ピン芸人・本日は晴天なりによる連載「バツイチアラフォーの幸せだけじゃない日常」。
前回は、妊活を始めるまでの経験を綴った筆者。今回は妊活を始めるきっかけとなった出来事、そして不妊治療を始めてからの苦労を明かす。
子宮外妊娠の経験
妊活を始める前、旦那と付き合ってわりとすぐに妊娠した。結婚を前提にお付き合いを始めていたのでお互いむちゃくちゃ喜んだが、発覚から3日後、病院へ行くと「子宮外妊娠」だと言われてしまった。
「卵管で胎児が育っており、そのまま大きくなると卵管が破裂してしまう。その場合、妊娠の継続はできず、子供はあきらめざるを得ない」と。そのため、その日のうちに卵管ごと切り取って胎児を取り出す手術することになった。たった3日間の妊婦だったが、生きている胎児をあきらめざるを得なかったことに、信じられないほど泣いた。
そして、そんな状況に心のどこかで、“ほらね”、“やっぱりね”と思っている自分がいた。いつでも私の人生はそう。つかめそうでつかめないものばかりだ、そういう星のもとに生まれているんだ、と悪い方向へと運命を受け入れていた。私なんだから、この私が幸せになれるはずがない、いつもぬか喜びをして突き落とされるんだ。私にはいつも最後の最後に嫌なことが起きるんだ、とかなり悲観的になっていた。
片方の卵管を切除したことで、おのずと妊娠する確率も下がる。そもそも残ったほうの卵管も詰まりやすいのではないか?と、心配になり検査をした。その結果、「狭いけど一応通っているので自然妊娠する可能性はゼロではないです」と、大喜びもできないけど、希望がないわけでもない、一番あがいてしまうであろう結果が出た。
そして、保険治療の適応が始まって半年後、私たちは不妊治療を開始した。まずは旦那とともに、妊娠ができる体なのかを検査したが、これがすでに高い。
40歳までに治療を始めたら6回までは保険適応。ギリギリ滑り込んだ39歳と10カ月。神様が導いてくれたかのようなタイミングを逃すわけにはいかない。猶予は6回だ。
前回の記事で書いたように、私たちは1年妊活しても授かれなかったので、検査せずとも妊娠しづらいのはわかっていた。さらに、大前提として私の卵管は1本になっており、残されたほうの卵管も浮腫(むく)んでいるという。
だから人工授精は浮腫んだ卵管には不向きだと思い、最初から体外受精一択で考えていた。段階を踏んでいる場合ではない、飛び級だ。この意見には不妊治療クリニックの先生も賛成してくれた。
どんどん進む不妊治療
一度目の体外受精は、もちろん初めてのことばかりだったが、医師に言われるがまま治療を進めた。絶対にやめられないと思っていた電子タバコも意外とさらっとやめられた。
「不妊治療はつらい」という巷の噂を覆すかのように、治療は拍子抜けするほどスイスイと進む。あまりにスムーズに進むので、私が「大丈夫かな?」と言うと、旦那は「一回でうまくいく気がする」と言っていた。
しかし私は子宮外妊娠したことが、トラウマになっていた。うまくいったり、幸せだったりすると、引き換えに悪いことが起きそうで不安になる。起きてもいない悪いことをずっと妄想するようになった。
そんな不安とは裏腹に、不妊治療は進む。毎週、指定された日に病院に行く。内診が毎回ちょっと痛い。採卵はめっちゃ痛い。毎日、決まった時間に膣錠を入れなくてはならない。デフォルトで大変なこともたくさんあったけど、妊娠できると思えばつらいことは“ない”に等しいものだった。
そして、採卵の日。受精卵を作るため、卵巣から卵子を取り出す。
待機しているベッドの枕元にはノートが置いてあり、そこには今まで不妊治療をがんばってきた人たちのコメントがたくさん書いてあった。不安や希望を吐露するノート。「採卵32回目で45才になりました」と書いてあるの見つけ、泣いた。今日に至るまでに、2日おきに病院に来て、前日には点鼻薬2回、座薬3回を指定された時間どおりにやらなくてはいけなかったので、お笑いライブ会場のトイレで座薬入れなくてはで大変だったのに……。それを32回目は立派すぎて、絶対に幸せになってほしくて泣いた。ほかにも、今回できなかったらあきらめようと決意した方の「最後の移植! 行ってきます!」というコメントで涙腺崩壊した。
