ガーリィレコードチャンネルが切り開いた新たな道「やりたいことができるようになったのはYouTubeのおかげ」
YouTube『ガーリィレコードチャンネル』を観ていると、同級生の家でゲラゲラ笑っていたあの日々を思い出す。僕もあの4人と友達だ、という錯覚に陥るのだ──。
今やチャンネル登録者100万人を抱え、順風満帆に見える彼らにも不遇の時代はあったという。芸人とYouTubeの狭間で苦悩の日々を過ごした彼らが語る“ターニングポイント”とは?
ガーリィレコード
東京NSC17期出身のお笑いコンビ・ガーリィレコードの高井佳佑、フェニックスと同期の芸人・雨野宮将明、太郎によるYouTubeチャネル。2017年ごろから本格的に動画投稿を開始。モノマネ動画や「深夜のテンション」シリーズ、彼らが発案したゲーム「気配斬り」などで注目を集め、2022年10月3日にチャンネル登録者100万人を突破した。
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“芸人YouTuber”ガーリィレコードチャンネル、クラスの四軍が到達した100万人の領域
まわりになじめなかったからこその絆
──いわば、ビジネスパートナーのみなさん。長年一緒にいますし、“仕事”となれば関係性が変わりそうなものですが、4人からはそんな空気を感じません。なぜ、その仲が保てるのでしょうか?
フェニックス 4人が会ったのはNSC(吉本興業の養成所、東京NSC17期生として2011年に入所)で、全員高卒組なんですけど、そもそも、その期は大卒組がほとんどで高卒組が少なかったんです。みんなは飲みに行けるけど僕らは行けないし、ネタ見せの授業をしていても、世代が違うから、僕らがわからないところでみんな笑っている。そういうのもあって、仲が深まった気がします。
太郎 僕とフェニと高井はクラスも一緒なので、“どうしようもないとき”から知ってるんですよ。雨野宮くんに関しては不登校になっちゃってね。
雨野宮 (笑)。当時、一緒に入ってきたヤツが連絡取れなくなっちゃって。解散もできないなか、気づいたら半年が過ぎて……。3人とは卒業後にガッツリ話すようになりました。
──そうした長年の結束力が今につながっているんですかね?
太郎 それは大きいですね。
フェニックス 一番しんどいときに一緒にいたのも大きいのかなと思います。
DAIGOに怒られた? 単独ライブでのハプニング
──このチャンネルのターニングポイントは?
高井 2019年に初単独ライブ『超劇場版 ガーリィレコードチャンネル in 日本青年館』をやったことですね。吉本さんから「日本青年館でライブをしないか」と話が来たとき、“僕らにできるのかな?”と思ったんですけど、チケットが即完売だったんですよ。それを聞いたあともライブに来てくれるようなファンがそんなにいるということが信じられなかったんですけど、いざステージに立ったら、本当にお客さんが1000人以上いて……。“ここまで来たか”という思いはありました。
太郎 2019年に『しゃべくり007』(日本テレビ)のゲストだった高橋一生さんに呼んでいただいたのが、4人としては初のテレビ。そのころ、まわりの芸人がまだYouTubeをやっていないころだったので、すごくバカにされていたタイミングだったんですよ。でも、『しゃべくり』に出たおかげでリスペクトされるようになって、それ以降バカにされなくなりました。
──高橋さんほか、松坂桃李さん、北川景子さんなど芸能界にもファンが多いチャンネルです。
フェニックス 日本青年館には、北川景子さんとDAIGOさんがご夫妻でいらっしゃってくれました。
雨野宮 終演後に、北川景子さんとDAIGOさんがご挨拶に来てくださったんですけど、北川さんが僕らを見て「本物だ~」とおっしゃってくれて。「いや、逆です。恐れ多いです」って。
太郎 そしたら(DAIGOのモノマネをしつつ)「ちょっと待って~。フェニックス、ウチの奥さんにマイクの送信機が当たったんだけど」って(笑)。公演中、会場内を走ったときに、送信機がブランブランしてて……1500人中、唯一マイクの送信機を当ててしまったのが北川さん。もちろん冗談っぽくですが、DAIGOさんには「フェニックス、ウチの奥さん、国宝だよ?」と注意されました(笑)。
「吉本辞めようぜ」から始まったYouTuberとしての道
──(笑)。今年で全員30歳になりました。NSCに入ったときの目標とは違う位置にいるかと思います。今までを振り返ってみていかがですか?
