『Get Up Stand Up!たたかうために立ち上がれ!』:PR

スタンダップコメディ界のメジャーリーガーSaku Yanagawaによる“ジャンルを背負う”覚悟の一冊『Get Up Stand Up!たたかうために立ち上がれ!』

2021.4.16

文=折田侑駿 インタビュー写真=元田喜伸
編集=森田真規


「自分の視点を笑いで届ける」スタンダップコメディをこう定義づけるのは、シカゴの複数のクラブにレギュラー出演し、年間400本ものステージに立つスタンダップコメディアンSaku Yanagawa(本名:柳川朔)。2021年3月15日に刊行されたSaku Yanagawa初の著書『Get Up Stand Up!たたかうために立ち上がれ!』(産業編集センター)の中で彼は、スタンダップコメディの定義や意義について、さらにこう言及している。

「わかりやすく言えば、自分にしか見えない世界を自分のことばで笑いにすることが、スタンダップコメディアンにもっとも求められていること。普段、生活を送る中で多くの人が見過ごしてしまうことを、彼らとは違う角度の意見で『笑い』にして伝えること。そして、自分と意見の異なる人でも笑わせられることこそ、スタンダップコメディ最大の魅力にほかならない」

本書は、現在28才であるSaku Yanagawaの半生が綴られている彼の自伝的書物であり、スタンダップコメディの入門書としても最適な一冊だ。メジャーリーガーを目指し、幼少期より野球に打ち込んできたもののケガによって断念した柳川青年は、ある日、スタンダップコメディに目覚めて渡米。

スタンダップコメディアンとして異国の地をサバイブしていく過程からは、多くの国でメインストリームの芸能として機能しているスタンダップコメディの魅力はもちろん、目標到達へのアプローチ方法、そして、彼の視点を介した“世界”の姿が見えてくる。コメディ界のメジャーリーガーとして「ようやく打席に立てた」と口にする「Saku Yanagawa」とは何者なのか? 一時帰国中の3月下旬、本人から話を聞いた。

「スタンダップコメディ」というジャンルを背負う覚悟

Saku Yanagawaのスタンダップコメディの定義を目にしたとき、「自分の視点で笑いを届ける」だと勘違いをした。しかし、「自分の視点を笑いで届ける」と「自分の視点で笑いを届ける」は、似ているようで大きく異なる。「視点」を届けるのか、「笑い」を届けるのか──その違いは明らかだ。
個々人が持つ視点や考え方はさまざま。これを他者に伝えるために、ユーモアで包む重要性があるのだと彼は考えているようだ。「“笑いで”届ける」──確かに今の時代に最も求められている姿勢な気がする。

──『Get Up Stand Up!たたかうために立ち上がれ!』が出版された現在の心境を教えてください。

ひとつの作品として、世に出せたうれしさがあります。これを読んで、初めてスタンダップコメディというものを知る方もいるでしょうし、このジャンルを背負って舞台に立っていかなければならないという覚悟がよりいっそう強くなりました。

僕の存在を介して、スタンダップコメディという言葉や、このジャンルを知る方がいると思うんです。そこで僕がおもしろくなかったら、ジャンルそのものがおもしろくないものだと思われてしまう危険性がある。だからこそ、そこには大きな責任が伴うと感じています。

──初めての本の執筆に際し、どんな苦労がありましたか?

やはり大きな責任感です。言葉というのはすごく重みがありますよね。読者の方に間違った“スタンダップ観”を伝えてはならないので、客観的にスタンダップコメディについて論じつつ、Saku Yanagawaから見たスタンダップコメディというものを書き記そうと心がけていました。

なので、ちょっと震えながら書いてしました。「これ……本当に大丈夫かな?」「ちゃんと伝わるのかな?」と。この本を読んで「おもしろくない」と感じた方が、スタンダップコメディを敬遠してしまうことになってしまえば本末転倒ですしね。

──執筆過程で何か発見はありましたか?