手術台の上で痛みと恐怖が襲う
自分の順番が来て、奥の部屋へ通された。完全にドラマとかで見る手術室だった。いや、ドラマで見るよりかなり暗かった。完全にイメージだが、フランケンシュタインとかを作る手術室みたいな感じだった。私がビビりすぎて暗く感じただけかもしれない。
自分で手術台へのぼる。「開いた脚をいつもより上に」と、言われる。今までの内診ではコの字くらいだったのに、M字まで持っていかなくてはならないから、無防備すぎて怖い。
麻酔をしたのに痛いと感じた。そもそも、麻酔自体がすでにスーパー恐怖であり、打つのもなかなかの激痛だった。
「胸の上で手を組んでください」と、指示される。ひとりの看護師さんが、私の組んだ手を包み込んでずっとトントンしてくれていて、それが心の支えだった。ベッドのところにあったノートにも大勢の方が「トントンがあるのとないのじゃ、全然違う」と書いていたが、そのとおりだった。自らセルフトントンもして、ずっと「フー! フー!」と息をしていた。できるだけ、ほかの場所に意識を向かせたかった。
「力抜いてください〜」と、何度も院長と看護師さんに言われたが、自然と足と尻に力が入る。力を抜かなきゃと思うけど、痛くて怖いので力が抜けない。
痛みに耐えて無事採卵を終え、ベッドで20分ほど休み、体調に問題がなかったので帰り支度を始める。トイレに行き、止血のために膣に詰められた長いガーゼ2枚を自分で抜く。これにはめちゃくちゃ時間がかかった。また、「フー! フー! フー!」と息をしていた。
その日は重めの生理痛のような痛みが続くらしいが、この時点ですでにお腹が痛かった。子宮から卵巣に針を刺したんだから、痛いに決まってる。
培養士さんの話を超要約すると、採卵した卵子を受精させ、数日培養させてから体の中に戻し、着床したら妊娠とのこと。この日の採卵では、しっかり成熟している卵が3つ取れた。
一方、旦那の精子は、私が採卵に行く日の朝、家で採取してクリニックに持っていくことになっていた。さんざん「慎重にね!」と忠告したにもかかわらず、一度目は採精子用の容器のふたを空けるのが間に合わずこぼしてしまい、二度目の射精での採取に。それでも、受精のための運動率は満たしていたので安心した。
卵子3つすべてに精子をワーッと振りかける方法で受精卵を目指す。そして5日後、安定した状態で子宮へ戻す。子宮内に優しく置いてくるだけ! レイアップシュートのように。
越えられなかった9週目の壁
翌朝、電話をして受精が成功したかどうかを聞く。ここで受精していなかったら、ふりだしである。時間ピッタリに電話をかけた。昨日、採卵をした人たちが一斉にかけているのだろう。つながらなすぎて、高校時代の推しのコンサートの電話予約を思い出した。
ようやくつながり、結果は3つのうちひとつは途中で成長が止まってしまったが、ふたつは無事に受精卵として成長しているとのこと。
そして、いよいよ受精卵を子宮へ戻す日。メガネをかけていなかったため、天井近くについているモニターが見えなかったので、自分の名前を確認するときにめちゃくちゃ画面いっぱいに拡大してもらった。間違えたら大変なことになるので、不妊治療では何をするにも名前の確認をしつこいほど行う。
そのあとも、
「モニター見ててください! 真ん中にあるやつが卵で今から吸い上げますね!」
「あのちょい右側の丸いやつですか?」
「あ、それは違いますね!」
「あ~……(じゃあ見えないっす~)」
「ほら、今、吸い上げてます! 見ました!?」
「いや……」
といった具合で、貴重なシーンはまったく見届けることができなかった。
「体の中に戻しますね! こっちのモニターで見られますよ!」と、私の腰あたりに位置するモニターも映してくれたが、見えなかった。もし、次があるならコンタクト必須だ。