フェニックス 僕と高井はコンビなんですけど、2年目くらいからアニメ系のネタが多くなって。劇場のメンバーに入ってランキングの上位を目指すというよりは、“(王道ではなく)秋葉原系に強い感じになろうか”という話はしていました。YouTubeを始めてここまでいくとは思いませんでしたが、ざっくりはそのときから見ていた方向なのかなと思います。
太郎 コンビを組んでいたけど鳴かず飛ばず。(芸人人生に)踏ん切りをつけるか悩んでいたタイミングで、フェニから「ルームシェアしない?」と誘われました(撮影でも使用されている一軒家)。ちょうどルームシェアする家が5年で取り壊される予定だったので(リミットとしては来年だが、明確な日にちは未だに通告されていないという)、この5年でダメだったら芸人を辞めようと……。そのあと、YouTubeを始めたことで、みんなに知っていただけたから、僕的には“拾ってもらった命”。YouTubeが最後の居場所かなと思っています。
高井 子供のころからお笑いをめっちゃ見ていたわけではなくて「スターになりたい」「楽しいことがしたい」と思ってNSCに入ったんですよ。自分のやりたいことができるようになったのはYouTubeのおかげ。やっていてよかったと思うし、これからも自分が楽しいと思えることをやっていきたいです。
フェニックス (高井は)スタートから違ってたもんな。誰を目指して芸人になったんだっけ?
高井 マイケル・ジャクソン。
──確かに毛色は違いますね(笑)。
雨野宮 本当は(マイケル・ジャクソンのモノマネをする)マイコーりょうさんでしょ?
高井 きっかけはね(笑)。もうマイケル・ジャクソンでいいじゃん!
雨野宮 高井って北海道の剣淵町という大自然に住んでいて。その近くの街でお笑いライブがあったんだよね。
高井 観に行ったときに、サンドウィッチマンさんとか、名だたる芸人さんがいる中で、マイコーりょうさんに一番ハマって。そこで“芸人っていいな”じゃなくて“マイケル・ジャクソンっていいな”と思ったんですよ。
太郎 なんでだよ(笑)!
高井 そこからアルバム聴いたり、MVを観るようになったりして、“キング・オブ・ポップになりたい”と。だから本当のきっかけは、マイコーりょうさんです。
太郎 最初から正直に言えよ! 『クイック・ジャパン』さんに「いつか会いたい人はマイコ―りょうさんです」って書いてもらおうよ! 感謝を伝えに行こうよ!
高井 いつかお会いできたらお礼したいですね。「僕を救ってくれてありがとう」って。
──(笑)。雨野宮さんはいかがですか?
雨野宮 芸人を始めたころは、お金がなさ過ぎて……。ゴールデンのドラマに出させていただいたりしたんですけど、それがウソみたいな給料だったんですよ。すごくいい経験だったし、すごくいい出会いではあったんですけど。毎日撮影に行ってたからバイトする時間もなかったのに「え、吉本ってこんなにヒドいことするの?」みたいな(笑)。
フェニックス ほかの方ががもらってる給料とだいぶ違うだろうしな。
雨野宮 そこで芸人どうこうよりも、稼がないとダメだと思って、YouTubeを観始めました。僕は極楽とんぼさんが好きで、当時、おふたりがMCをされていた『「KAKERU TV」~24時間AbemaTV生JACK~』(2017年/AbemaTV 現:ABEMA)を観たときに、“ネットってコンプライアンスとかなく、好きなことできるんだ”と思ったんです。コンプラ無視で暴れる極楽さんがすごく魅力的だったので、“誰かとYouTubeをやりたい”と思って。(ガーリィーレコードや太郎に)声をかけて……そしたらみんながしぶしぶやり始めてくれました(笑)。
フェニックス 最初の入りが「吉本辞めようぜ」だったからね。あれが怖かったんだよ!
雨野宮 自分らで好き勝手やりたかったけど、当時、YouTubeでも吉本に所属していると好きなことできないと勝手に思ってたんですよ。
フェニックス そう思うと、北海道の営業のときもターニングポイントだったよな。
雨野宮 ガーリィーレコードが北海道へ営業に行くとき、いっぱいモノマネをするから、場つなぎのMCで出ることになって。
フェニックス 夜は高井の家に3人で泊まって、まっ暗闇の中で(雨野宮の)「吉本辞めよう」からYouTubeをやる話になって……(笑)。ただ、そこからガチャッと(自分たちが走る)線路が変わった気がします。
──今後、挑戦してみたいことはありますか?
太郎 変わらず、この感じのままできたら最高ですよね。
雨野宮 高井は結婚しているのですが、僕らも結婚したとして「全員の子供が20歳を超えたら、そいつらに『ガーリィレコードチャンネル』の屋号を渡そう」と話しています。歌舞伎の世襲制みたいな感じでできたらおもしろいなって(笑)。
太郎 YouTubeでやったら初だろうね。
高井 バトンをつないでいきたいね。