森山未來のパフォーマンス
そして『ジュゼップ』と前後してやはり観客の前に「残恨の思い」を突きつけるパフォーマンスを目にする機会があった。それが7月23日のオリンピック開会式で披露されたダンサーの森山未來のパフォーマンスだった。
森山が出演したのは、すでにこの世を去り、多くの影響を残した愛する人々を追悼するパート。ただし森山のパフォーマンスは、「追悼」という言葉からイメージされる、生者と死者の境界線を自明の前提とした、一方通行のものではなかった。
パフォーマンスの冒頭、森山はまるで命のない塊のように壇上に存在していた。それが次第に起き上がり、エビ反るような奇妙な姿勢を経て、人の姿へと変化していく。その様子はあたかも土塊に死者の魂を“降ろして”いるかのようにも見えた。そして最後は、、森山は衣装で顔が隠れた状態のまま、上半身を伏せていき、再び“もの”のような状態となってパフォーマンスが締めくくられた。追悼というより、死者の残恨の思いをこの地上に蘇らせ、世界中の生者の前に改めて提示することを目的としたようなパフォーマンスだった。
「残恨の念を抱えた死者を降ろす」ことがパフォーマンスの主眼のひとつだったらしいことは、パフォーマンス後、森山がインスタグラムに発表したコメントからも裏付けられる。そこには関係者への感謝の言葉の最後に「最後に『未練の幽霊と怪物』の作・演出である岡田利規さんに、最大のリスぺクトを」と書かれているのである。
岡田の『未練の幽霊と怪物』は能の形式を採用した演劇で、「挫波」(ザハ)と「敦賀」の二編からなる。「挫波」(ザハ)は、新国立競技場の建設案が一度採択されたにもかかわらず反故にされたザハ・ハディドをシテとする能だ。(「敦賀」のほうは「高速増殖炉もんじゅ」と「核燃料サイクル政策」がシテである)

能楽師である安田登はエッセイで次のように書いている。
「閉じ込められていた古人の『残念(果たされなかったおもい)』の物語が、人格を伴ってシテ(主人公)として出現します。それが能です」
『見えないものを探す旅』安田登/亜紀書房
そして「彼岸と此岸との仲介をするワキ」(同書)は、
シテの物語を傾聴し、シテの舞を半睡半覚のうちに眺める。それによって、その地にわだかまる『残念』が昇華するのをお手伝いするのです。
『見えないものを探す旅』安田登/亜紀書房

森山は「挫波」で、シテであるザハ本人を演じていた。ザハは既に故人であるから、まさに彼女の「残念」を降ろす役を演じていたのである。その経験を踏まえての開会式のパフォーマンスであるなら、観客が見たのは祈りではなく、さまざまな死者の「残念」であり、そのとき、観客はワキとなっていたともいえる。地に足のつかないものばかりが並んでいた開会式の中、枠組みの陳腐さをパフォーマンスの強度でぶち破り、「今世界に生きている人々の問題」を突きつけたという点で、森山のパフォーマンスは別格の出来栄えだった。
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