「製作期間7年」「作画枚数4万枚超」だけじゃない!映画『音楽』の魅力とは?

2020.1.16

感情を持った人間に「生まれる」感覚を追体験させる映画

映画『音楽』サブ1
破天荒な男子高校生3人組が突然バンドを組み“音楽”がスタートする

『音楽』に似たアニメーションがあるとすれば、アメリカのドン・ハーツフェルトという作家の作品だろう。ハーツフェルトは、「まるかいてちょん」の棒線画を用い、背景も大胆に空白を残したままに、つまりきわめてシンプルなスタイルで、壮大なスケールの物語を語る。ハーツフェルトは、彼の独特の描画スタイルがもたらす利点として、「観客が作品を完成させる」ということを言っている。キャラクターや世界観について情報を与えすぎない(むしろ欠落させる)ことが、観客自身を作品に参加させることになる。棒線画と空白のなかに、観客は自分自身の人生の記憶や経験を投影してしまうのだ。

「淡くて」「乾いて」「空白」のある『音楽』もまた、ハーツフェルトの作品と同じような作用を観客にもたらす。いつも見慣れたアニメーションと比べて、極端に情報の入力が少ないがゆえに、故障中のエスカレーターに乗ったとき自然と体が前に進んでしまうかのごとく、観客の脳内はその情報を埋めようとする。そのことが、きわめて「ライブ」的であり、「フェス」的であり、「音楽」的な性質を本作に与える。フェスやライブで音楽を聴くとき、聴衆は音楽を一方向的に浴びるだけではない。それは「体験」として、場所や聴衆たちが作り出す雰囲気や、演者のテンション、観客として参加する自分自身の状態など複数の要因が集まって流動的に状況が変わる「ナマモノ」のような経験になる。

ドン・ハーツフェルト『明日の世界』。土居伸彰が代表を務めるニューディアー配給作品

『音楽』はそんな状況を作品のなかに編み込んでいる。『音楽』は、本編全体に展開する「淡さ」によって観客を含む作品外部の環境の参加を促しつつ、伝説的ともいえるラストの圧巻のライブシーンに突入する。そこに圧倒的なライブ感を得るとすれば、それは画面上の出来事だけが原因ではない。それは、観客の脳内でも起こっているのだ。ここ数年、ライブもののアイドル・アニメなどで「応援上映」などが流行っているが、それとはまた別の話だ。本作においては、あくまで観客の脳内で、その「ナマモノ」の感情が生まれる。脳内に新鮮な感情が生まれ、血しぶきやマグマ――つまりある種の圧力によって止むに止まれず勢いよく飛び出してくる何か――が吹き出すのを感じる。これまで抑制されてきた内面的な何かが、一気に生まれていく。

映画『音楽』サブ2
映画『音楽』主人公の研二

本作において、主人公の研二は、原初的な叫び(プライマル・スクリーム)とともに生まれ直す。本能に従うだけの動物のようだった状況から、感情を爆発させ、目の前の相手にその気持ちを(不器用ながらも)伝えるようになる。本作を観たあとに経験する感情が、新鮮で懐かしいものだとすれば、それは、私たちが生まれ育つなかでいつか経験したはずの、たんなる本能的に動く存在から、感情を持った人間として「生まれる」感覚を追体験させるからである。それは、ティーンエイジャーのころに感じたような感情の動きであるがゆえに懐かしく、心地よく、そして、新鮮なのだ。

今ここで起こる、懐かしくて新鮮な感覚のアニメーション映画――それこそが、『音楽』の唯一無二性を作りあげている。



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