「自分とは何者なのか?」ということを、いやが上にも説明しなければならないので、これはステージに立つことに反映されていると感じていますし、ネタ作りに関しても変わってきました。

また、言葉で表現することについて考えることで、「この表現の仕方はよくないな……」だとか、“表現の反面教師”を自分の中に見つけることもできました。本書を執筆するまでは、今ほど自分や、自分の表現を俯瞰して考えることができていなかったように思うんです。それが大きな発見ですね。

インタビュー時のSaku Yanagawa

──自分を見つめ直す機会にもなったと。

そうです。でも、「自分の視点を笑いで届ける」という定義を自分の中で見出すことができたときから、「本が書ける」と思っていました。これは広くシェアしたいなと。

ただ、肩書きに「コメディ」という言葉が入っているのだから、どれだけいいことを言っていても、おもしろくなかったら僕らはコメディアンではなくなってしまいます。これが重要です。

あ、途中で一度、「作家感を出してやろう!」なんて思ってウイスキーを飲みながら書いたことがあるんですけど、その日は7文字しか書けてなかったです(笑)。

「エバンジェリスト(伝道師)」としての意志

自身の存在を、“スタンダップコメディのエバンジェリスト”なのだとSakuは語る。エバンジェリストとは伝道師のこと。このカルチャーを日本に根づかせようと奮闘する彼は、まさに伝道師だ。
そんなSakuはアメリカという地における自身の存在を、「レモン」にたとえ、俯瞰して見ている。多種多様な人々の集まるアメリカでは、特定の人種が「バナナ」や「オレオ」などと比喩表現されたりするようだ。「バナナ」の場合は、外側(肌)は黄色いが、内側(メンタリティ)は白い、つまり「アメリカナイズドされた」、あるいは「白人のメンタリティを持った」アジア人の蔑称。しかし、こういった事象に対するSakuのスタンスは極めて柔軟だ。

──“スタンダップコメディアン・Saku Yanagawa”を日本の読者にひと言で紹介するとしたら、どんなフレーズになりますか?

スタンダップコメディというものを背負い、このカルチャーを根づかせる存在だと自分のことを思っています。なので、エバンジェリスト──つまり、伝道師です。

この言葉って、まだあまり使われていないんですよね。だから「お仕事はなんですか?」と聞かれたら、「スタンダップコメディのエバンジェリストです」と答えていくつもりです(笑)。

──この本を読んだからこそわかる、Sakuさんにぴったりな肩書きだと思います。本書では、早くからさまざまなカルチャーに食指が動いていたことが記されています。そんなSakuさんが今、特に気になっているカルチャーはなんでしょう?

日本の文学です。アメリカでの活動において、僕が日本人としての価値観を失っていけばいくほど、アメリカでの僕の価値はなくなっていくと思うんです。アメリカにおいて、僕の“日本人ならでは”の視点がひとつの特徴であり、個性だと思っています。

アメリカでは、ある特定の人種が「バナナ」や「オレオ」だなんて比喩表現をされたりします。ですがこの点、僕は自分のことを内側も外側も黄色い「レモン」だと認識しています。

こうして日本に帰国したのは書籍の出版に際してのことではありますが、「レモンの酸っぱい部分を強めるために帰ってきた」と自分には言い聞かせています。自分の原点である日本の文化というものを、もっと強めるために、深めるために帰ってきた、という気持ちでいるんです。そこで、今は日本文学に行き着きました。最近は坂口安吾や宮本輝の小説を読んでいます。もともとゲームよりも本を与えられる家庭で育ったので、振り返ってみると、これが今の僕を形作っている原点なのかもしれません。

ミネソタ州ミネアポリスでの公演(2020年)

──本書で「キャンセルカルチャー」に言及されている点にも関心を持ちました。SNSをはじめとし、多くの言葉の問題が頻発する昨今ですが、“発言する際の覚悟”や“言葉を扱う難しさ”についてどう考えていますか?

