和田彩花「不均衡な性役割を認めたくない」“アイドル”を名乗り続ける理由とは

文=和田彩花 編集=高橋千里


「あのときの私と、あなたを救ってあげたい」──そう語るのは、歌手の和田彩花。15歳から24歳まで、女性アイドルグループのメンバーとして活動していた。

本連載では、和田彩花が毎月異なるテーマでエッセイを執筆。自身がアイドルとして活動するなかで、日常生活で気になった些細なことから、大きな違和感を覚えたことまで、“アイドル”ならではの問題意識をあぶり出す。

今回のテーマは「アイドルと音楽」。10代からずっと身近にあった“音楽”という存在を、どのように感じていたのだろうか。

美術ほどの熱量を持てなかった「音楽」

小学校高学年から、覚えなければいけないダンス・歌とともに「音楽」があった。

好きなものとしてすぐに思い浮かぶ「美術」と同じ熱量を、音楽に持っているわけではないのは明らかだった。

いつだったか、歌の先生に「あなたの頭の中で考えていることを教えてほしい」と言われた。

「50%が仕事、50%が美術」と答えた。

「あなた、頭の中に歌とか音楽の時間がないじゃない」と先生は言う。

たしかに音楽の時間はないなと思った。興味を持つ対象ではなかったので、それが悪いこととは思わなかった。

15歳からさまざまな美術作品を見ていた私は、視覚的なイメージの特徴を捉えることが得意だった。

知らない作家の作品でも、一度見たら筆の動きと色の選び方、モチーフの描き方をだいたい覚えていられた。その作家の作品に2回目に出会ったときに、すぐに「あのとき見た、あの作家だ」と思い出せるほどだった。

アイドルグループ時代にライブで訪れた全国各地の思い出も、そのとき訪れた美術館、作品、お寺のイメージと結びついている。

けれど、作品のインプット力が人よりある代わりに、美術作品以外のことは何も覚えていなかった。

和田彩花
和田彩花

いつのころからか、アイドルの世界で形作られるイメージにも敏感になった。

新曲のイメージを提示されるたびに、私ならどんな衣装で、どんなMVの世界観で、どんなメイク、どんなネイルのカラーにするかまで想像するようになった。

もちろん、主に男性のスタッフさんの作り出す世界観では物足りなかったので、MV・ライブ・衣装に関して、事あるごとに自分の意見を伝えた。

私よりもアートを見ていない人に、なぜディレクションされなければいけないのかわからなかった。なぜかっこ悪いイメージであふれているのか理解できなかった。

アイドル活動を支えてくれた、児玉雨子さんの歌詞

唯一、音楽の中で興味を持てたのは「歌詞」だった。歌詞を見て、自分勝手な考察を深めた。

アイドル時代の楽曲の歌詞を書いてくれた、児玉雨子さんの詞が大好きだった。

雨子さんの詞は、もっともっと広い世界を見たいと願ってやまない私に、いつも新しい刺激をくれた。私のアイドル活動を支えてくれたのは、雨子さんの詞の存在が大きかった。

いろんな壁にぶつかるたび、雨子さんの詞から考え方を学び、グループでの自分の立ち位置とか振る舞いに反映させたりした。もちろん勝手に私が解釈していたものに過ぎなかったのだけど。

ビッグ・ラブの精神は、雨子さんがいてこそ成り立ったと勝手に想いを募らせている。雨子さんの歌詞をぜひ読んでみてほしい。

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いつからか、どこに発表するわけでもない、私の詩がどんどんスマホのメモに溜まった。ストレス解消法のひとつでもあった。書いてないと息ができなかった。

ただただ、ストレスを解消するためだけに、詩や考えをメモに書き続けた。

アイドルグループを辞めてひとりになってから、YU-Mエンターテインメントに移り、社長の山田(昌治)さんから、とりあえず歌詞を書いてみれば?と言われた。

できるかわからないけど、まぁ、とりあえずやってみよう。

そうやって、1〜2週間ちょっとで5曲くらいばっと書いた。書けた。楽しかった。

“和田彩花”名義で聴ける音楽の歌詞は、それまでの人生で溜まりに溜まった私の解消しきれない気持ちを殴り書いたものだ。

言いたいことは山ほどあった。メロディがいろんな気持ちや状況を少しだけ自分から手放させてくれた。

そうやって歌詞を書くことが日常になった。

バンド活動を通して考える「“表現者”として何がしたいか」

そのうち、書いた歌詞を自分で歌ってみることになった。

そしてバンドの世界と出会った。

リズムも音の特徴もすべて視覚的に捉えた。人の動きでバンドの音を体に入れていった。

美術を通して、目の前にあるアートの素晴らしさを言葉にする訓練を大学で受けていた私は、バンドで聴いて見て感じてよいと思ったことを解釈して、どんどん自分に取り入れた。

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サポートメンバーという関係では物足りなくなって、「和田彩花とオムニバス」というバンド名をつけた。今はもうひとつ「LOLOET」というバンドもやっている。

バンドメンバーの個性が何かを考えることも大好きだった。

そして、このメンバーの中で自分がどんな立ち位置にいればいいかを考えたとき、声を楽器として使うことを発見した。

音楽、歌が好きだと特別感じたことのない、私の手段だった。

詩と声で自分の世界を作れるんじゃないかと思った。それから、みんなで何かひとつの世界観を作る音楽ではなく、それぞれの個があって成り立つ世界観を作ることのほうが私に向いていると発見した。

