、デビューした15歳のころからやらなければいけないことのひとつであったし、プライベートでもTwitter(現在のX)を開いては違和感を言語化してくれている人の投稿を通して共感や安心感を得ていた。
自己紹介ではわかりやすく「発信活動をしている」と言うが、ネットにメッセージを投稿することは、私にとってはずっと当たり前にやってきたことでもある。
「あやちょがこういう発信をしてくれて心強い」とよく言われる。
けれど、私からしたら常日頃から強い責任感で投稿しているわけでもなかったりするし、そんなに特別なことをしている感覚でもない。みんなと同じように、でも少し気をつけながら、SNSにメッセージを投稿しているだけなのだ。
アイドルという世界にいながら、なぜ自分自身の気持ちを大切にできたのか、少し考えてみたい。
人とは違う部分が愛された、10代のアイドルグループ時代
デビューした2010年からTwitterでの投稿を始めた。私が所属していた会社では珍しく、ブログ以外のSNSで発信する場としてTwitterアカウントを用意してもらった。
もちろんTwitterアカウントはマネージャーさんが管理してくれた。私たちは、Twitterのオフィシャルアカウントから時報を更新するため、毎日毎時「何時になったよ、ケーキが食べたいよ」みたいな一文を考えていた。
ほぼ毎日終電近くの電車で帰るような日々のなか、そんな時報を書いていた。半分寝ながら書いていたので、自分でもよくわからないまま書いている文面もあった。

10代の私は「天然」と形容されることがしばしばあり、「何を考えているのかわからない」といつも言われた。
私の語録を作ってもらったこともあるほど、私の発言はなぜかおもしろがられた。
でも、当時のことを振り返ってみると、あまりにも広いこの世界を理解できなかった10代の私なりに、真剣に考えたことを話しているだけだったように思う。
笑顔を作ることすらできなくて、マネージャーさんに「表情の練習をして」と言われるくらいに不器用だった私は、おばかキャラを演じる必要もなく、いつも自然体で自分の思うことをそのまま言って、なぜかそれが受け入れられる立ち位置でいられただけだった。
加えて、こんなにも忘れ物が多くて、集合時間どおりに到着するためには毎日毎日走って駅まで行って、乗り換えをしないといけなかった、なぜかちゃんとできないところが多々ある私がアイドルをやっていて、この個性が許されていたのもまた、アイドルの世界だった。
もちろんそれは、アイドルに求められがちな「未熟で、何も知らない」そんなイメージが私の天然な部分と相まってしまったかもしれないし、はたまたアイドルに求められる清楚なイメージに見られがちだった外見で許されていたかもしれない。
そうやってアイドルの世界の従来的なジェンダー規範にところどころ私の性質が合致してしまいながら、人とは違ってしまう部分を愛された。
「みんな」の輪からはみ出していないか、という緊張感
アイドルの世界ではなかなか語られにくいけれど、強い個性ゆえに集団でなかなかうまくコミュニケーションが取れなかったり、集団行動があまりにも苦手な人も、もちろんいる。私もそういう人間のひとりだ。
それなのに、幼いころからルールを守ることに徹して生きなければいけなかった私は、時々集団からはみ出ながらも、はみ出しすぎない技を身につけるようになった気がする。

それは、基本的な集団行動に限らず、女性同士によるコミュニケーションにおいてもそうだ。
いかに自分がこの輪からはみ出さないように、なのにみんなとは異なる我が道にいないと心理的な安心が得られなくて、はみ出しながらではないとコミュニケーションが取れないのだ。
なんとなく涼しい顔をして「みんな」の中にいるようだけど、心の中では「みんな」と違ったことをして、この輪からはみ出ていないかずっと緊張しているのだ。
芸能の世界でこそ個性はひとつの重要な要素でもあるはずなのに、集団行動をしなければいけないアイドルには、その矛盾が生まれてしまう。出すぎない杭でなければいけないような場所でもある。
なぜアイドルは“変わらない姿”が求められるのか?
全国のライブハウスを巡りながら立った日本武道館の公演後、スタッフさんから「なんか、達観してたね」と言われたのを覚えている。
身のまわりの世界をいつも真剣に考えて話したら、達観している、そう言われるようになったのが20代に入った私の姿だった。
本当に運がよかったのは、いつの時期も、私自身でいることがなぜか認められていたことだ。
もちろん、強烈な個性の同期がいたことも忘れちゃいけない。そんな環境で、言いたいことは言い、嫌だと思うことには嫌だと言った。

