岩井秀人「ひきこもり入門」【第2回前編】酔っ払って木刀を振りかざす父。自分は「他人と違う何者かになれる」と思っていた


今までやってきたひどい行いが、みんなの中に残っているのが怖い

そんな父の影響か外で他人を殴りまくっていたわけだが、自分に変化があったのは小学6年生のときだった。

当時は7、8人くらいのグループでよくつるんでいて、缶蹴りやサッカー、ゲームをして遊んでいた。普通の小学生男子たちである。

そのグループのひとりに「しまちゃん」という男子がいて、言い合いになったことがあった。もうきっかけも思い出せないし、ささいなことだったと思うのだが、ついカッとなってしまちゃんを殴った。

「わあ、しまちゃんまで殴っちゃった」そう思った次の瞬間、すぐにパンッと殴り返された。

もう何が起きたか全然わからない。初めての経験だった。父にはよく殴られていたけど、それとはまったく違う感覚。明確に「殴られたから殴り返した」というものだ。つまり「傷ついたから、傷つけ返した」というもので、これは僕が他人を殴ってしまうときに、自分を正当化するために取っていた行動だった。しまちゃんから殴られたとき、それとまったく同じ動機を、初めて自分以外の他人から感じた。

啞然として、そのあとしまちゃんとどんな会話をしたのかとか、他のみんなの反応とか、まったく覚えていない。ただ、強烈な驚きだけが記憶に残った。「他人にも『感情』ってあったんだ!」と。今まで映画の「書き割り」くらいにしか思っていなかった、教室にいた同級生たちが、一気に「それぞれに思いと欲望を持った生き物」として、改めて存在し始める。呆然としながら、教室を見回した記憶がある。

しまちゃんとの一件以降「他人」というものがわからなくなった。他人が「何を求め」「何に不満を持って」いるのかもわからない。そして僕はそれを、まったく配慮に入れずに踏みにじってきた。だんだんと「他人」というものが怖くなっていく。

そのころ地元の公立中学に通う1個上の先輩を見かけたことがあった。その先輩は僕が小3のときに殴って泣かせたことがあったのだが、あるとき中学校のグラウンドをなんとなく眺めていたらそいつがいたのである。成長して、めちゃくちゃでかくなっていた。「このまま同じ中学に入学したら復讐される」。本能的にそう思った。

「これまで自分が無意識にやってきたことが、みんなの中には残っている」

どうしようもなく怖くなった。

実家の玄関にて

当時、父から「受験を味わってみろ」という指令が下っており、私立中学を受験した。友達と離れたくない気持ちもあったが、素直に従ったのは、これまでの環境から逃げたい気持ちもあったのかもしれない。

そうして入学した私立の中学校はすごく楽しかった。当時もまわりの人が何を考えているのかわからない怖さはあったが、他人に感情がないと思っていた時代の蓄積がない分、自然に振るまえていたと思う。

それなのに、3年生のときには地元の公立中学校に戻ることになった。それも自分の意志で。

中学に入っても時々他の生徒を殴ってしまうことがあったから、表向きの退学理由はそれである。ただ、実際には私立に入学したときからどこかのタイミングで退学しようと決めていた。

なぜそんなことをしたのか。

今考えると「中2感すげえ」と思ってしまうのだが、「私立中学に行ってた秀人が、俺たちのいる中学に入ってくるってよ」というドラマに、興奮したのだ。

つまり、コストをかけずに自分が主役のドラマが作れる、というものだった。

実際には母が退学の手続きや面倒なことをやってくれているから気づかないだけでコストはたくさんかかっている。しかし当時の自分にはまったくその視点はなかったし、周囲から「あいつ前の学校に適応できなかったのかな?」と思われることさえ、ポジティブに捉えていたように思う。「あっちの学校行ってたはずなのに戻ってきた! なんで!?」と驚かれるのを想像するだけで異様に興奮して、それ以外のことにまったく考えが及ばなかった。

地元の公立中学への転校初日、僕は気づかれないようにわざと髪型も変え、メガネをかけて登校した。廊下を歩くとすれ違う小学校時代の同級生は、「誰この人?」みたいな目でこっちを見てくるが、岩井だということには気づいていないようだ。僕はほぼ全員のことを知っていて、それだけのことが大声で笑い出したくなるほどおもしろい。そのうち仲よかったやつのひとりが遠くを通りがかって、僕のほうを二度見する。古くから知っている友人が、こちらを「誰だ……?」という目線で見ている。そこから「あれ……? この人……」とだんだん、自分のことを認識し始める様もまた、格好の興奮材料になった。僕が転校してきたことがちょっとした騒動になる。そんな些細なことに、凄まじく興奮していた。

かなり自意識過剰ではあったと思う。

目の前のちっちゃい「伝説作り」に夢中だった

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