10年アイドルをやって気づいたのは、私はエンタテインメントをやりたいわけではない、その事実だった! なんで、10年アイドルやってて気づかなかったんだよ。

とはいえ、私の立ち位置は、歌手でも演奏家でもなかった。私は“表現者”として何がしたいかだけを考えた。

パートナーと“音楽の趣味”は違うけれど

そんな私が音楽の楽しさに気づいたのは、20代後半から。

好きなバンド、知り合いのバンド、時間があればいろんなところへ出かけて聴きに行ったら、楽しくなってきた。

音楽のことはよくわからないけど、自分なりに音楽を楽しんだ。

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私はインディー・バンドが大好きだ。

アンダーグラウンドな趣味は、大学生のころから着々と身につけたものだ。

アイドル活動のストレス解消に、寝る間を惜しんで、好きな芸術家の飲んだくれた配信をずっと観ていた。それが私の自由への希望でもあったから、欠かせなかった。

ビートルズも好きなのだけど、私は特にジョン・レノンとオノ・ヨーコが大好きだ。

特にヨーコ。彼女の書籍を読んだり、音楽を聴いたりして、私はどんどんアンダーグラウンドな趣味を自分のものにした。

時々耳にするけど、女性がマイナーな音楽やバンドが好きだと言えば、それは多くの場合、近くに影響を与える男性がいるのだと言われることもある。

そういう幻想を打ち砕いてしまい本当に申し訳ないが、影響を受ける存在も、自分で決めているから、受動的な姿勢で影響を与えられているみたいに言われてもよくわからない。

それに、私が最も影響を受けた人物たちは、19世紀に生きた画家たちだから、身近にはいない。心の中にはいるけど。

どちらかといえば、ポール・マッカートニーのほうが好きなパートナーとは、音楽の趣味の違いでケンカになるので、基本的にお互いの大切なものには触れないようにしている。

だけど、興味のないライブを見たときは、好きじゃないとはっきり言うのが私でもあった。そうやってケンカになるので、好きじゃないなんてはっきり言わなければいいのだけど、好きじゃないものは好きじゃない。

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心の中にメタルが鳴り響くのが私で、クラシックが流れるのがパートナーだ。どちらにも趣味があって、どちらにも自分の大切なものがあることを侵害しないでほしい。

また、誰に向かって何を話しているんだか、自分でもわからない。

音楽の世界で表現したいオリジナリティ

美術の世界は時々、堅苦しい。音楽の世界のほうがおもしろい表現が多いと思うこともある。

だけど、音楽は自分だけのオリジナルを作ることがあまり大切にされていないように思う。音楽を聴いて、あの年代のこういうジャンルって言葉で説明できてしまうのはつまらない。

もちろん美術の世界でも、オリジナルを作るのは、今の時代とても難しいと思うのだけど。

なんか、その合間を表現できると楽しいんじゃないだろうかと思う。

今は、カセットテープでノイズを表現できないかなって思っている。電子音が好きじゃないので、いろんな環境音とか、なんか有機質な音でノイズを作りたい。

あと、適当なギターの音が欲しい。私が弾けないのに弾く、適当なギター。

※画像はイメージです

新しいことをしている私について、なんか言いたい人もいるらしい。

だけど、実際の私はむしろその反対だ。

新しさを発見するという考え方自体、もう廃れたものだと思う。広告とかでよく聞く、未知の体験とか、今までにないとか、そういう謳い文句はあんまり好きじゃない。

だけど、歴史や伝統を、自分を納得させるために使うのは今の時代感覚ではない。

そういう曖昧なところを大切にしないで、新しいとかなんとか言っても、そこに意味も意義も発見できないのではないか?

意味も意義もなくてもいいけど、私はあったほうが楽しい。

また、誰に話しているんだか自分でもわからないけど、いつもそう思う。

「アイドル」から「アーティスト」に肩書を変える心地悪さ

「アイドル」って、なんて曖昧な存在なのだろう。

何かの芸に特化した職業ではないし、だからといってアイドルという職業を軽視したくもない。だけど、自分が「アイドル」であることは隠したい事柄であり続けた。

アイドルからアーティストという肩書に変更することの心地悪さは、確実にある。

「アイドル」ではできないこと、つまり自分が主体になって作品を作ること、自分が主体になって活動を進めることは(アイドルには)できないのだと言われるのは、この社会の不均等な性役割を認めているようで嫌なのだ。

「アイドル」にできないことは、過去に「女」ができなかったことと共通するから見逃せない。だから、今でも「アイドル」という肩書を名乗り続けたままだ。どうしたらいいのか若干わからないまま。

なぜ、アーティストという肩書がなければ、私が主体になって作品を作ることができないのだろうか?

アイドルは、誰かにプロデュースされる受け身の存在であること自体が仕事であるからか?

なぜ、受け身の姿勢であることがよしとされるのだろうか?

和田彩花
和田彩花

これも、ないものねだりだと片づけたほうがいいだろうか?

青春時代を仕事に捧げず、もっと自分の好きなもの・ことを、好きなだけ掘り下げる時間にしたかった。好きなもの・こととして、音楽の存在が自分の身近にあってみたかった。

そうやって私という人間を作ってみたかった。

私がアイドルとして10年かけて手にしたもの、発見したものってなんだろう?

パッと思いつくのは、大切な仲間と、精神力と、人間力と、微々たる発信力ってところか?

何をやってきたのだろう、私は。

いや、10年ちょっとでこんなにも本質的な物事を発見できたのだから、じゅうぶんなのかもしれない。

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和田彩花

(わだ・あやか)1994年生まれ、群馬県出身。2009年に「スマイレージ」(のちに「アンジュルム」へ改名)に加入。2019年、アンジュルムとハロー!プロジェクトを卒業。現在はアイドルとしてのパフォーマンスに加えて、「女性のあり方=ジェンダー」や美術に関する情報発信を積極的に行っている。特に好きな画家..

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