大学に入って、批評的な精神をスクスクと育んで、少しずつそれを言葉にできるようになってからは、自分の考えをファンに伝えたいと思うようになった。
もちろんカットされるのが前提ではあるけど、インタビューでもいろんなことを話したし、ブログやラジオでも好きなように話した。
20代になってどんどん自分の意見を持っていく私を受け入れてくれたのは、やっぱりファンの方たちだった。
「何も考えてなさそうだった子が、こんなふうになるなんて」とよく言われる。
口にする言葉の質や量は成長によってもちろん変化していくけれど、興味のあることを等身大で考えて、言葉にし続けていることは、何も変わらずに続けてこられた。
そもそも、アイドルはなぜ年齢的にも、精神的にも、外見的にも、変わらないでいる姿が求められるのだろう? 変わらない姿に抱く安心感とはなんだろう?
それでも、アイドルグループに所属している限りは、自分の意見を100%表に出せるわけではないと思ったし、それは私の居場所にはならないとも思ったので、グループを辞めて、自分の意見を言える環境へ移った。
SNSに支配されない心を持ち続けたい
YU-Mエンターテインメントの山田(昌治)さんのところでは、はっきりとフェミニズムやジェンダーという言葉を用いて、メディアで発言するようになったし、表現の自由にまつわる署名運動、国際女性デーのデモにも参加したことをSNSに投稿した。
ここには書ききれないほど、社会とのつながりの濃い活動をした。
最初のころは、SNSの反応を見て、苛立ったり、悲しんだり、落ち込んでいたりした。
次第に、見ず知らずの人からの適当なコメントを見てイライラしている時間は無駄だなと思ったし、同時にいただく温かいコメントがイライラにかき消されてしまうのは悲しいとも思った。
今は、自分の情報をエゴサせず、SNSを使い分けるなどの工夫で、平穏を保っている。
うまくSNSに支配されない心を持ちたいし、人と対面で築く関係性で私の日常を豊かにすることが、ネット社会へのささやかな抵抗だと信じたい。

それでも、私がこうしてさまざまなことを言葉にしてみようと思っているのは、アイドル時代に言いたいことを言っても言ってもかき消されてしまうことが多々あった悔しさが原動力になっているし、等身大に思うことをただ言い続けているだけでもあったりする。
明確にしたいのは、この世の中で振る舞う社会的な立ち位置をきちんと示したいという願望があることについて。
なぜなら、音楽をやっている者として、美術を愛する人間として、そういう社会的な立ち位置を示すことは私の使命であると思っているから。社会的な立ち位置も示さずに表現するなんて、私にはできない。
だから、ずっと思うことをしゃべり続けたい。
この社会で、自分がどう言葉にして発信すべきか
私は今、この社会に絶望は感じていない。
絶望的だけど、少しずつでも変わっている実感を希望と感じている。

仕事で一緒になった番組のスタッフさんとの会話で、学生運動で革命が叶わなかった世代の方々の話を聞いた。
変化を求めたのに叶わない悲しさ、虚しさ。なんだか身に覚えのある感覚だった。現実の社会を受け入れるにはつらくて、パリへ逃げたのは私だけじゃなかった。
そんな悲しさを知りながら、いつも優しくしてくれるずっと年上の人生の先輩は、今何を考えているかな?
おおらかな人生の大先輩を目の前に、心が苦しくなった。
私は学んだ優しさしか持ち合わせていないけど、人生における悲しみや虚しさを知って、乗り越えて、この社会にとって自分がどう立ち振る舞うべきか、どう言葉にするべきかを考えて、優しくあれる人になりたい。