一度でも世に出た言葉は、誰かの心や、体にも一生残るかもしれませんよね。“言ってはいけないこと”というのが増えてきている時代だと思います。だから言ってはいけないことは絶対に言わないし、言わなければならないことは、おもしろく言う。これを心がけています。

それと、僕が言うからこそ意味のあることや、僕が言わなければならないことは言わなくちゃいけない。そういう想いでステージに臨んでいます。

──ネタ作りの際には、かなり注意されているのですね。

注意します。でも、無知な状態でステージに立つことはないようにしなければと思っていますが、頭でっかちになり過ぎてもいけないなと。そこは自分のセンスで言葉の取捨選択をしていかなければならないと感じています。

言外の意味を考えさせるネタであってもいいんですけど、何よりも、おもしろくなければ僕らは仕事を失ってしまうので。ちなみに、感性を活性化させることでセンスは磨けるものだと思います。よいものもよくないものも見て、触れることで、視野を広げ、深めていくことが大切なんです。

スタンダップコメディアンとして初めてフジロックの舞台に立った経緯も本書で紹介されている(2019年)

自分の中の9割を“不安”が占めていても、1割の“期待”を選んできた

Sakuが3歳からつづけてきた野球の道を断念し、心を注げるものを見失っていた大学2年生の冬。たまたまつけていたテレビ番組『笑ってコラえて!』に、彼は人生を変えられたという。そこに映し出されていたのは、ニューヨークで活躍する日本人スタンダップコメディアン・Rio Koike氏の姿。「これや!」と思い立った翌日、彼はアメリカへと向かっていた。

──現在28歳の“柳川朔”というひとりの人間にとって、人生で一番のターニングポイントはなんでしたか?

やっぱり、2014年に初めてステージに立ったときですね。あれからずっとスタンダップコメディというものに恋をしているので。でもたとえば、もしもあの初のステージでスベっていたら……もしも『笑ってコラえて!』じゃなくてほかの番組をつけていたら……すべてが変わっていたかもしれません。

「その日の出演者の中で一番の反応をもらった」という、ニューヨークで初めて舞台に立ったあとの写真(2014年)

──初めてスタンダップコメディを目にしたときに受けた衝撃というのは、野球などで得てきたものとは違うものだったんですか?

違いますね。こう……背筋を何かがワァーッと駆け抜けるような。たぶん、サーモグラフィーで見たら真っ赤になっていたと思います(笑)。

唯一野球と似ているのは、ホームランを打ったときですかね。打席の僕にすべての視線が集中するあの感覚に、一番近いかもしれません。

──異国の地をサバイブしてくパワーの源はどこにあるのでしょうか?

「これをやりたい」「これが好きだ」と思ったら、誰にも負けたくないんです。だから、人によっては苦労だと感じることも、僕は苦労だとは感じません。お金の問題に関してもそうです。周囲の誰かに期待するよりも、自分に期待することが大切で、そのための投資などはまったく苦じゃないです。

──不安になることはあまりないと。

それはあります。でも、自分の中の9割を“不安”が占めていても、1割の“期待”をこれまで選んできました。

僕は今までの人生を100点だったと思うようにしています。今までが100点だったからこそ、これからをどう作っていくかということを常に考えています。過去を憂いていても精神衛生上よくないので。

ルアンダのコメディ・フェスティバルに参加し、現地のコメディアンたちと撮った1枚(2017年)

──そういった考え方の原点には、やはり野球の経験があるのではないですか?

野球には幼少期から情熱を注ぎ込んできたので、心から敬意を払うことができるものです。リスペクトして、愛せる対象。そういう意味でスタンダップコメディは、野球以外で唯一「誰にも負けたくない」と思えたものかもしれません。

──スタンダップコメディアンとして活動するなかで、野球に打ち込んでいた日々を思い出したりされますか?

たとえば、筋トレってすごくしんどいんですよね。それを100回やらなくちゃいけないとき、50回の時点で投げ出したくなる。でも、結果的にはいつも100回やり切っていた。そのときの、「めっちゃしんどいと思った時点からあと半分、本当はいける」ということを脳が記憶しています。そういう感覚は野球で身につけたと思います。

それにあの当時、見たことのない球を投げてくるピッチャーがいたりしたんです。「これは当たらないな」と。でも、ここで自分なりに工夫して、粘るだけ粘るのとそうじゃないのとでは、同じ三振でも意味が変わってくる。次の打席が違ってくる。次の打席がないのなら、また打席を与えてもらえるまで素振りするしかないんです。そこでの努力はきっと誰かが見ているものだと信じています。