旦那にそのことを伝えると、「自然妊娠だったら、そのシーン普通は見られないわけだからいいんじゃない?」と言われ、なるほど、と感心した。
そこから毎週のように病院に行き、心拍まで確認できた。毎回、帰り道にはうれしくて泣いた。どうか無事でいて、と願いながら。
そんな妊娠9週目のクリスマスイブに不妊クリニックの日。今日、無事に育っていたら卒業して産科に紹介状を書いてもらう日だったが、私は流産していた。内診台の上で目の前が真っ暗になって、そのあとの説明はなんとなく聞き、その日のうちに手術の日取りを決めた。
「あまり考えすぎないようにね」と母、「予防線張りすぎずに信じてあげようよ」と妹、「一回でうまくいく気がする」と旦那。これまでそう言われてきたけど、私の不安や心配は現実を考える上で何も大げさなんかじゃないと、常に頭にあった。実際、私は9週で流産した。妊娠には9週の壁、12週の壁という言葉があるが、そこを乗り越えることができなかった。
ネガティブになっていくマインド
紹介された流産手術の病院へ行った日。どさくさ紛れに医師に尋ねたら飲酒OKだったので、今日はケーキ食べながら一杯だけ飲もうかなと考えた。お酒だってずっと我慢していたし、クリスマスイブだし。
もちろん悲しかったけど、スピリチュアル的な考えは苦手な私なので、“空に忘れ物を取りに帰った赤ちゃん”とか、そういう類の考えはしなかったし、「ごめんね、赤ちゃん」という気持ちより、この先また同じことを繰り返すかもしれない恐怖、子供が産めるならと我慢できた治療の数々がリセットされたことへの絶望で、一気にしんどさが襲う。
初期流産の原因は、ほとんどが染色体異常。運命とか必然とかじゃない。私のところに来てくれなかったとか、選ばれなかったとか、そういうのはくそくらえ派で、私は医学の力を信じたかった。しかし、そうは思っていても心のどこかで、日頃の行いが悪かったのかな……とか、私のもとに来られない理由があるのかも……という考えが頭をよぎる。こういうマインドに陥ってるとき、祈りを推奨する団体に狙われたりするのかもしれない。
ネガティブなマインドは、子宮外妊娠と流産を経験したことでより濃く、私の心を侵食し始めた。運命なんてない!自分の人生は自分の力で切り開く!と豪語していたが、実は運命というものは存在していて、抗えないものだろうか。そんなふうに考え、不安になった。
知人に紹介された占い師に、「魂のレベルが低いから子供があなたを選んで降りてきてくれない、うんちゃらかんちゃら~」とか言われ、ますますスピリチュアル的なものが苦手になった。非科学的なことは全部私が引っくり返してやるよ!と思いつつ、ビビっている私もいる。絶対信じない!と思いつつも、そういった考えを聞くだけで引っ張られて嫌な気分にはなる。
運命とかそういうことではなく、医学的なことだけを信じよう、と強く思うようにした。それに加えて、期待したらダメだったときの悲しみが大きいからと予防線を張り、浮かれないようにもしていた。旦那の前では、私のことを選んでくれたのに妊娠できなくてゴメンね……と泣いた。不妊の理由は主に私にあったので、旦那に申し訳なかった。バツイチで年上の私を選ばなければ、今ごろカワイイ子供複数人に囲まれた人生を歩めてたんじゃないかとか考えた。
20代半ばの後輩芸人が「まわりの女芸人さん、みんな結婚して、子供産んで、現実って感じ!」って言ってたけど、「今の私にはそっちのほうが夢の世界だよ」と返した。ずっと“普通”だと思っていた「母」という肩書は不妊治療を経た今、私にとって「芸能人」とか「売れっ子お笑い芸人」なんかよりずっとファンタジーの世界になった。
この先も不妊治療を続けるなかで、さらなる苦悩が私の心をむしばんだが、希望を信じて私は進み続けた。
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