極端な話、4打席まで連続で三振でも、5打席目でサヨナラヒットを出してヒーローになれる可能性だってある。でもそのヒットを出すには、振りつづけて、ずっと準備をしていなくちゃならない。これは野球をやっていなかったら出ない発想だと思います。ただ、僕の場合は野球に対する姿勢や価値観が個性としてコメディに活かせているだけで、誰しもにそういった経験はあるのではないでしょうか。

主将を務めた、桐朋高校3年生時の大会(2010年)

ステージ上に社会を作りたい

スタンダップコメディのエバンジェリストであるSakuにとって、本書は大きな意味を持つ一冊となった。「スタンダップコメディとは何か?」「Saku Yanagawaとは何者か?」という問いの答えを、彼は記している。この本を手にした者の中からスタンダップコメディアンが生まれるかもしれないし、スタンダップコメディを読者それぞれが“心を注げるもの”に置き換えてみても、何か見えてくるものがあるはずだ。

──この本をどんな方に読んでもらいたいでしょうか?

この本は、考え方を読者に強制するものではありません。感じ方は人それぞれだと思うんです。たとえばコメディって、誰かがネタを披露して、それに対して笑う誰かがいる。その笑った人が、「なぜ私はあのネタに対して笑ったのだろう?」と考えたりするわけです。そこで、自身に内在する感情に初めて気づいたりする。それが“コメディの奥行き”だと思っています。この本もそうあれたらいいですね。

特に、若い方に手に取ってもらえたらうれしいです。もちろんスタンダップコメディに関しては、世代に関係なくすべての方に向けて書いたつもりです。ただ、「スタンダップコメディを根づかせたい」という目標においては、僕らの世代やもっと若い人たちがムーブメントを起こさないと、変わらないと思っています。

ちなみにこの本、母校の図書館に置いてもらっています。先生が買ってくださったみたいで(笑)。実は、この本の構成の基になるような話を、高校の講演会でしているんですよ。そのとき、7割くらいの生徒は寝ていました。僕も当時はそうだったので、それで全然いいと思います。でも3割の生徒は聞いてくれました。そして、その中のたったひとりにでも何かしらの影響を与えられるのであれば、それはすごく意味のあることだと思います。この本も誰かひとりにでも影響を与えることができたらうれしいです。

多くのレジェンドを輩出したセカンド・シティでの公演(2019年)

──本書の出版は、スタンダップコメディアンとして、またひとりの人間として、ある種のメルクマールになったかと思います。その上で、今後の展望を教えてください。

夢を実現させるためにアメリカにいるので、実現させなければなりません。その夢を具体的に言うと、『サタデー・ナイト・ライブ』で日本人初のレギュラーを獲得する、というのが明確なものとしてひとつあります。そして、日本にスタンダップコメディを根づかせて、日本武道館でライブをすること。

さらに、これは本には書いていないことなのですが、僕の芸を見て、「スタンダップコメディをやりたい」という人がひとりでも日本から出てくることを望んでいます。僕に憧れてもらわなくても構いません。この「スタンダップコメディ」というものに感化されて、お客さんではなく表現者が出てきたときに、“場所”が生まれるのだと思います。ステージ上に“社会”を作りたいですね。

僕は今、コメディ界のメジャーリーガーとしてようやく打席に立つことができた、という実感があります。でもたとえばイチローさんは、メジャーの打席に立っただけの方ではないですよね。立ちつづけて、記録を残しつづけた。僕はコメディ界のメジャーリーガーの“レジェンド”を目指さなければいけない、今はそう思っています。

Saku Yanagawa(サク・ヤナガワ)
スタンダップコメディアン。 本名は柳川朔。1992年5月20日生まれ。大阪大学在学中に単身渡米し、アメリカのコメディクラブで舞台に立ち始める。これまで数多くのスターを輩出したシカゴの名門コメディ劇団「セカンド・シティ」でデビューを果たすと、全米でヘッドライナーとしても公演。現在、シカゴの複数のクラブにレギュラー出演し、年間400本のステージに立つ。アメリカのみならず、アフリカやヨーロッパを含めた10カ国以上でツアーを行う。日本でもフジロックをはじめ、テレビやラジオにも多数出演。 アメリカの紙面で「Rising Star(期待の新星)」と称される。シカゴ在住。


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